第30話 捜索

「アイリス! どこにいる! アイリス……!」


 アイリスの名を大声で叫びながら、エヴァンが森の中を駆け巡る。


 アイリスと別れて森の奥の狩場へ行ったあと、エヴァンはかなりの大物を仕留めることができた。これでアイリスからご褒美がもらえると満足して戻ってきたのだが、どこを探してもアイリスがいない。


 誰か居場所に心当たりがある者はいないか、狩猟祭の参加者たちにも聞いて回ったが、皆「姿は見かけたが、気づいたらいなくなっていた」と言い、アイリスの消息を知る者は一人もいなかった。


「テントにいる令嬢たちにも聞いてみたが、アイリスは姿を見せていないようだ」


 息を切らせて走ってきたイーサンがテントの状況を伝えてくれた。喜べはしない情報だが、捜索範囲を絞る手掛かりにはなる。


「やっぱり森で姿を消したんだ……くそっ、あのとき僕がアイリスをひとりにしなければ……!」


 なぜご褒美くらいで浮かれて彼女と離れてしまったのだろう。イーサンに対抗意識なんて燃やさず、最後までずっとそばについていればよかった。後悔してもしきれない。


(彼女に何かあったら、僕はどうすれば──)

 

 自分の愚かさが憎くて堪らず、力任せに近くの木を殴りつけると、イーサンがエヴァンの腕をそっと掴んで制止した。


「自棄になるのはよせ。それに、アイリスが行方不明になったのは公子だけのせいではない。あまり自分を責めるな」

「……殿下」


 うつむいていた顔を上げると、イーサンが毅然とした眼差しでエヴァンを見つめていた。


「幸いまだ日も高い。今、騎士を総動員して探しているから、きっと見つかるはずだ」

「……はい、ありがとうございます」


 普段は顔を見るだけでも苛立たしく思うのに、今はそんな感情も湧いてこない。ただただアイリスが心配で、アイリスのためなら何にでも縋りたい気持ちだった。


「私は念のため川下も探してみる」

「……では、僕はもう一度森の中を探してきます」



◇◇◇



(アイリス……一体どこにいるんだ?)


 エヴァンが森の中を必死に探す。


 不安と後悔と自責の念で頭がおかしくなりそうだったが、今はまだ冷静さを失ってはいけないと、なんとか自分を奮い立たせる。


 アイリスに繋がるわずかな手掛かりも見落としてはならない。草むらや岩陰、木の上までも、すべてに気を張って捜索を続ける。


 すると、谷川の近くの茂みに、一頭の牡鹿が倒れているのに気づいた。首元に一本の矢が深々と刺さっており、この一撃で絶命したらしい。おそらく、狩猟祭の参加者に狩られてしまったのだろう。


(仕留めた獲物は回収する決まりなのに、なぜ放置されてるんだ? 命中したことに気づかなかったのか……?)


 だが、そこそこ大きくて立派な鹿だ。気づかないということは考えにくかった。


 もしかしたらと予感がし、エヴァンが鹿のそばへと近づく。首に刺さった矢を抜き取って検めると、思ったとおり、アイリスが使っている矢だった。

 

(この向きと刺さり具合から考えると……谷川の向こうから矢を撃ったのか?)


 アイリスの腕前であれば、この程度の距離なら一発で命中させられるだろう。


 さらなる手掛かりを求めて、エヴァンは近くの吊り橋から向こう側へと渡った。


 鹿が倒れていた場所と照らし合わせ、矢を放ったと思われる場所へと移動する。すると、崖の手前に誰かの靴跡が残っているのを見つけた。


(男の靴跡にしては小さい……。やはりアイリスのものかもしれない。他に何か分かることは……)


 周囲を注意深く調べると、小さな靴跡の後ろに別の靴跡が残されていることに気がついた。落ち葉で覆われていたからすぐには分からなかったが、大きさからしてアイリスのものではなく、誰か男の靴跡だろう。その場で力を入れて踏みしめたように、爪先部分だけ深く沈み込んでいる。


 それに、もうひとつ不思議なことがあった。


(どういうことだ……? この靴跡しか見当たらないなんて)


 男のものと思われる靴跡はひとつだけで、なぜか他に同じ靴跡は見当たらない。

 まるで、何もないところから急に現れでもしたかのように。


 もしくは、巧妙に痕跡を消すつもりだったのが、ここだけうっかり消し忘れてしまったかのように。


(……まさか)


