女って感じの女

 だって普通に考えてそうでしょ? と、詩歌は続けてきた。


「高校生のころ、未冬さんに初めての恋人ができる。──周真さんのことですね。で、周真さんと別れたあと、フラれた腹いせか、寂しさを紛らわせるためかは分かりませんが、何人もの相手と短期間で付き合っては別れてを繰り返すようになる。これも、相手は全員が男性なんでしたっけ?」


「おそらく、そう、だね……」


 苦笑しながら答える。こうして他人に整理されてみると、まだやはり心にきてしまう。


 日曜日の昼前。この駅を降りる人の数は、ベッドタウン的な地域柄、それほど多くはない。

 私と詩歌は、改札口へと向かう人々の塊から少し遅れて、最後尾に着けていた。


「アハハハ、ほんと、“女”って感じの“女”なんですけど!」


 詩歌の笑い声が響く。そんな大声出したら目立つんじゃ、と思ったけれども、誰も振り返る様子はない。


「結局、男しか好きになれなかったってことでしょ? で、その中でも特に忘れられなかったのが、今の旦那さんだったってことです」


 棘があると言うか、冷めたような口調で詩歌が言った。


「そう、だね……」


「まだ割り切れないって顔してますね?」


 さぁ。自分の顔を見られる状況じゃないから分からないや。

 私は未冬の言葉を思い返していただけ。ひとつひとつ、拾い集めるように。


 例えば、さっき来てたメッセージ。まだ返信できていない、あのLINE。

 二人で会えませんか。夫には言いません……って。不倫妻にでもなりたいってか。それにしたってこんな堂々とした文面にする人いないでしょ。そんなところも未冬らしくて、案外笑えるかもしれないけど。


 さすがの住吉くんでも、この文面を見てしまったら私と妻を疑うだろうか。

 疑わないかな。彼は私に全く興味がない。というよりも、過去の傷のせいでわざと鈍感になっているのかもしれない。当時は私の悪意に勘づいたこともあるかもしれないが、それでも、きれいさっぱり忘れてしまっているんだろう。


 そう思うとむかつく。そして気が付く。私の罪悪感の本体は、住吉周真に対するものではなかったってことを。


「だったらさ、未冬はあの時、どうして私の彼女になったんだろ」


 ぶっきらぼうにぼやいてみた。なにが「だったらさ」だよって感じだけど、べつに詩歌が答えをくれなくても構わなかった。


──私は未冬が好き。ずっと好きだった。


 そんな私の告白を受け、未冬は当時の男性とあっさり別れてしまった。その理由を「茉侑子と、ちゃんと向き合いたいから」と言ってくれた。

 でも、好きじゃなかったんでしょ。最初から、好きになんてなれるわけなかったんでしょ。

 しかし詩歌はあっけらかんと言う。


「そんなの、分かりきったことです」


「分かりきったこと?」


「マユさんのことが好きだから」


「なにそれ」


「未冬さんは友人としてあなたのことを愛していたから、関係が切れることを嫌がったんです」


 ……なにそれ。


 思考がまとまらないまま、改札の目前まで来ていた。慌ててスマホを取り出す。

 改札機を通るとき、ピ、と短い音。続いて、ピピ、という音。

 三歩ほど進んだところで振り返ると、詩歌が平然と後ろにいた。


「……本当に家まで来る気?」


「言ったでしょ、お家まで責任持ってお送りしますって。それとも自宅を教えたくないんです? わたしの家には押し掛けてきたのに」


「いや、押し掛けてないし……ていうかなんなの、あの都心2LDK。ふつうに怖い」


「怖くないですよ。言うなれば、未来の医療法人三代目が潰れてしまわないための設備投資なんです。さしずめわたしは、見守りカメラ兼、にぎやかし兼、緩衝材兼、お世話係兼、感情デバッガー」


「怖いってば……」


 そして慣れた道を歩き出す。いつもと大きく違うのは、そこに詩歌も並んでいること。


「さっきの話だけどさ」と、私は進行方向を見ながら言った。


「未冬が私のことを好きだっていうのは、つまり友情としての“好き”でしかなくて、無理して恋人になったことになるんだよね」


「まあ、第三者の見立てとしてはそうですね。仲の良い同性の友人だと思ってたのに、勝手に惚れられて、性欲を向けられて。いい迷惑だったんじゃないかと思いますよ」


「……いや、言葉キツいな」


 でも、普通に考えればそうだよな、と、今となっては思う。

 右手にぶら下がる紙袋の重みが、やけに存在感を醸している。

 私は、いつから間違っていたんだろう。

 被害者ヅラをしていたけれど、結局、間違えていたのは私のほうだった。住吉くんのこと然り、未冬のこと然り。


 それでも受け止めて、大切な人だと言ってくれるあの子に甘えていた。現在はそのお返しのフェーズってことなんだろうか。

 二十歳の私が恋人という関係を望んで、未冬が叶えた。その未冬が、今、私に友人としての役割を求めている。

 なら、私は。


「ねぇマユさん? 次は私が犠牲になる番か──みたいなこと考えてません?」


「考えてるよ。……ていうか、詩歌がそうなるように誘導したんでしょ」


「してません」


「はあ?」


 呆気に取られて足を止める。詩歌の顔を見ると、妙に真面目くさった顔をしていた。


「マユさん、よく聞いてくださいね」


「な、何」


「未冬さんとは、もう終わってるんです」


 詩歌は私の目から視線をひとつも外さなかった。私は息を飲んで、少しの間、呼吸が止まる。


「どんなにマユさんが罪悪感を抱えていてもです。未冬さんは、一方的にマユさんとの関係を終わらせて、かつて幸せになれなかった男をすくい上げた。その時点で、とっくに精算されてます」


 そうだろうか。

 目を逸らして黙っていると、詩歌は私の左腕へ雑にじゃれついてきた。そのまま前に引きずられ、強制的に歩かされる。


「かわいそうなマユさん。元カノには理不尽な理由でフラれてるし、ポヤポヤ男には無自覚に見返されてるし。その上、簀巻すまきにされて元同級生の医者にガン詰めされて。もう、十分がんばりましたよ」


 ふ、と息づかいの延長みたいな笑いがこぼれる。

 最後のはあんたのせいでは? と思ったが、言葉にはしなかった。


「これでよーく分かったでしょ? 未冬さんとの関係に、きっちり決着付けてくださいよ」


 私の暮らす1Kの玄関先で、詩歌は有無を言わさず連絡先を交換させてきた。しかし部屋には上がらず、「ではこれで」とドアノブに手を掛ける。


「全部片付けたら、恋ダンスでもオドループでも、わたしが一緒に踊ってあげますから」


 そんな言葉を残して。

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