3.星の蛆

 照り映える浜辺をさまよい歩く。

 手一杯に砂粒を掴み取る。

 むしゃくしゃと口に入れて噛み締めた。

 テトラポッドに囲まれながら、ダイヤの原石を探り当てる。

 そんな日々に未来永劫、明け暮れたかった。

 お花畑に囲まれて、アタシは石畳の上を下駄音鳴らして歩きゆく。

 大きく息を吸って、自然の空気に酔いしれる。

 遠くまで広がる花の景色と、またそのずっと遠くに見える山脈の稜線と、衆人環視の目に晒された気分になる満点の青空が、研究者として激務に走り出すアタシを励ましてくれる。


「さーて、今日も一日張り切っていきますよー!」


 風がいっそう強く吹いた。

 黒エプロンの裾が大きくたなびく。

 手にしたボードに挟んだ紙のカルテを確かめると、氏名に『0409-B』と記載されていた。

 取り残された雛鳥のように、石畳の先にちょこんと建つ東屋へと向かう。

 

「こんにちは。遅くなりましたー」


 傘屋根の下に木造のテーブルと向かい合う長椅子があった。

 アタシの対面に、患者服を身に纏った少年が一人座っている。

 まだ齢4、5歳といったところか。

 カルテにある写真は高校生くらいの準青年だった。


「えっと…0409さんでいいかな」


 少年は最初、虚な目でアタシを見るだけだったのに、口を開いて声を出そうとしている様子が窺えた。「声はまだ出せないだろうから、ジェスチャーでいいよ」と言うと、少年はこくりと頷いた。

 彼を安心させるために笑顔を浮かべた後、カルテの最下にある備考欄に目を落とした。そこには『特採申請は決裁済。服膺ふくよう作業実施』と記載があった。

 事情を理解できたので、アタシはボードをテーブルに置き、椅子に座って少年に話しかけた。


「まずは自己紹介から行こっか」


 カッターシャツの胸ポケットにしまったメモ帳と黒ペンを取り出し、自分の名前を書いた。


「アタシは鷺ノさぎの匁伊めいです。よろしくね」


 少年は控えめに会釈してくれた。

 

「研究職に就いてるんだけど、助産師もやってます」


 頬杖をつきながら、ペンで彼を指し示す。


「この世界のためにね」


 アタシは見晴らす一望千里の花畑に目を向けた。

 咲き誇るは白いペンタス、星の形が特徴的な花弁。

 彼の性質が故の植生といえるのかな。

 少年へと視線を戻す。

 どこにでもいそうな幼い男の子。

 母性をくすぐる弱味噌な眼に、アタシの下腹部が熱を宿す。


「それでは、作業に移りまーす」


 アタシは身を乗り出して、少年の左耳に指を入れた。彼は琥珀のように輝いた眼を大袈裟に見開く。

 抱き締めて首筋を舐めながら、身体を押し付けて甘美な味覚に悶えたいけれど、仕事中であることは決して忘れない。

 彼の耳から指を引き抜くと、その先に白い糸が絡みついていた。

 アタシはその糸を自分の右耳に押し込んだ。

 彼から引き抜いた糸と繋がっていることに堪らなく情欲を抱いた。


「今からアタシがすることを見て、話すことを漏らさず聞いてほしいです」


 少年から応答はなかったが、アタシから目を離さないので良しとした。


「アタシは生きるために必要な知識を三点、君に明け渡します」


 彼に見えるように右手を前へ突き出した。

 手のひらを下に向けて「壱圏ひけん伏刷フハク」と唱える。

 白い網目状の光線がアタシの手から発生し、豊麗な粒子を侍らせながら細やかな輝きを放つ。

 羽ばたく翅が露わになると、テーブルへと降り立つ姿として出現したのは蝶だった。

 白いゴマダラチョウで、止まったまま翅を開いたり閉じたりを繰り返す。

 アタシは左手の指先で触れようとしたが、蝶の身体をすり抜けた。


「これは織術しじゅつと呼ばれる法術です。御伽話の魔法みたいな力で、人間は世界からそれを教受し行使しています」


 自分の名前を書いたメモ帳の紙をちぎり振ってやると細切れに破れ散った。


「この蝶はただそう見せてるだけだけど、こうやって物理干渉だってできるんですよ。汎用性の高い手段と言えますね」


 アタシは「ジ」と口にして紙片を燃やしつくした。


「だけど全世界の人間が織術を使っているわけじゃありません。もう一つ、人類が生み出した技術があるんです。それがセツ


 椅子から立ち上がり、黒エプロンに右手の平を当てた。

 突如として瞬く白光に目を細める。

 エプロンが液化して形を崩しだし、鋭く青白い電気を迸らせながら蠢きだす。


「緤は物体を操る力。ルーツは織術と同じですけど、原力は異っています」


 襟を掴んでシワをきっちりと伸ばす。

 アタシは黒いスーツを身に纏っていた。


「織術よりも限定的ですが、探究していくべきロマンあるスキルだと思います」


 胸元を2回叩くと、スーツは元のエプロンの形へ戻っていった。

 再びアタシは椅子に腰を下ろす。


「織術と緤、これらをまとめてエキリと称します」


 メモ帳の一ページにペンで『エキリ』と書いてから、その下に二本の架線を引き『織術』と『緤』を記した。

 アタシはそれらの横に、ある二文字を付け足す。

 

