第23話  深紅の兵器


 ――――停泊中のノーネーム艦内。

 ――ブラッドペイン格納庫。


 薄暗い格納庫に、真っ赤な金属の塊が静かに鎮座していた。

 大きさは、一般的な子供部屋程度。圧倒的な重量感と圧迫感を放つ、流線型の機体。

 艦内灯が照らす輪郭は不気味に沈み、狩りをする前の獣のように、ただじっと息を潜めている。

 ブラッドペイン――それはクロノス攻略のために生まれた、特殊な戦車だ。


「……本当に蜘蛛みたい」

 初めて目にしたセラの感想だ。


 本体から伸びる特徴的な8本の脚が、確かに蜘蛛のように見えた。

 脚先に埋め込まれた小径の車輪は、艦内通路を高速で滑走するためのもの。

 要塞内での機動戦闘に特化された構造が窺える。


 胴体全面には、無数の小型槍弾の発射口が備えられており、全方位への攻撃に対応。

 底部に主砲1門、フロントに副砲2門が固定され、施設の破壊を行う。

 この兵器が動き出せば、どの方角にも死角がなく、大小さまざまな標的を破壊できるはずだ。


 だが、最も革新的なのは、その内部構造だった。

 ブラッドペインは、搭乗する2人の翔力を小型の飛翔核で融合し、動力に変換する仕組みを持つ。

 大気の翔力が途絶えたクロノス内部で、人の翔力そのものを兵器の糧として運用するための技術である。


 ただ、そうなると、セラにとって気になる事も出てくる。

 ――クレンのパートナーが誰か、という疑問だ。


 彼女がそんな事を考えていると。


「なんか、禍々しい外観ですこと」

 突如、背後から声が響いた。


 セラは咄嗟に振り向く。


 薄暗いブラッドペインの格納庫の奥、影を縫うように現れた少女が、静かに立っていた。

 淡い照明が、その美しい金髪を、かすかに浮かび上がらせる。


「コルデナさん?!」

 まさか、ここで彼女に会うとは、予想もしていなかったセラ。

 驚きで相手の名前を叫んでしまう。


 対照的に、コルデナは冷静だ。

「ごきげんよう。

このような大きな艦を任せられて、立派になられましたわね」

 彼女の声には、皮肉や嫌味の色はなく、穏やかな雰囲気だけがある。


 セラはほっと息を吐き、小さく微笑んだ。

 褒められたのが嬉しく、胸がじんわりと温かくなった。


「ありがとうございます!

きっと、すぐにコルデナさんも、艦母になれますよ」

 純粋なセラの返答に、コルデナはばつが悪そうな顔をする。


「……どうかしら。

私は体が弱いですもの。

艦母の激務に、耐える自信がありませんわ」

 自嘲的な響きが、言葉の端に滲んでいる。

 病弱さゆえの自信のなさ、それに伴う諦めを、彼女自身が痛感しているのだろう。

 いつも毅然としているコルデナの消極的な様子に、セラの心も痛む。


「それでも、私はコルデナさんの優秀さを知っていますから。

いつか、一緒に戦場へ出たいです」

 セラは引かずに、正直な気持ちを口にした。


 コルデナの瞳がわずかに揺れ、視線を床に落とす。

 沈黙が短く流れたあと、彼女はわずかに微笑みを浮かべた。


「嬉しいことを言ってくれますのね」

 ほんのりと彼女は頬を染める。


 しかし、微笑みはすぐに消え、コルデナは言いにくそうに視線を彷徨わせ、意を決してから口を開いた。

「……ワタシ、今のうちに、セラさんに謝らなければならないことがありますわ」


 胸元では、指先が微かに震えている。


「なんですか?」

 セラは空気の変わり目を感じ取り、優しく誠実に問い返す。


「アナタが学院に来たばかりの頃、とても無礼な振る舞いをしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

――ずっと、この事が胸につかえていて、謝罪の機会をうかがっておりましたの」

 そう告げると、コルデナは深く、深く頭を下げた。

 彼女の髪がさらりと流れ、細く華奢な肩が落ちる。

 

