男女比率のおかしい世界に転生して女子バスケチームを鍛える話
タツノツタ
第1話
目を覚まして目に入ってきたのは知らない天井だった。
アニメのワンシーンを思い出すフレーズだが、アニメのそれとは異なり病院ではなく生活感のある部屋。
自室ではない。誰かの部屋だろうけど、記憶には無い。体を包むのは妙に肌に馴染む布団。
「俺、どうしたんだっけ」
声に出して自問してみる。
自分の声帯が発した声は白々しく部屋の中に消えていった。
最後の記憶、直近の記憶は昨夜の部活だ。
来月から開幕する大学リーグ戦に向けたスタメン選考の紅白戦。
白組、2番ーシューティングガードーでの先発。コートを縦横無尽に走り回り、ドライブからの得点、マークを一瞬で振り切ってのミドルレンジからの得点、成功率はあまり高くないものコーナーからの3ポイント。チームに貢献できるように得点パターンはミニバスの頃から少しずつ幅を広げていった。
何より身を入れて頑張ったのはディフェンス。
『シュートを1本成功させる選手よりも、相手チームにシュートを1本入れさせない選手の方がチームに役立つ』という高校時代のコーチのアドバイスを胸に刻んで、ディフェンス練習はチームの誰よりも数をこなした。
大学でも続けたバスケは、ここがバスケ人生のピークと信じて毎日練習に打ち込んだ。
レギュラー入りは確実と自分も周囲も思っていた。
紅白戦は自分自身と他4人との溶け込み方、化学反応の仕方を確認する場。周囲を活かし、周囲に活かしてもらう。
前半の15分くらいだったはず。トップからやや右にずれたところでボールをもらい、周囲を確認して、同じポジションのマークマン(先週バイト先の女の子に振られて落ち込んでいた宮脇)とゴール下の味方センターと相手センターの位置関係を把握し、一つ、二つ目からのドリブルでローポストめがけて仕掛けようと決めた。
宮脇がどういうステップや予測でディフェンスしてくるかを見極めて、どういうフェイクを入れるかを頭で考えるよりも速く体で反応させる。
目から得た情報を、視界に入った全情報を計算して次の動きを導き出す神経回路。
体が選んだのは2歩目でトップスピードに乗って単純にスピードだけで相手を抜くドライブ。
味方センターの川口は相手センターとゴール下のポジション取りに負けてゴール下のいいポジションにつけていない。だから宮脇をドライブで振り切っても前に(自分の方向に)出ては来れない。
空いたスペースでジャンプショットを決める。
それが思いついたシンプルな攻撃プラン、実行しようとスピードを上げたら、左足に何かが引っかかって、体勢を崩して、その先に固い何かがあって、それが頭にぶつかった。
衝撃を記憶しているかはわからない。ただ、固さは覚えている。
それが最後の記憶。
宮脇の足に引っかかって、俺が転倒、その転んだ先にセンターの膝か何かあって頭をぶつけたのかもしれない。
練習中、意識不明になって誰かの部屋に運び込まれた。それが今に至るストーリーかもしれない。
それなりに筋が通っている気がする。
頭は鈍く痛む、というかものすごく重い。頭痛は内側から。触れる範囲に痛む部位は無い。
ひどい風邪を引いたような痛みで、もしかしたら脳震盪を起こしたのかもしれない。
頭も重く、体も重い。自分の体調が最悪であることを確認して、体を起こす。
鉄製のフレームで組み立てられた簡素なベッド、枕元のテーブルには大量の剥き出しになった錠剤と飲みかけのミネラルウォーターのペットボトル。
部屋は8畳くらい。突っ張り棒を組み合わせて作られたハンガーラックにかけられた服たちに、やはり見覚えはない。
いや、部屋の作りに見覚えがある。ここは大学の学生寮の一室だ。
僕は学校近くに一人暮らしをしていたのであまり縁は無かったが、それこそ昨日マッチアップしていた宮脇が寮に住んでいて、何度か寮にお邪魔させていただいた記憶がある。先月も来たな。
となると、意識が戻らない俺を寮の誰かの部屋に連れてきて、寝かせておいてくれたのだろうか。
