都心を離れる

「やっぱり怒ってますよね?」


 まるでいたずらのばれた子供が大人にお伺いを立てるような声で、木場詩歌、もとい青川夜風は言った。

 晴れ空の下を歩きながら、私はどうにもならずに目を逸らす。


「……なにが?」


 もう、投げやりだ。

 都会の雑踏は無慈悲なもので、一人きりになりたくても常に人目がついて回る。

 ロケーションが良くない。これが地元の田んぼなら、10月の暮れの時節、滅多に人とすれ違うこともなかったのに。


「まあわたし、マユさんを騙してたってことになるじゃないですか」


 青川家の令嬢は悪びれもせずに言った。


「してたってことになる、じゃなくて、元から騙そうと思って近付いたんでしょ……」


「そんなことないです! お隣に寂しそうなお姉さんがいたから、ほっとけないなー、みたいな?」


 よくもまあ。あの青川邸でのやり取りの一切が、消えてなくなるわけでもあるまいに。


 そんなことを思いながらも、私は青川夜風の同行を許してしまっていた。

 泣いてる人を放っておけないし、責任持ってお家まで送りますから。──そんな甘言と共に、ぴたりと横に並んできた女。


 この子は何の目的で、私を青川丞の前に転がしたのだろう。

 何らかの方法で警戒対象わたしと未冬が接触することを察知した兄が、妹に偵察を依頼する──というのもおかしな話だが、住吉家の安寧を守る、ひいては自分の過去に折り合いを付けるという目的は明確なように思える。

 しかし、妹の方はどうだろう。兄と同じように私を警戒し、「住吉に近づくな」と忠告するために動いていたにしては、その兄に頭を下げさせ、私のフォローに回ったことについて説明がつかない。

 いまいち敵なのか味方なのか判然としないな、などと、私は甘い考えをいだいている。──情けないだろうか。


「お兄さんの所に戻らなくていいの?」


 結局私は、そのようなことを口に出してしまう。青川丞のことなんて別に知ったこっちゃないのに。

 青川夜風は、それを見透かしたように微笑んだ。


「マユさんたら、またそんなこと言って。本当は、わたしが隣にいて嬉しいんじゃないですか?」


「そんなこと……」


「ほんと、不器用な人。少しくらい甘えたらいいのに」


 返事に詰まる。

 いくら優しく手を差し伸べられようとも、手酷く裏切って、振り回してきた張本人であることに違いはない。そんな相手に、私は今、何を思っているのだろう。


「兄はああやって言いますけど、わたし、末子だからってそんなに自由なわけじゃないですよ。まあ、あの兄にそう思わせておけるのも、わたしの手腕に他ならないんですけどね」


 おどけたように言って、彼女はくすっと笑う。


「わたしの呼び方、詩歌しいか、で大丈夫です。まだ心の整理は付かないでしょ?」


「詩歌……」


 小さく声に出してみれば、驚くほどすんなりと胸に馴染んでしまった。





 御茶ノ水駅から、JR総武線の習志野行き電車に乗っていた。

 木場詩歌も当然のように乗ってきて、隣で吊革に掴まっている。


「詩歌ってさ、未冬に似てると思ってたけど、よく考えたらそれほど似てないかも」


 その横顔を見ながら、私は言った。


「また元カノの話ですか〜?」


 詩歌は若干の呆れ顔だが、私はもはや開き直って頷く。


「目元は未冬のほうが優しそうだし、身長も未冬の方が高い。仕草は似てるけど、性格は全然違う。未冬は天然っぽいけど、詩歌のは計算された愛嬌って感じ」


「人の違いを認識できるようになったのは成長ですね〜。えらいえらい。一歩ずつ、いっしょに頑張りましょうねっ」


 あの青川丞ですら「うざい」としか口答えできなかったのも納得だ、と思ってから、それを頭から消し去った。


 久しくスマホを見ていなかったことを思い出し、鞄から端末を取り出す。画面を点灯すると、ロック画面には、僅かなバッテリー残量の表示のほか、新着メッセージの通知が来ていた。

 軽い胸騒ぎを覚えつつ、ロックを解除してメッセージを確認する。すると、そこには住吉すみよし未冬みふゆの名前があった。


『今日はお誕生日おめでとう。そして、本当にごめんなさい。あやまりたいので、二人で会えませんか。夫には言いません』


 その文面を、気付けば繰り返し眺めていた。

 送信日時は、昨日の夜中。

 夫、つまり住吉くんにはこの事を言わない。それが意味するところって、一体──。


「マユさん?」


 はっとして、スマホを持つ手を下げる。


「……ごめん、ちょっと仕事の連絡来てて」


 嘘だ。プライベート用のスマホに、仕事の連絡は来ないようになっている。


「嘘ですよね」


 なんでもお見通しらしい。私は諦めて黙った。


「もしかして、元カノさんからですか?」


「……なんでそこまで分かるの」


「あら、当たっちゃいました? 言ってみただけなのに」


 完全に手玉に取られている気がする。いや、気がするのではなく取られている。


「……青川夜風さんのお兄さんだっけ。私が未冬と会う予定の店のことまで、よく特定できたよね。相当お忙しいんじゃないの、お医者さまって」


 私はわざとらしく話題を変えた。しかし詩歌は余裕の表情である。


「そうそう、夜風さんのお兄さん、お忙しそうなのに不思議ですよね。でもですね、それって実は、妹の夜風さんの成果みたいですよ?」


「ふーん」


 どうやら、そのまま話を続けるつもりらしい。


「夜風さん、周真さんの奥さんとインスタで繋がってるんですって。偽名で」と詩歌。私はぼうっと車内広告を見上げた。


「未冬のインスタか。私、別れた時にブロックしちゃって……今もそのままだ」


「あー、それで正解です。未冬さんのここ半年の投稿内容、息子くん可愛いが大半。残りは夫くん大好き。あとはお友達関係が少々」


「へえ……」


「わぁ、この投稿。──今日は、息子くんがぐっすりおねんねだったので、久しぶりにゆっくりと夫婦の絆を確かめる日になりました♡ ですってよ? つまりこれ、いわゆる“仲良しの日”ってコトですよね」


 口元が引き攣った。詩歌を見ると、こともなさそうにスマホの画面を見ている。私はため息とともに車窓の外へと視線を移した。


「……わざわざ読み上げなくていいから」


「それとわたし、マユさんの話を聞いたうえで、未冬さんについて率直に思ったことがあるんですけど、発表しちゃっていいですか?」


 私の自宅最寄り駅で電車を降りたあと、詩歌はそのように告げてきた。

 勝手にしなよ、と吐き捨てると、勝手にしますと返される。


「ぶっちゃけ未冬さんって、バリバリの異性愛者ノンケですよね」


「あははっ」


 まあその通りだよなって、正直、笑っちゃう以外にすべがなかった。

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