「エキリのある世界で、私たちはあるものを追い求めています。それが"進路"です」


 続けざまで『進路』の下に『子供→大人』と文字を連ねた。


「大前提として、子供は進路がないと大人にはなれません」


 アタシは『大人』の文字にペンを突き立てた。


「18歳を迎えると大人になります。それまでに自身にとって適した進路を築いていないといけません。これは世界の摂理そのもの」


 織術で出現させたゴマダラチョウが、勝手に空中へ飛び出した。気儘に浮遊する風船のように、アタシのそばをひらひらと漂い回る。


「君も生まれ変わったら、進路を決めてくださいね」

 

 少年は魂のない人形と化していた。

 こちらを瞬きもせずに見ているだけで、そもそもアタシが彼の視界にいるのかも怪しいくらいに、もぬけの殻となった光を帯びない眼球と目が合うだけ。

 服膺作業をする上では避けられない反応ではあるが、さっきの宝石眼を拝めないなんて勿体無いと思うばかりだ。

 アタシはメモ帳とペンを胸ポケットに戻す。


「ボ…クは…」


 正直、返答してくるとは微塵も思っていなかった。

 彼に目線を当てると、苦悶の表情を浮かべて何かを言おうと必死だった。

 どんな言葉が放たれるのか、アタシは待つことにした。


「…ない」

「何がないんですか」


 上手く聞き取れなかったから、アタシが問い返すと彼は今までのあどけない顔や仕草をかなぐり捨てて、口角を尖り上げ不敵に笑っていた。


「ボクは…死なない」


 お互いの耳を繋ぎ走る糸が解れはじめた。

 切れてしまっては、また結び直すまでが面倒だ。

 アタシは少年の胸倉を右腕で掴み、テーブルに引き倒した。

 彼のこめかみに左の人差し指を突きつけ「枯喰かれはみ!」と吐き捨てると左腕ごと弾かれて、アタシは椅子ごとよろめく。

 人差し指の皮が切れて血が滴った。

 少年はテーブルに突っ伏したまま起き上がらない。

 抵抗されたが、問題なく作用したようだ。

 珍しくあの人が雑用を頼んできたと不思議に思っていたけど、勘繰っておいて正解だった。


「君、灰汁なんですね」


 アタシはボードに挟んだ紙カルテをくしゃくしゃと丸めて飲み込んだ。


『自律服膺に移行します』


 無機質な女性のアナウンスが発せられた。

 少年の身体が無重力下にあるみたいに浮かび上がる。

 薄ら開く双眸がアタシを離さない。

 天井高くまで到達した彼の身体が縮んでいく様を見届ける。

 これは準備、生まれ変わるための巻き戻し。

 服膺とは、初期設定に通ずる作業。

 アタシは耳の糸を外してあの子を手繰り寄せる。

 腕の中に収まった裸の赤ん坊を抱き締めた。


「もういいですよ」

『作業終了いたします』


 彼が着ていた患者服が地面へ虚しく落ちた。

 ボードを手にして、アタシは東屋を後にする。

 石畳を叩く下駄音が寂しく反響していた。

 東屋とは反対側へ歩き進むと、斜めに固定された巨大鍋が横並びに10台置かれている。

 蓋が閉じているものもあれば、こちらに中身を晒して湯気を出しているものもあった。

 鍋の中にはすでに何かしらの透明な液体が入っていて、具材はひと目で何か分からない物体がゴロゴロ詰まっている。

 アタシは手近な鍋に赤ん坊を入れた。

 得体の知れない具材が布団の代わりになっている。

 赤ん坊の耳から垂れた糸を、お臍に指を入れて繋ぎ直す。

 鍋の蓋を閉めて、横にあるパルプを回した。

 自動車のエンジンが振動するみたいに鍋がガタガタと揺れだす。


『ホストが消失したため、環織かんしを解きます』


 次の瞬間、ペンタスの花畑に囲まれた自然は消え去った。

 代わり映えた光景は、灰色の壁に囲まれたアタシの自慢の研究室。

 大小様々なパイプが室内に入り乱れて、トンネルの通路が出来上がっていた。整理は行き届かず、机の上や床に書類が山積みになり、何のために揃えたのか思い出せない機材が散乱している。

 巨大鍋の一群が部屋の面積の大半を占めていて窮屈ではあるが、アタシはその閉塞感に快感を催している。

 

「鷺ノ所長、服膺は終わりましたか」


 パイプトンネルを潜り抜けて助手がやってきた。

 アタシより背の高い骸骨のような細身の男。

 

「つつがなく。調子はどうですか」

「灰汁が想定以上に発生しました。歩留も褒められたものではないので、ワンウェイへの転用を考えております」

「了解しました。原因は分かっていますか」

「目下調査中ですが、おそらく悪さをしている端材があります。それが溶解時に他を巻き込んだかと」

「アタシも確認したいので工場へ向かいましょう」


 助手を引き連れて、パイプトンネルを通り抜ける。

 その先、左側の入隅にあるリフトに乗り込み、階下へと向かう。

 全面ガラス張りの昇降路をゆっくり降下していく。

 リフトの作動音が振動に伴って身体に負荷をかける。

 ここから見る景色は格別だ。

 一面に広がるのは黒いカーテンで仕切られたような暗闇の空間。

 その中に無数の光たちが、星の輝きを内包した多種多様な色を携えて鎮座する。

 アタシの宇宙が眼前に広がっていた。

 無意識に自分の下腹部を摩ってしまう。

 今日は4月9日、もし君が誕生日を祝うならその日付になるでしょう。


「待ち遠しいですね、子供の成長は」


 無明の宇宙で数多の蛆が光に絆されていた。

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