第32話 変化
「珍しいお客様ですわね。アイリス様のご容態はいかがでしょうか。ずっと心配しておりましたの」
自分を訪ねてきた公爵家の令息を庭園で迎えながら、セシリアが優美に眉をひそめる。
まるで彼の妹の具合を心から案じているような表情と仕草だったが、その言葉を受け取ったエヴァンは礼の一言も言わずに鼻で笑った。
「白々しい。心配していたというのは、回復してほしいからじゃなくて早く死んでほしいからだろう? 生憎だけど、アイリスは快方に向かっているよ」
「……あら、そうでしたか。それはよかったですわ」
セシリアがエヴァンの無礼を受け流し、庭の白薔薇に目を向ける。
「アイリス様は白薔薇はお好きかしら? お見舞いにお贈りさせてくださいませ」
「結構だ。お前からの贈り物なんて、何を仕込まれるか分かったものじゃない」
「……仕込むだなんて人聞きが悪いですわ。先ほどからなぜそのような厳しいことを仰いますの?」
セシリアが頬に手を添えて悲しげに眉を下げる。
それは誰が見ても、礼儀正しく繊細な令嬢がエヴァンの粗野な態度に戸惑い、心を痛めているようにしか見えない姿だった。
エヴァンが敵意にあふれた目でセシリアを睨みつける。
「いくらシラを切ろうとしても、すべて分かっているからな。お前が仕事を命じた男、行方をくらましているだろう?」
「……何のことでしょう」
「そいつ、森の洞窟で狼の餌になってるから」
エヴァンがどこかまだ不満げに、眉間のしわを深くする。
本当はセシリアも同じ目に遭わせてやりたかったが、皇太子の婚約者という立場を考えると下手なことはできなかったのだ。
それに、もし構わず手を下したとしても、セシリアがいなくなれば次の婚約者として選ばれるのはアイリスかもしれない。その事態は避けたかった。
エヴァンの一言にセシリアはわずかに目を見開いたようだったが、またすぐに淑やかな微笑を浮かべた顔に戻った。
「お話はもう終わりですか? 私はこれからイーサン殿下のところへ参りますので、そろそろ失礼させていただきますわ」
「……ああ、仲が良さそうに見せかけないといけないからな。せいぜい頑張るといい」
エヴァンが嘲るように笑う。
狩猟祭の日、イーサンは川下で発見したアイリスを騎士には託さず、自ら診療所に連れていったという。その行動を考えれば、彼の気持ちがセシリアではなく、アイリスに向けられていることは明らかだった。
セシリアは一瞬、エヴァンに氷のような眼差しを向けたが、口もとに手を当てて「ふふっ」と可笑しそうな声を漏らした。
「見せかけるだなんて。そんなことをする必要なんてありませんわ。公子こそ、アイリス様から愛してもらえるようせいぜい頑張ってくださいませ」
それからセシリアは使用人にエヴァンの見送りを命じると、優雅にお辞儀をして屋敷のほうへと去っていった。
◇◇◇
「……エヴァン、大丈夫?」
「えっ、何?」
公爵邸に帰ってきたエヴァンがアイリスの見舞いに訪れると、ベッドで休んでいたアイリスが気遣わしげにエヴァンの様子をうかがった。
「その、なんだかこの間から元気がないような気がして──……って、私が心配かけたせいよね。ごめんね」
申し訳なさそうに謝るアイリスに、エヴァンが困ったように微笑む。
「……ううん、アイリスのせいじゃないよ。ただちょっと……疲労が溜まっているだけだから」
「あ……そうよね。事件の取り調べとか、いろいろやってくれたんだものね」
アイリスには、すでに犯人は捕まって公女殺害未遂の罪で処刑されたと伝えていた。正しくは処刑ではなく私刑だが、大した違いではない。
エヴァンがベッド脇に置かれた食器に気づいて中を見ると、パンとスープがほとんど平らげられていた。
口にできる量が増えてきたおかげか、顔にも赤みが差してきた気がする。
「少し食べられるようになったみたいだね。顔色も良くなってる」
「本当? だんだん食欲が出てきたの」
「ジュースのおかわりはいる? 搾りたてのを持って来るよ」
「ありがとう。でも今は大丈夫よ」
エヴァンが呼び鈴を鳴らすと、使用人がやってきて食べ終わった食事を片付けてくれた。
「今日もずっとベッドにいないといけないのかしら? ちょっと外に出たらだめ?」
アイリスがねだるようにエヴァンに訴える。
「だめだよ。医者からあと一週間は安静にするよう言われただろう?」
「そうだけど……」
アイリスが退屈そうに口を尖らせる。
エヴァンはそれを穏やかに見つめ、アイリスの下ろしていた髪を優しい手つきで耳にかけた。
「じゃあ、今日は僕がずっとそばにいるよ」
エヴァンの申し出にアイリスがくすくすと笑う。
「
「邪魔だった?」
「そんなことないわ。エヴァンとお喋りできるから楽しいもの。ありがとうね」
アイリスがお礼を言うと、エヴァンは優しい表情ながらも、どこか寂しそうな眼差しで微笑んだ。
「……アイリス、僕のこと好き?」
「ふふ、どうしたの急に。好きに決まってるじゃない」
嬉しいはずの言葉なのに、突き刺すような胸の痛みを感じて、エヴァンはアイリスの淡い紫色の瞳からそっと目を逸らした。
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