「もう、忘れたことです。

その後、コルデナさんは、私にすごく良くしてくれました」

 セラは咄嗟になだめた。


 しかし、コルデナは顔を上げ、小さく首を振った。

 その表情には、後悔の念が色濃く宿っている。


「いいえ。アレはワタシの未熟さが招いたこと。

なかった事にはなりません。

当時、セラさんの天師という身分や、英雄の娘という立場、その翔力の高さに嫉妬し、つい、心無い言葉を放ってしまったのですわ」

 言葉を吐き出すように語り終えたコルデナの眼差しが、真摯にセラを見つめていた。


「……ワタシだって、この国やお姉様のお役に立ちたい。

それなのに、病弱な自分では充分に力が発揮できず、いつも中途半端に終わってしまう。

すべてを手にしているアナタが、とても羨ましかったんですの。

本当に悔やんでおりますわ。許していただけるかしら?」

 普段の凛とした姿は影を潜め、今は一人の弱々しい少女としての本心だけが残っていた。


「もちろんです。

私、今のコルデナさんが大好きですよ」

 セラは少しもためらうことなく、真っ直ぐな視線で告げた。

 彼女にとって、コルデナはすでに姉のような存在だ。


 あまりの直球な発言に、コルデナは少し横を向いて頬を染める。

 静かな格納庫に流れ込んだ沈黙は、もはや痛々しいものではなく、穏やかで暖かな余韻へと変わっていた。



「ここで、アナタに会えてスッキリしましたわ。

これで、心置きなく任務が全うできます」

 コルデナの声には、安心と何らかの決意が表れている。


 それを感じ取り、セラもある事に気付く。

「……コルデナさんも、ブラッドペインに乗るんですね」


 彼女の問いかけには、予感が間違っていてほしいという願望と、胸の奥に潜む期待が混在していた。


 だが、コルデナはそれを解していないような、堂々とした態度をする。

「ええ。クロノスを断罪できる事、とても誇りに思いますわ。

ワタシの、一世一代の大仕事になるでしょう」

 そう言葉を発しながら、凛と背筋を伸ばした。


 その瞳には、運命を受け入れるという、確かな闘志が宿っている。

 もはや、誰にも口出しができない雰囲気だ。




 ――――セラが艦橋へ呼び出され、格納庫を去った後。


 奥に隠れて見守っていたクレンが、ゆっくりとした足音と共にコルデナへ近づいた。

「もう。思い残すことはないかしら」


 彼女の沈んだ表情は、複雑な心境を含んでいる。

 自分の計画に、他人を巻き込むことには、抵抗があるようだ。


 それでも、ブラッドペインには搭乗者が2人必要だという事実は変わらない。  


「はい」

 コルデナは迷うことなく頷き、短く答えた。

 揺らぎのない誇りに満ちている。


 逆に、クレンは。

「コルデナ、付き合わせてごめんなさい」

 声がわずかに震え、心の内に秘めた申し訳なさが漏れ出す。



 その様子を見ながら、コルデナは首を横に振る。 

「ワタシの余命は残り少ないのです。

――最後に、お姉様が生きる意味を与えてくださった。

もう、感謝しかありませんわ」


 彼女の顔は晴れやかで、淡い光を放っているようだった。


 ――自分に残された寿命は少ない。

 それは医学的に、コルデナに下された宣告だ。


 彼女は血を吐き、痛みに苦しみながら、今まで病に抗ってきた。

 その中で、絶えず己の存在意義と向きあってもきた。

 病弱な体は、彼女の人生の中で、常に高い壁となって行く手を阻む。

 しだいに、諦めること、失敗することに慣れてしまった。

 自分に期待することもやめた。


 そうやって、日々を過ごしていたコルデナに、突如、本作戦『バグインフェスト』の話が持ち込まれる。


 国を守り、敵国を退ける使命。

 たくさんの人々を、その手で救える機会がおとずれたのだ。

 彼女は、迷うこともなく、一直線に飛びついた。



 クレンは視線をわずかに逸らし、小さく深呼吸をすると、心の内に秘めた真実を口にした。

「セラには黙っている事だけど……。

ブラッドペインには、飛行機能がないの。

任務が終われば、クロノスの崩壊に巻き込まれてしまうかもしれない。

コルデナ、本当に悔いはない?」


 一瞬、格納庫の空気が張り詰めた。


 しかし、コルデナは揺らぐことなく即座に答えを口にした。

「愚問ですわね」


 ブラッドペインの仕様はすでに聞いている。

 空の戦場で飛行できない兵器に乗り、生きて戻れる可能性は低いだろう。

 それでも、ベッドの上で何も成す事なく、死ぬよりはずっとマシだ。

 最後に、命の炎を燃やし尽くす覚悟はできている。

 

 コルデナの姿勢は、クレンにも伝わり、勇気を与えた。


「私のほうが、弱気になるなんてね。

コルデナは本当に頼れる子だわ」

 彼女はそう言って、小さく笑みを浮かべながらも、自分自身への皮肉を隠し切れずにいる。


 珍しく不安や緊張を抱えているクレン。


「今さら、お気付きですの?

でも、お姉様に信頼されて、とても光栄ですわ」

 コルデナは穏やかに微笑み返し、場を和ませる。


 その後、2人の視線が、再びブラッドペインに向けられた。

 無言のまま佇む真紅の機体は、乗り手の決意を受け止めているかのようだった。


「頼むわよ。ブラッドペイン!

リゼ様と、私たちの願いを叶えてちょうだい」 

 クレンが語りかけた。


 ブラッドペインは沈黙したまま、眠りについている。

 だが、目覚めたその時、クロノスは内側から食い破られることになるだろう。

 それは兵器というより、リゼの怨念が作り出した災厄だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る