第27話 最後の選択
鈍い衝撃とともに、クロノスの通路に侵入した、赤い異形の兵器が姿を現す。
蜘蛛のような八脚を広げ、要塞の壁をなぞるように滑るその機体は、まるで生き物のような動きを見せながら、一直線に走った。
帝国兵士たちの怒声と警報が鳴り響く中、ブラッドペインは、ただ飛翔核を目指して進む。
迎撃のために布陣された小隊が通路を塞ぐが、その抵抗はまるで歯が立たない。
照準すら定まらぬうちに、兵の身体を槍弾の嵐が襲う。
脚部の先端が閃くたびに、近付く敵を天井へと跳ね飛ばし、叩きつけた。
ブラッドペインは外周の全飛翔核8基を破壊し、クロノスの大部分は崩れ去った。
だが、まだ完全ではない。
要塞の心臓たる中枢には、ひときわ強力な、最後の飛翔核が存在する。
――それには、帝国の天師が翔力を供給しているはずだ。
ブラッドペインは、天師が待つ、その場所へと向かっている。
中央区画は、外郭よりも厳重に封鎖されていた。
隔壁や防護扉が多く、簡単には侵攻できない構造だ。
通常兵装では損傷が困難な障害物の厚みに対し、主砲による強引な突破法がとられた。
轟、という音とともに、大型の槍弾が撃ち放たれる。
至近距離からの一撃は、扉の中央に着弾。
重厚な金属をえぐるように熱が走り、構造材を打ち飛ばす。
爆風が吹き荒れ、視界を埋める煙の奥に、黒焦げの穴が開いた。
続き、ブラッドペインは、防護扉の砕けた開口部へ脚を伸ばす。
焼け焦げた破片が脚に絡みつくが、構うことなく力任せにこじ開けた。
脚部の装甲が軋みながら動き、穴を押し広げていく。
内部は巨大な空間だった。
無数の制管と、支柱が走る円形の部屋。
中央には、空中要塞を支える最後の飛翔核が鎮座している。
天師の控える場所。
――なのだが、座席にそれらしき人影はない。
かわりに、クロノスには不釣り合いな、本棚やピアノが置かれている。
旋回し、あたりを見渡した――その瞬間。
ブラッドペインは、突如として脚を止めた。
動きが、途絶える。
八つの脚が床をかすかに擦った後、完全に沈黙した。
装甲表面の制管が光を失い、内部がゆっくりと放熱していく。
動力を失った深紅の機体は、まるで狩られた獣のように、機能を停止した。
周囲にある天井の高い構造体は、軍事要塞のものとは思えないほど美しい。
部屋の隅のピアノから流れる音色だけが、残響となって空間を満たしている。
それは心安らぐ曲調だった。
クレンがゆっくりと、ブラッドペインのハッチを開けた。
機体から身を乗り出し、まずは警戒するように、周囲を確認する。
異常がないことを確かめると、彼女は静かに後部座席へと顔を向けた。
「……コルデナ。よく、頑張ってくれたわね。
おかげで、ここまで到達できたわ。
少し待ってて……すぐ終わらせるから」
――――その呼びかけに、返事はない。
コルデナは息をせず、静かに目を閉じている。
彼女の頬には、まだ微かな赤みが残り、まるで眠っているかのように、穏やかな表情をしていた。
苦悶の跡はない。
満足げな微笑みだけが、そこにあった。
クレンはそっとコルデナの髪を撫でると、名残惜しそうに顔を背けた。
決して感情を乱さず、彼女らしい強さを保ったまま、機体を降りる。
「ようこそ。ここは城母(じょうぼ)の間だ」
カイネスが、鍵盤から手を離して言う。
セフェカを連れて、クレンはブラッドペインの足元へ立った。
その視線の先には、ピアノに向かうカイネスの姿。
この場に似つかわしくない旋律と、怪しげな男の存在に、彼女はわずかに眉を寄せる。
「クロノスの天師はもう、いないのね」
クレンは室内を一瞥し、周囲を確かめるように目を細める。
「さっき逃したさ。
敵に渡すわけには、いかないだろ?
