どうやら容姿と口調の鋭利さから想像するより抜けていたらしい陰陽師は、名を平野真遠(ひらののさねとお)と言った。


 この京は南北に通るだだっ広い朱雀大路という街路によって東西に二分されており、北端に位置する天皇の宮城から見てそれぞれ左京、右京と呼ぶ。

 また京全体が大路・小路という街路によって碁盤の目状に区切られており、牛車の行き交う広い街路の両脇には側溝があって、そこから一定の空間を確保した外側にごみごみした宅地を他人の目から隠す障壁として塀が造られている。

 主要な大通りに面した邸宅の場合、美観を損ねる門を構えることは不遜なのでたいていは塀に勝手口を作り付けてある。

 法師陰陽師の首が晒されている左獄は左京一条にあり、京の東西に設置されている獄舎の東側である。

 京の北端の官庁街である大内裏を出て、そう遠くはない左獄を目指して歩きながら、真遠が口火を切った。

「まず陰陽師として俺が保証できる部分は、はっきり伝えとく。ひとつ、あの法師陰陽師が呪詛の犯人だと示した安先生の占いに間違いはない。ふたつ、安先生は今回、蔵人頭の救助には動かない。代わりに目くらましとして検非違使庁を痛烈に批判するだろう。そしてみっつ、安先生は今回の悲劇を招いたのは検非違使庁が執行した死刑の手順に落ち度があったからで、別の人間による呪詛などではないと考えている。この三点だ」

「最初のひとつにしか素直にうなずけねえな」

 陰陽師の理屈など知るよしもない尽時は、一向に釈然としない。

「百歩譲って、本当に検非違使庁の不手際が原因で厄介な事態になってるんだとしても、いったんとにかく病床の蔵人頭を見舞って、何かしらの術を試してやってから抗議なり何なりしろって話じゃねえか。当代一の陰陽師の看板はお飾りかよ?」

 真遠に痛烈な指摘を食らった今でも、いまいち蔵人頭に親身になる気が起きない尽時が言えたことではないが、天下の安先生が聞いて呆れる薄情っぷりじゃないか。

 すると真遠が白けた感じで、

「まあお飾りとまでは言わないが、歴代の天文博士たちと比べるとかなり見劣りはする。一昨年までは安先生に勝るとも劣らない陰陽師も何人かいたしな」

 尽時は一瞬目を丸くしたが、すぐ真遠のこの物言いに納得した。

「あー……おまえ、学生にすら安先生を嫌ってるって認知されてる筋金入りだもんなぁ。安倍と賀茂が要職を世襲してる現状に、おまえとしても忸怩たるものがあるわけか。評価が辛口になるのも分からんでもねえがな」

 どうせ陰陽師どうしの権力闘争が背景にあるんだろうと、得心いったとばかりにあごを撫でる尽時の頬に、すかさず冷たい視線が刺さる。

「そんなつまらん嫉妬で上司の悪口を言うと思うのか? 俺が?」

「いやそもそも上司の悪口言うなよ、俺でもやんねえぞ」

 さっき出会ったばっかで、おまえの人格なんか知らねぇしよ。

 尽時は会心の一撃のつもりだったのだが、真遠はふんとそっぽを向いて全然響いた様子がない。

(こいつ……)

 正論で言い負かされないとなると、いよいよ口げんかにおいては敵無しの性格をしている。こいつを相手に溜飲を下げるのは、ほぼ不可能と見たほうがいいかもしれない。


「安先生はな、『ダメ元でも何かしらの術を試してやる』なんて親切な男じゃない」

 真遠は何事もなかったように話を仕切り直す。

「人の生き死にがかかっていようが、関白左大臣御用達の安先生の華々しい経歴に『術を試したが効果はなかった。依頼人は為す術もなく死んだ』なんて汚点は残せない。だから自分は引っ込んでおいて矛先を検非違使庁に向け、周りが使庁を責めてる間に勢いでなあなあにする気なんだよ」

「だからよぉ、その理屈は? 今回また蔵人頭が呪詛に倒れたのは、安先生の手抜かりや力不足のせいじゃなく、呪術なんかまるきり専門外の検非違使庁の不手際が悪いんだって、そんなの恥知らずな責任転嫁にしか聞こえねえ。勢い任せに難癖つけたって、海千山千の左大臣や主上は騙せねえだろ。どう理屈をつけんのよ?」

