第16話 誤解と告白
アリーセの問いに、エドゥアルトの顔色が変わった。
「施し……? 違う、俺はそんなつもりじゃ──」
「じゃあ何? あなたは私を顔も見たくないくらい嫌っているのに、なぜ私にここまでしてくれるのか分からないの」
アリーセがエメラルドの瞳で見つめると、エドゥアルトは愕然とした表情でうわ言のように呟いた。
「俺が……君を嫌っている? なぜそんなデタラメを……」
「デタラメじゃないわ。直接聞いたもの」
「直接? 俺が君にそう言ったというのか?」
「そうではないけど……。あなたが訓練場で他の人と話しているのを聞いたの」
あのときのことを思い出す。
エドゥアルトと彼の友人が嘲るように話していた言葉を。
──ほら、よく会ってるじゃないか。あの借金だらけの侯爵家のヤバい子。あの子きっと、お前に好かれてると思ってるんだろうなあ。義理で付き合ってやってるとも知らずにさ。
──……そうだな。本当に迷惑だ。できれば一生顔を合わせたくないんだが。まあ、無理な話か……。
知らない人に貶されるのもショックだったが、エドゥアルトがそれに同調したことのほうが、もっと悲しくて辛かった。
「その人の言うとおり、私はあなたが義理で付き合ってくれているなんて知らなかった。ずっと勘違いしていたの。今さらだけど、迷惑をかけてごめんなさい」
エドゥアルトの顔を見れずに俯いて謝ると、彼の椅子が倒れる音が聞こえ、気がつくと隣に立っていたエドゥアルトに手を取られていた。
「違う、誤解だ。あれは君のことを話していたんじゃない」
「誤解……?」
「そうだ。侯爵家の娘は君以外にもいるだろう? あれは君の妹モニカの話だった」
「で、でもあのときモニカにはお付き合いしている令息がいて……」
「じゃあ、あわよくば俺に乗り換えようとしていたんじゃないか? とにかく当時はよくモニカが馴れ馴れしく絡んできてうんざりしていたんだ。でも君の妹だから無下にもできなくて困っていた」
嫌な出来事を思い出したのか、エドゥアルトが不快そうに眉間に皺を寄せる。
「そう、だったの……?」
まさか妹がエドゥアルトを狙っていたなんて知らなかった。でも、モニカならやりかねないとも思ってしまう。妹はいつも令息たちに好意を寄せられていたから、エドゥアルトも押せば手に入ると思っていたのだろう。当時付き合っていた伯爵令息では物足りず、見目麗しく地位も財産もあるエドゥアルトを落とそうとしていたとしても不思議ではない。
アリーセは、そこではたと気がついた。
あのときの真実がそうだと言うなら……。
「あなたは私を嫌ってはいないということ……?」
その問いに、エドゥアルトはもどかしそうに目を細め、アリーセの手を強く握りしめて答えた。
「君を嫌いになるはずない。昔からずっと、君は俺の大切な人だ。君を、愛おしいと思っている」
エドゥアルトの言葉が耳に響いてこだまする。
たった今、長い間の誤解が解けた。
彼はアリーセを嫌っていない。それどころか、愛しいと思っていてくれた。
(ああ、そんな……)
アリーセの瞳から、すうっとひとすじの涙がこぼれ落ちた。
黒い気持ちが流れ出た、美しくない涙が。
「アリーセ……?」
泣き顔に触れようとしたエドゥアルトの手を、アリーセが顔を背けて避ける。
「……やめて、私に触らないで」
ああ、また酷い言い方をしてしまった。
でも、きっとこのほうが彼のためにいいはずだ。
エドゥアルトへの気持ちは、たぶん、いやしっかりとアリーセの中に残っている。蓋をすればそのうち消えると思っていたが、そんなに単純なものではなかった。
(互いに想い合っていたと分かって喜ばしいことのはずなのに……胸が苦しくて仕方ない)
自分にもエドゥアルト結ばれるチャンスがたしかにあった。けれどそれは、アリーセが「侯爵令嬢」だったらの話。
今のアリーセは四十歳も年上の伯爵の後妻になり、初夜に夫を亡くした未亡人。それにアリーセが去ったあと、伯爵家の人々は全員命を落としてしまった。まるでアリーセが死を呼んだかのように。こんな醜聞まみれで薄気味悪い女は、公爵であり英雄であるエドゥアルトには相応しくない。
(どうしてこんなことになってしまったのかしら……。私があのとき誤解しなければ。お父様が借金をしなければ。グランホルム伯爵家に買われたりしなければ──)
ぽろぽろと涙を流し続けるアリーセを心配しながら、けれど触らないでと言われて手を出せないエドゥアルトが、せめてもとハンカチを差し出す。
しかしアリーセは、彼のハンカチを受け取らなかった。
(今の私はエドゥアルトに優しくされても心から喜べない。悔しくて切なくてどうしようもなくなってしまう)
いつか願っていた瞬間が現実になったのに。
それを拒絶するしかない己の境遇を呪わしく思わずにいられない。いっそのこと、彼の気持ちなんて知らなければよかった。
「……ごめんなさい。私があなたを愛することはないわ、絶対に」
必死に絞り出した言葉で、アリーセはエドゥアルトの告白を終わらせたのだった。
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