……天師のお前には、わかるはずだ」
カイネスは、クレンを真正面から捉えていた。
その容姿から、一目で彼女が天師であることが察せられる。
「……まぁ、いいわ。
私の目的は完全に果たしたから」
クレンの肩から力が抜ける。
張り詰めていた緊張の糸が緩み、達成感と疲労が入り混じったため息が漏れる。
「クロノスを破壊することか?」
カイネスの問いに、クレンはわずかに口元を歪めた。
その笑みに皮肉を含ませながら、答える。
「そうよ。完遂でしょう?」
「間違いない」
カイネスの口調は穏やかだったが、内なる心境は複雑だった。
敵ながら、大きな事をやり遂げたという事実に、ある種の敬意すら覚える。
「よくもこんな、ろくでもない要塞を作ってくれたわね」
クレンは天井を見上げ、忌々しそうに語る。
ところが。
「――――お前らが設計したものじゃないか。
我々はそれを盗み出して、いち早く建造しただけだ」
突然、カイネスの口から明かされた真実に、室内の空気がひやりと変わった。
クロノス――その構想の出どころは、敵国フォーラ王国。
クレンのような王族や、一部の上層部しか知らない、皮肉な話だった。
「短期間でアレを建造できる、帝国の物量はすごいわね。
自分たちの考案した兵器に、これほど苦しめられるなんて、ほんとバカみたいな話だわ」
彼女は唇を噛む。
敵に技術を転用され、それが味方に牙をむいた。
この屈辱は、永遠に忘れられない。
「そもそも戦争ってのは、話し合いで解決できない、バカ同士の殴り合いだからな」
カイネスが肩をすくめて苦笑いする。
一応、彼なりの慰めの言葉だった。
――しばらくの沈黙。
「で、これからどうする?」
不意に口を開いたカイネスが、クレンの様子をうかがう。
「どうするも何も、ここで終わりよ。
クロノスはもう陥落したもの」
彼女の声は冷ややかだったが、その奥底に、微かな寂しさがあった。
この後、クレンに待ち受ける運命は、クロノスとの心中だ。
「このままだと、お前も死ぬぞ?
いずれ翔力が尽きて、ここも落下するだろうよ」
カイネスが淡々と告げる。
帝国の天師はすでに不在。飛翔核の活動も限界を迎えつつある。
「…………」
クレンは考え込む。
視線は伏せられ、思考が深く沈んでいく。
「待ってるヤツとか、いるんじゃないか?」
遠回りに、説得するカイネス。
言葉の裏にある意図を感じ取りつつも、彼女はあえて反応を返さない。
心理戦。相手の誘導に、乗るわけにはいかない。
「だから、なに?」
一瞬、脳裏に浮かんだセラや仲間たちの顔を、彼女はかき消すように首を振った。
そう簡単に折れてたまるか、という意地が見え隠れする。
「クロノスの仕様は知ってるはずだぞ。
設計した側が、把握してないわけないしな」
カイネスがさらに言葉を重ねる。
正論だけを突きつけるその語り口が、逆にクレンの神経を逆撫でした。
「なんでも見通してる感じで、腹が立つわね」
忌々しげに吐き捨てながらも、彼女の意思は揺れる。
「クロノスは海上に浮く仕組みだ。
それなりの翔力で、ゆっくり着水すればな」
再度の誘導。
カイネスは、彼女に生きる選択肢を示している。
――だが、クレンも理解していた。
自分が、帝国の逃げた天師の代わりに翔力を供給すれば、クロノスは落下せずに済む。
彼女にだって、同等の翔力はあるのだ。
「癪だけど、無駄死にするつもりもないから、仕方ない、か。
……コルデナも、連れて帰ってあげたいしね」
小さく息を吐きながら、クレンはややぶっきらぼうに折れた。
コルデナの遺体の事もあって、気持ちの整理がついたようだ。
――。
城母席に座るクレン。
深く背を預けると、すぐに彼女の翔力が制管を走った。
低く唸るように響く音が部屋を満たし、要塞はゆっくりと海面へ向けて降下を開始する。
――――数刻後。
クロノスは慎重に着水した。
あまりの巨大さから、海に大きな波となって波紋が広がる。
その光景はまるで、浮島が1つ沈んだかのようだった。
要塞周囲に、渦巻く海流が反発し、白波が幾重にも弾けた。
天高く飛沫が舞い上がり、雨のように降り注ぐ。
厚い外壁に打ち返された水は、衝突音を残して霧と化し、空気に冷ややかな湿りを運んだ。
揺れながら浮かぶクロノスの残骸上で、両者は無事を確認した。
潮の香りが鼻をくすぐり、生きている実感が沸き上がってくる。
――。
気が付くと、頭上にノーネームがいる。
その堂々たる艦影が、光を纏いながら現れた。
「お迎えも来たじゃないか。
すでに戦場から退避したものだと思っていたがね」
カイネスが驚きの声を漏らす。
見上げる彼の視線の先には、しだいに降下する超大型戦艦が迫る。
「頼れる子よ。絶対に助けに来てくれるって、信じていたわ」
クレンが誇らしげに言った。
フォーラ王国もう1人の天師――セラが、自ら駆けつける。
初代の英雄、リゼは孤独に戦い敗北した。
しかし、その遺志を継いだ2人の英雄は、ついにクロノスを海に叩き落とした。
彼女らの偉業は歴史に記され、何百年も後世の人々の記憶に、残り続けることだろう。
―― これは、蒼空と月夜、両天師が紡いだ物語 ――
[おわり]
蒼空のファントムドール ~にわか聖女の異世界AI空戦記~ 林鐘オグラ @rinogu
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