 実は真遠は、安先生憎しで偏った意見を主張しているだけではないのだろうか。

 個人的な偏見で検非違使庁ごと渦中に立たされてはたまったものではない。

 そこが尽時の一番の引っかかりだと理解している真遠は、素直に応じ、

「先に安先生が自分に非はないと主張する根拠を説明しといたほうがいいな。ここからは陰陽師の論理になるからおまえには難解だとは思うが、結論から言うと、娘を殺し、今も蔵人頭を苦しめているのは、死んだ法師陰陽師が放った式神(しきがみ)だ。でもすでに術者が死んでいるから、安先生も手をこまねいてる」

「…………死んだヤツの呪いが生きてるってのか?」

 結論から言ってもらっても意味が分からず、首をひねる。

 もちろん尽時は陰陽師の使う特殊な用語など知らないし、死んだ人間が今も悪さをしていると言われて、すんなり呑み込めるはずがない。

「つうか、しきがみ? って何だよ」

「陰陽師は式神を使うって聞いたことないか? 使い魔の一種だ」

 式神とは陰陽師に仕える一種の神使で、一般人の目には見えず、ふと姿を見せたと思っても自在に変化し、呪詛さえ主人の命で実行する強力な使い魔である。

 というようなことを真遠は説明し、ひねった首が戻らない尽時に「いったん最後まで話を聞け」と言い置いて続ける。

「おまえにはなじみのない話だし、ざっくり理解できれば充分だ。呪詛に式神を使うってことはまぁ……絶対に命令を遂行する、目には見えない暗殺者を雇うようなもんか」

「はぁ? 強すぎるだろそれ。みんな式神に殺されちまうじゃねえか」

 姿が目に見えないんじゃ検非違使では捕まえられない。

 どんな厳重な警護も無駄だ。

 人を呪うことに抵抗がなくて式神を使える陰陽師なら、誰でも天下を取れてしまうじゃないか。

 そんな馬鹿なと不満をあらわにする尽時に、真遠はうなずき、

「そう、強すぎる。そんな呪詛をかける術者を野放しにはできないから、力量が確かで呪詛を用いない官人の陰陽師を、わざわざ国が食わせてんだよ。式神を使って呪詛をかける手法は、術者と式神が一蓮托生になるところに脆弱性がある。より強い陰陽師に式神を打ち負かされると、憎い相手を呪い殺すどころか自分が死ぬ羽目になる。人の命を狙うよう設定された式神を陰陽師が無力化する主な方法はこれだ。いわゆる、呪詛返し」

「し、死ぬとこまでいくのかよ……じゅそがえし、って?」

 必死に馴染みのない陰陽師の理屈を咀嚼しながら、耳慣れない言葉を繰り返してみる。

 しかし尽時には、やはり安先生が動かないのが腑に落ちない。

 うーむと唸り、

「……分かんねーな。だったら安先生が、その『じゅそがえし』で蔵人頭を助けてやりゃあいいのに。今回の呪詛はその式神が使われてるっておまえは考えてんだろ?」

 真遠はうなずく。

「そう、今回は式神だ。だが、初めに蔵人頭にかけられた呪詛は、違う手法のものだった。この違いが、あの法師陰陽師が世に名高い安先生を出し抜いて呪詛を遂行するために考え出した作戦の肝だったんだ」

「……呪いの種類の違い?」

 困惑する尽時に、真遠は続ける。

「初めの呪詛は、蔵人頭の邸内に密かに埋めた単なる厭物……呪文を書いた皿を縄でくくったものに託して仕掛けた。これは式神ほど強力じゃないし、術者と一蓮托生でもない。蔵人頭は寝込んだだけで済み、法師も呪詛返しは食らわなかった。蔵人頭から依頼を受けた安先生は呪詛に対処したのち、発見された厭物を使った占いで犯人を特定。検非違使が法師を逮捕して、やがて斬首が決まった。結果、みんなが一件落着と思い込んだろ?」

