都心を離れる
「やっぱり怒ってますよね?」
まるでいたずらのばれた子供が大人にお伺いを立てるような声で、木場詩歌、もとい青川夜風は言った。
晴れ空の下を歩きながら、私はどうにもならずに目を逸らす。
「……なにが?」
もう、投げやりだ。
都会の雑踏は無慈悲なもので、一人きりになりたくても常に人目がついて回る。
ロケーションが良くない。これが地元の田んぼなら、10月の暮れの時節、滅多に人とすれ違うこともなかったのに。
「まあわたし、マユさんを騙してたってことになるじゃないですか」
青川家の令嬢は悪びれもせずに言った。
「してたってことになる、じゃなくて、元から騙そうと思って近付いたんでしょ……」
「そんなことないです! お隣に寂しそうなお姉さんがいたから、ほっとけないなー、みたいな?」
よくもまあ。あの青川邸でのやり取りの一切が、消えてなくなるわけでもあるまいに。
そんなことを思いながらも、私は青川夜風の同行を許してしまっていた。
泣いてる人を放っておけないし、責任持ってお家まで送りますから。──そんな甘言と共に、ぴたりと横に並んできた女。
この子は何の目的で、私を青川丞の前に転がしたのだろう。
何らかの方法で
しかし、妹の方はどうだろう。兄と同じように私を警戒し、「住吉に近づくな」と忠告するために動いていたにしては、その兄に頭を下げさせ、私のフォローに回ったことについて説明がつかない。
いまいち敵なのか味方なのか判然としないな、などと、私は甘い考えをいだいている。──情けないだろうか。
「お兄さんの所に戻らなくていいの?」
結局私は、そのようなことを口に出してしまう。青川丞のことなんて別に知ったこっちゃないのに。
青川夜風は、それを見透かしたように微笑んだ。
「マユさんたら、またそんなこと言って。本当は、わたしが隣にいて嬉しいんじゃないですか?」
「そんなこと……」
「ほんと、不器用な人。少しくらい甘えたらいいのに」
返事に詰まる。
いくら優しく手を差し伸べられようとも、手酷く裏切って、振り回してきた張本人であることに違いはない。そんな相手に、私は今、何を思っているのだろう。
「兄はああやって言いますけど、わたし、末子だからってそんなに自由なわけじゃないですよ。まあ、あの兄にそう思わせておけるのも、わたしの手腕に他ならないんですけどね」
おどけたように言って、彼女はくすっと笑う。
「わたしの呼び方、
「詩歌……」
小さく声に出してみれば、驚くほどすんなりと胸に馴染んでしまった。
◆
御茶ノ水駅から、JR総武線の習志野行き電車に乗っていた。
木場詩歌も当然のように乗ってきて、隣で吊革に掴まっている。
「詩歌ってさ、未冬に似てると思ってたけど、よく考えたらそれほど似てないかも」
その横顔を見ながら、私は言った。
「また元カノの話ですか〜?」
詩歌は若干の呆れ顔だが、私はもはや開き直って頷く。
「目元は未冬のほうが優しそうだし、身長も未冬の方が高い。仕草は似てるけど、性格は全然違う。未冬は天然っぽいけど、詩歌のは計算された愛嬌って感じ」
「人の違いを認識できるようになったのは成長ですね〜。えらいえらい。一歩ずつ、いっしょに頑張りましょうねっ」
あの青川丞ですら「うざい」としか口答えできなかったのも納得だ、と思ってから、それを頭から消し去った。
久しくスマホを見ていなかったことを思い出し、鞄から端末を取り出す。画面を点灯すると、ロック画面には、僅かなバッテリー残量の表示のほか、新着メッセージの通知が来ていた。
軽い胸騒ぎを覚えつつ、ロックを解除してメッセージを確認する。すると、そこには
『今日はお誕生日おめでとう。そして、本当にごめんなさい。あやまりたいので、二人で会えませんか。夫には言いません』
その文面を、気付けば繰り返し眺めていた。
送信日時は、昨日の夜中。
夫、つまり住吉くんにはこの事を言わない。それが意味するところって、一体──。
「マユさん?」
はっとして、スマホを持つ手を下げる。
「……ごめん、ちょっと仕事の連絡来てて」
嘘だ。プライベート用のスマホに、仕事の連絡は来ないようになっている。
「嘘ですよね」
なんでもお見通しらしい。私は諦めて黙った。
「もしかして、元カノさんからですか?」
「……なんでそこまで分かるの」
「あら、当たっちゃいました? 言ってみただけなのに」
完全に手玉に取られている気がする。いや、気がするのではなく取られている。
「……青川夜風さんのお兄さんだっけ。私が未冬と会う予定の店のことまで、よく特定できたよね。相当お忙しいんじゃないの、お医者さまって」
私はわざとらしく話題を変えた。しかし詩歌は余裕の表情である。
「そうそう、夜風さんのお兄さん、お忙しそうなのに不思議ですよね。でもですね、それって実は、妹の夜風さんの成果みたいですよ?」
「ふーん」
どうやら、そのまま話を続けるつもりらしい。
「夜風さん、周真さんの奥さんとインスタで繋がってるんですって。偽名で」と詩歌。私はぼうっと車内広告を見上げた。
「未冬のインスタか。私、別れた時にブロックしちゃって……今もそのままだ」
「あー、それで正解です。未冬さんのここ半年の投稿内容、息子くん可愛いが大半。残りは夫くん大好き。あとはお友達関係が少々」
「へえ……」
「わぁ、この投稿。──今日は、息子くんがぐっすりおねんねだったので、久しぶりにゆっくりと夫婦の絆を確かめる日になりました♡ ですってよ? つまりこれ、いわゆる“仲良しの日”ってコトですよね」
口元が引き攣った。詩歌を見ると、こともなさそうにスマホの画面を見ている。私はため息とともに車窓の外へと視線を移した。
「……わざわざ読み上げなくていいから」
「それとわたし、マユさんの話を聞いたうえで、未冬さんについて率直に思ったことがあるんですけど、発表しちゃっていいですか?」
私の自宅最寄り駅で電車を降りたあと、詩歌はそのように告げてきた。
勝手にしなよ、と吐き捨てると、勝手にしますと返される。
「ぶっちゃけ未冬さんって、バリバリの
「あははっ」
まあその通りだよなって、正直、笑っちゃう以外にすべがなかった。
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