魅了の瞳と狭苦しい棺桶について

無限 舞楼

魅了の瞳と狭苦しい棺桶について

 魅了といえば、フィクションではそこそこ有名な能力だ。

 視線、キス、歌声、香り、魔法薬、装身具――そういった何やかんやで、相手に恋心を抱かせたり言いなりにしたりする、あれである。


 フィクションにおける魅了は架空のキャラ付けにすぎない。しかし現実に魅了の力を持つ者も、人間社会に紛れてひっそりと存在している。

 例えば、人血を啜る吸血鬼。例えば、性交が糧のインキュバスやサキュバス。生気を奪う幽鬼。迷い人を絞め殺して養分とするアルラウネ。

 広義の『人喰い』が存続のために獲得してきた能力だといえる。

 わたしも、その一人だ。




 アパートのドアが、見計らったように内から開いた。しがない吸血鬼たるわたしはタイミングの良さに驚きながらも、余裕たっぷりの澄まし顔をキープする。

「今日は遅かったね。ずっと待ってたのに……」

 出迎えた若い女は、焦燥と混濁が同居した、どろりどした目をこちらに向けている。わたしは適当にいなしながら手を引かれて玄関をくぐり、忘れず鍵を締めておく。

 彼女は迷うことなく寝室に直行した。ベッドに性急に腰掛け、両腕を広げて馴染みの行為を促す。

「ね。早く、して?」

「しょうがないなあ」

 やれやれと肩をすくめ、わたしは至近距離で両の眼を覗き込んだ。


 一括りに魅了といっても、種族や手段、個人差で効果は様々である。わたしの魅了視は、相手の意識がわたしだけに集中するという、直接の強制力は低いが汎用性のある能力だ。

 多分プレゼンとかに強い。吸血鬼だから企業に日中出勤するのは厳しいし、営業回りなんて論外だけど。通信越しじゃ効かないから、リモート勤務で活用するのも無理だけど。

 瞳孔から相手の脳に、魔力を押し込み浸透させるイメージ。ほうっと力の抜けていく女から視線を離さず、魅了の強度を限界まで上げていく。

 以前、本人に掛かる側の感想を訊いたことがある。『貴女以外の全てがもやに覆われて……それもすぐに意識から抜け落ちて。貴女の声、貴女の姿、貴女の触れる感触しか、分からなくなる』――のだそうだ。生まれ持った力の仕組みなどよく知らないが、感情や思考ではなく感覚に作用するものらしい。


 完全に術中に落ちた女の首筋に齧りつく、ことはない。適当にベッドに横たえ、布団を被せてやり、わたしはとぼとぼに向かった。




 彼女は食餌ではなく友人、ルームシェア相手だ。吸血鬼と人間という別種族ながら生活時間やノリの合致で仲良くなった。出会いこそ吸血狙いでわたしから声を掛けたが、結局一滴も味わっていないのだからもう時効だろう。

 では、何故、魅了などを掛けるのか。


「……理不尽だよね」

 狭苦しい棺桶ねどこの中でぶつくさと呟く。内部は諸事情によりぎゅうぎゅうで、蓋を閉めればもうじろぐ隙もない。虚しさと共に固く目をつぶる。

 やがて、忌々しい爆音、怒号、振動が、棺桶に敷き詰めた防音材と緩衝材を貫通してわたしの鼓膜を揺らし始めた。

 なんということでしょう。隣地の古い団地がマンションに建て替わるのだ。今は取り壊しの真っ最中で、完成まではあと一年以上も工事が続くのだ。

 ああ――。

「うるさい! うるさい!! うるさーい!!!」

 本来、視線を離せば十数分で解けていく魅了視が、意識を失っている間は効果が減衰しないことを発見した時の『グリッチじゃん!』とかいうあいつの馬鹿笑い。それをまんまと利用して自分だけ熟睡する神経。わたし以外への感覚が極度に鈍くなっているせいで、日没後には目覚まし代わりになってやらねばならないこと。

 なのにわたしだけが睡眠不足に悩まされている現実。

 轟音。轟音。轟音が響く。


「引っ越そう、そうしよう……」

 週末に、彼女を説得をしよう。魅了全開でプレゼンしよう。

 憤りにぷるぷる震え、新居の条件を頭の中で捏ねくり回し、わたしは今日も眠れぬ昼を過ごす。




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