「……そうか、それで油断させた?」

「誰も、法師が厭物の他にも京内に式神を伏せている可能性など、考慮しなかった……というか、一介の雇われ陰陽師がそこまでするとは普通思わない。安先生ですらな」

「最初の厭物は囮で、式神が本命だったってことか?」

 最初の作戦であえて失敗し、油断させて本命の作戦を通すのは理解できる。

 だが。

「でもそんな作戦、死んでまでやることか?」

 失敗するのが前提の囮の作戦に命をかけてどうするんだ、と尽時などは思う。

 真遠もそれを否定はせず、

「普通は、そうだな。さっき説明した通り、呪詛返しで式神を無力化するには、守り手の陰陽師が標的を殺しに来た式神と接触し、打ち負かして、式神と繋がっている術者を再起不能にしなきゃならない。裏を返せば、術者がすでに死んでいる場合、呪詛返しは空振りに終わるってことだ。つまり、死んだ人間が遺した式神は、無力化できない。法師ももちろんこのことを理解していた。だからこそ、あらかじめ死んでおいたのさ」

「……」

 真遠の話を聞くにつれ、尽時にも徐々に法師陰陽師の執念とも言える周到さが実感できてきた。


 標的の守りにつくのは天下の安先生だ。自分の呪詛は間違いなく看破される。法師はそんなことはハナから織り込み済みだった。

 最初は稚拙な厭物を使って「雇われただけの一介の法師陰陽師が命がけで式神まで伏せはしないだろう」という油断を誘い、自分の死をも計画に組み込んで、「そうと分かったときには安先生にすら式神を無力化する手立てが残されていない」状況を作り出すことだけを考えたのだ。

「実は式神ってものは、かなり機械的でな、融通が利かない。受けた命令を遂行しない限り自由になれない性質で、それは命令を発した当の雇用主が死んでいたって関係ないんだ」

 真遠が言う。

「たとえばこれは昔の話だが、競馬(くらべうま)の会場に狼藉者が乱入するのを防ぐために式神を伏せた陰陽師が、その任を解かないまま死んだところ、会場に夜な夜な謎の屈強な大男が現れては通行人を襲撃するという事件が相次いだ。主人の死後も、式神はこの会場に人を入れるなって命令を守ってたわけだ。『やたらめったら式神を伏せるな。伏せたら忘れずに後で回収しろ。万が一伏せたまま忘れていた式神が暴走したときに備えて、すぐ連絡が取れるように家を定めろ』って、官人の陰陽師が教え込まれるゆえんがコレだ」

「なるほどなー……」

 尽時は腕組みをしてうんざりと視線を天に放る。低い空に灰色の雲が層をなし、寒風にじわじわ流されていく。

「官人の陰陽師が法師陰陽師を毛嫌いしてんのって、てっきり商売敵だからだと思ってたが。税を逃れようと定住もせず、法師のなりであっちこっちふらついてる連中が、呪詛で稼ぐために無責任に式を伏せて、は別の土地に雲隠れしたりぽっくり死んじまうからだったのか」

「そういうことだ。やってられねぇだろ」

「おっしゃるとーりで」

 そういうことならそりゃ危険物扱いにもなるかと、尽時は真遠に初めて同情した。よそはよそで苦労しているらしい。

「……けどよ、真遠。これまでの話を聞く限り、やっぱ安先生が検非違使庁に抗議するのは無理筋だろ? 安先生が囮の厭物だけを見て、雑魚だと思って油断したのが悪いんじゃねえかよ」

 尽時がそう口をとがらせると、真遠はかぶりを振り、

「いや、安先生は自分の見立てに穴があったときのことも考慮して、最後の最後に念を入れておくのを忘れなかったはずだ。自分がかの安倍晴明(あべのはるあき)のような天才じゃないってことを自覚してるからな。俺は見物には行かなかったから判断の下しようがないが、尽時、おまえは分かるだろ。あの日、検非違使庁の処刑人は、どういう段取りで刑を執行した?」