いや、普通は練習中に接触して意識不明になったら病院に連れて行かないか?飲み会で酔い潰れたとかならまだしも。
それとも頭を強打した影響で記憶が混濁しているだけかもしれない。もしかしたら昨日は意識があって、誰かに泊めてもらった可能性もある。
だめだ、頭が痛い。頭が重い。考えるのも一苦労、大苦労だ。
目を閉じて休もう。
俺は目を閉じて、体を起きた時の逆の動作でドスンとベッドへと戻した。
黒々とした闇にも似た眠気が体を飲み込んでいく感覚に、違和感を感じつつも意識は消えていった。
時計を見ていなかったが、体感では12時間以上寝ていた気がする。
泥のように眠るという慣用表現の通り寝床の上で弛緩しきって横たわっていた。
脳からの指令に対して瞬間遅く体が動く感覚は、まだ体が覚醒しきっていない状態特有のもの。
どうにか体を起こすと枕元に充電器に繋がれたスマホがあった。
自分のスマホではない。が、無意識にスマホを手に取りサイドのボタンを押す。
『06/18 14:35』のデジタル表示、やはり昨日は6月17日だったから練習から20時間近く寝ていたらしい。
待受画面は見覚えのない画像。液晶の精彩さをアピールするようなカラフルなグラデーションの画像。
と画面を覗き込むと顔認証でロックが解除された。
ってことはこれは自分のスマホだったのかこれ。
知ってるアプリ、知らないアプリ、アプリの配置も微妙に記憶と違う。
よく使うアプリがショートカット欄に配置されていて、アプリのセレクションは同じ、でも並びが違う。LINEは一番右だったはずが、左から二番目になっている。
微妙な記憶の食い違いに頭をひねる。そういうものだったっけ?
知らないうちにアプリをずらしていたのか、酔った勢いか、誰かのイタズラか。
いやそもそもこのスマホは自分のだけども自分のものではない。
自分の顔認証をパスした他人のスマホ。顔認証を共有する友達って居たかな。
・・・現代版たわけだな、とぼんやり考えた。
たわけは、江戸時代に農民が命の次に大事にしていた田んぼを他人に分ける、田分けに由来するという俗説で、大事な田んぼを分けるくらい大切な仲と同時に大事な資産を赤の他人に譲り渡すアホの2通りの意味があると高校時代の歴史教師がドヤ顔で言っていた。
確かにその通りで、江戸時代における連帯保証人くらいの”やらかし”だなぁと当時は思っていた。
ここまでなら日本語の由来豆知識で終わるけども、話にはもう一つ続きがある。
現代文の授業中に教師に”たわけ”の話をしたクラスメイトが居た。
教師はわずかに口角を上げて、「確かに時代背景と意味を考えると、辻褄が合いそうな説明だし、歴史の⚪︎⚪︎先生の言う通りかもね。でも、たわけの語源は”たわむれ”と同じ”たわける”だよ。ふざけて遊ぶようすを”たわける”と表現したんだよ。大事なものを譲り渡す、ことが無邪気な善意に溢れる愚行に対して、こっちのたわけは同じアホでもニュアンスが違うよね」
とゆっくり説明した。その時の現代文教師の表情と口調がなんだか印象的で、このエピソードは学校の授業のハイライトの一つになっていた。
たわけってテストでも実生活でも一度も出てきてない。映画やドラマでも耳にしたことないんじゃないだろうか。
ドンドンっとドアが荒々しく叩かれて、一人の男子が室内に入ってきた。
宮脇だ。昨日の今日で心配して様子を見にきてくれたんだろうか。
その割に表情は固い。そう、まるでゴミか虫を見るような。
「学長の呼び出しを無視して寝てたのか。さっさと着替えろ。行くぞ」
言い捨てる。そんな口調だった。
事情が飲み込めない。宮脇の冷たい態度、学長の呼び出し。二つしかない情報が喉の奥か、胸の上の方に詰まって息苦しさを覚える。
「早くしろ」
宮脇に急かされて胸の詰まりが下に落ちてきた。胃が痛い。吐き気がする。なんだこの予感は。
僕は何をしたんだ。
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