 全身から一気に冷や汗が噴き出す。

 どうか勘違いであってほしいと願いながら、震える足で崖のすぐそばへと歩み寄る。


 そして激しく流れる谷川を恐るおそる見下ろすと──ゴツゴツとした岩の間に、真っ二つに折れたアイリス愛用の弓が引っ掛かっていた。



◇◇◇



 イーサンは馬に乗って谷川の下流へと向かっていた。


 あれだけ森を探しても見つからないということは、川に転落した可能性も考えたほうがいい。


 だが、もしあの流れの激しい谷川に落ちた場合、無事に見つかるのは奇跡に等しかった。


(もし、アイリスが川に落ちて溺れたのだとしたら──)


 考えたくはないが、生存は絶望的だろう。


 万が一アイリスが無残な状態で見つかった場合のことを考えると、発見者はエヴァンではなく自分のほうがいい。そう判断して川の捜索を申し出た。


 息をしていないアイリスを見たら、エヴァンは手がつけられないほど取り乱してしまうに違いないし、自分のせいだと言ってその場で後を追ってもおかしくはない。


(私もとても平静でいられる自信はないが……)


 ──それでもきっと、エヴァンよりは自制心を保てるはずだ。


 そう自分に言い聞かせ、イーサンはぎゅっと手綱を引いて馬を停めた。


 すぐ目の前には、流れが緩やかになった川の河原が広がっている。イーサンはすぐさま馬を降りて、河原へと向かった。


(もしかしたら、ここにアイリスが流れ着いているかもしれない……)


 手綱を放した途端、震えに襲われる手をぎゅっと握りしめながら、川を遡っていく。


 ここで見つかってほしくない、けれど、ここにいるなら一刻も早く見つけてやりたい。


 胸の中に渦巻く不安と焦燥を抑え込んで、アイリスの痕跡を探し求める。


 すると、川べりに何か光るものがあることに気づいた。

 駆け寄って確かめると、それは宝石があしらわれた女性用の髪飾りだった。


(これは……たしかアイリスがつけていた──)



◇◇◇



「アイリス! どこだアイリス!」


 返事などできる状況ではないと分かっているが、彼女の名前を呼ばずにはいられない。


 声を出せば出すほど、無事であってほしいという願いが届く気がして、必死で声を上げて探し回る。


「アイリス! アイリス──……っ!」


 河原の幅がずいぶんと狭まって、生い茂った木の枝が張り出した岩場の陰に、探し求めていた人はいた。


 全身ずぶ濡れで、ところどころに木の葉がつき、頭から血を流している。


「アイリス!!」


 名前を呼んでも反応はない。

 もともと色白の彼女の肌が、異様に白く色を失って見える。


「アイリス……!」


 覚悟していたのに、いざこんな姿を目にすると、情けないほど体が震える。


(だが、まだ息をしているかもしれない……!)


 ざぶざぶと川の中に入り、彼女の元へと駆けつける。

 そして水に濡れた首元にそっと手を触れた。


(ああ……生きている……!)


 神に感謝したのは、これが初めてかもしれない。

 ひどく弱々しいものではあったが、その細い首筋に走る血管はたしかに脈打っていた。

 よく見れば、胸元もかすかに上下している。


(しかしこのままでは危ない。早く医者に見せなければ)


 アイリスを抱きかかえて、馬を停めていた場所へと戻ると、ちょうど捜索隊の騎士たちもやって来たところだった。


「殿下、公女様は──」

「……安心しろ、生きている」


 最悪の事態を想像している騎士たちに、イーサンがアイリスの無事を伝える。


「それはよかったです……! では、ここからは我々が……」


 無事の発見に安堵した騎士がイーサンからアイリスを引き取ろうと手を伸ばす。しかし、イーサンはそれを許さず、別の命令を下した。


「公女は私が連れていく。お前たちは、ここから一番近いランドール診療所に向かって先に準備を整えてくれ。それと、エヴァン公子にも連絡を頼む」

「はっ、かしこまりました!」


 皇太子の命を受け、騎士たちが急いで目的地へと向かっていく。


 騎士たちには毅然とした態度で指示を出したイーサンだったが、アイリスと二人だけになった途端、目の奥がひどく熱くなってくる。


「……本当によかった……もし君が命を落としていたら、私は──」



 いまだ気を失ったままのアイリスを抱く手に力を込めながら、イーサンが涙声で呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る