「えっ?」

 いきなり言われても、あんな記憶、好き好んで思い出したくない。

 けれども真遠が退かないので、尽時は気が進まないながらも、目に焼き付いたむごい景色を思い出す。

「……処刑人を請け負ったのは俺の上司の橘経仲って男だが、どういう段取りで斬首したかって、別にふつうにやっただけだぞ……」

 河原に引き出されてきた法師の両脇を放免が固め、名を読み上げられたのを合図に太刀で首をはねた、それだけだ。

 手間取ったり、なにか失敗した者も取り立てていなかった。尽時が確認した時点では法師の首や遺体に異状はなかった。

 いつも通りの手順だったはず。

 どこか変なところはなかったかとうんうん唸っていると、真遠が見かねたように、

「……そんなに唸るなよ、思い出すだにおぞましい気持ちは分かるが。つまりな、安先生が万一の場合を考慮していたなら、見つかった厭物以外の呪詛も無効化しておくために、処刑人のおまえの上司に『斬首の前に罪人自身に禊祓(みそぎはらえ)を行わせ、蔵人頭の食膳から取ってきた米を食わせろ』と指図したはずなんだ。で、やってたか? おまえの上司」

 禊祓というのは陰陽師が行う厄払いの呪術で、呪詛の被害者が食べるはずだったものを食わせることによって、犯人がしかけていた全ての呪詛を犯人自身に解除させる効果があるのだと真遠は説明した。

 へぇ陰陽師の理論ってのは不思議だなと感心していられたのもつかの間で、尽時はあっという間に顔色を紙のようにして貼り付けたような笑みになった。

「……」

「……やらなかったんだな。察しはついてたが」

 真遠は目も当てられないとため息をつく。

 尽時はそれに反発する気も起こらず、心の中で絶叫する。

(――――あんの、バカ経仲ぁああ!! ふざけんなよ!?)


 真遠の前でなければ思い切り頭を抱えて地団駄を踏んでいたところだ。

 安先生の保身のために検非違使庁の名誉が傷つけられてたまるかと腹を立てていた尽時だが、よりによって自分の上司の手落ちで、助かったはずの貴人が死傷する自体を招いてしまったとは。

 保身の意味を含むものであっても、安先生の使庁への怒りは正当なものだった。

 当の経仲が今朝、問題の生首の絵を満足げに眺めていたのが脳裏をよぎって、よけいに腹が立つ。

(生首の絵なんか描かせてる場合か!? いっちばん重要な手順を忘れやがってよぉ!!)

 あいつ、京の秩序を守る検非違使としての晴れ舞台にすっかり気を大きくして、安先生の指図をすっ飛ばしたに違いない。

 浮かれ通しの経仲のせいで、尽時をはじめとした下っ端検非違使たちはいい迷惑だ。

 あれだけの苦役を果たしたのに、ねぎらわれたり評価があがるわけでもなく、このままでは主上の怒りまで買うかもしれない。


 尽時はひとまず深呼吸して気を落ち着けようとした。

 さすがに同情したのか、真遠も、尽時がひとしきり七転八倒して気が済むまで待っていた。

 やっとのことで、尽時は苦い顔で真遠に向き直り、低い声で言った。

「……認めるぜ。俺の上司がやらかしてた……」

 真遠はうんと遠慮無くうなずき、

「いつの世も、部下は上司の不始末をおっかぶされるもんだ。検非違使庁はもう安先生の批判をかわせないな。主上も仔細を知ればお怒りになるだろうし」

「ハハ、主上……そうだな主上もだな……あくせく汚れ仕事してよぉ、いつか主上の目に留まるような大捕物かなんかして取り立ててもらって、さっさとこんな損な役回りにおさらばしてえなーと夢見ながらごま擦って、あげく俺ら下っ端は経仲の道連れで人生終了ってか……?」

 うつろな目の尽時は言いながら乾いた笑いをもらし、もう一度だけ深呼吸してから、藁にも縋る思いで必死に真遠の肩へ掴みかかった。

「頼む!! なんとかしてくれ!!」

 真遠は目を怒らせて、即座にその手をぺっと引き剥がす。

「だから、俺は最初からそのつもりで動いてるんだろうがっ。損得勘定に忙しいのはおまえだけだ!」

「分ぁかったって! めんどくさがった俺が悪かったから! ……ああもうホントに頼む……なんで検非違使なんざやってんだ俺は……経仲の野郎……あいつもいったいどういう脳みそしてんだ本気で……」

「上司の悪口言うなよ」

 経仲を呪う尽時を見て、安先生を嫌いと言って憚らない真遠はそう意趣返ししてきたが、声にはもう冷淡な響きはなかった。

 これも同病相憐れむ、というべきだろうか。

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