第28話 内密な話

「ア、アイリス嬢、一体どこへ行くつもりなんだ……?」


 イーサンが耳を赤くしながらアイリスに尋ねる。

 アイリスは人のいない場所を目指しながら、手短かに答えた。


「ひと気のない場所です」

「ひと気のない場所!? は、話があるのではなかったのか……?」


 イーサンがさらに顔を赤くして尋ねると、アイリスは彼の腕をぐいっと引いて方向転換し、目的の場所へと誘った。


「はい、ですから人に聞かれない場所を探していたんです。……とても内密な話ですから」


 アイリスが声を落として説明する。

 その様子がとても意味深なものに思えて、イーサンはにわかに胸が高鳴るのを感じた。


 やがてひと気のない場所に到着し、「ここなら大丈夫ですね」とアイリスがイーサンを掴んでいた手を離す。そのことを少し残念に思いながら、イーサンがぎこちなく尋ねた。


「そ、それで、内密な話というのは何だろうか。もしかしたら言いにくいことかもしれないが……その、何でも話してくれて構わない。私も内緒にするから」


 アイリスは何を話そうとしているのだろうか。

 前回会ったときに結婚の話がデマだと分かったから、そのことだろうか。セシリアとの婚約の有効性についてとか──。


(……いや、何をおかしなことを考えているんだ。それに、話をするならあの夢のことのほうが可能性としては高い)


 そう考えて気持ちを落ち着けていると、アイリスが真剣な表情で話を切り出した。


「そう言っていただけると助かります。実は、私と二人だけで行ってもらいたい場所があるんです」


 結婚の話でも、夢の話でもなかった。

 行ってもらいたい場所?

 アイリスと、二人だけで?


 イーサンの顔が瞬時に赤くなった。


(……外出の誘い? どこへ? なぜ二人だけで? 公子は許しているのか? いや、そもそもアイリスの外出に彼の許可など必要ないだろう)


 頭の中でさまざまな疑問が生まれてぐるぐると回り続ける。

 聞きたいことはたくさんあるが、とにかくこれだけは返事したかった。


「分かった。絶対に行く」


 たとえ他の予定と重なったとしても、必ずアイリスの願いを最優先にして出かけよう。そう決意していると、アイリスは心底ほっとしたように柔らかく微笑んだ。


「……ありがとうございます。きっといいことがありますから」

「いいこと……?」


 いいこととは何なのだろうか。

 自分が喜ぶようなことがあるというのだろうか。

 今でさえ、彼女が自分を外出に誘ってくれ、笑顔を見せてもらえただけで嬉しいのに、さらに喜ぶことなんて一体何があるのだろう。


 勝手に膨らむ期待をなんとか抑えながら、落ち着き払った態度を装ってアイリスに尋ねる。


「……ところで、どこへ行くつもりなんだ? 何か準備が必要であれば──」

「準備は特に必要ありませんので大丈夫です。どこへ行くかは……ちょっと話が複雑になりまして。説明すると長くなりそうなので、またあとで改めてお話ししますね。もう狩猟祭が始まるみたいなので」


 アイリスの言うとおり、まもなく狩猟祭の開会式が行われるところだった。


 彼女との会話もここで一旦終わりかと思うと残念だが、新しい約束をすることができた。

 それだけで、いつもより心が弾むような気持ちになる。


「その格好を見るに、君も狩猟に参加するんだろう? 健闘を祈る」


 イーサンからの激励に、アイリスがわずかに目を見張った。


「……殿下は私が狩りをするって知っても驚かないんですね」

「いや、驚きはしたが、君ならそうしても不思議ではない気がして……。ただ、くれぐれも怪我には気をつけてくれ」

「──はい、無事に獲物を仕留めて戻ってきます」


 何かを懐かしむような、はにかむような、何とも言いがたい表情でアイリスが笑う。


 その笑顔にどきりとしつつも、またわずかに胸が痛むのを感じながら、イーサンはアイリスと二人で開会式の場所へと向かった。



◇◇◇



 開会式が終了し、いよいよ狩りの幕開けとなった。


 意気揚々と狩場に繰り出したアイリスは、獲物を探してしばらく歩き続けたあと、何か気に障るものでもあるかのように眉をひそめて後ろを振り返った。


「私はひとりで大丈夫よ、エヴァン」


 先ほどからずっとアイリスの従者のように、ぴったりと後ろをついてきていたエヴァンが、小さく溜め息をつく。


「そんなこと言われても、心配だよ。アイリスをひとりにしたくない」


 エヴァンはアイリスの怪我を心配しているらしく、譲ってくれそうな気配がない。


 アイリスはひとりで狩りを楽しみたかったし、今日はクリフを忘れさせてくれそうな素敵な男性探しも目的のひとつなのだ。エヴァンが一緒にいては、そんなことできそうもない。


(仕方ないわね……最後の手段よ)


 アイリスが先ほどから考えていた奥の手を使う。


「イーサン殿下より大きい獲物を狩るんでしょう? 私に構っていたら先を越されるわよ。せっかく殿下に勝ったらご褒美をあげようと思ったのに」

「ご褒美? 本当に?」

「ええ、殿下より大きい獲物を獲ったらね」


 エヴァンが目の敵にしている皇太子との競争を仕掛け、その先にご褒美という褒賞もぶら下げる。


 この作戦は効果てきめんだったようで、エヴァンはたちまちやる気をみなぎらせて「分かった」とうなずいた。


「絶対にあいつより大きい獲物を狩ってくる」

「ええ、その意気よ!」

「それじゃあ、少し奥の狩場に行ってくるけど、アイリスは絶対無茶しないようにね」

「大丈夫。この辺で鹿でも探すわ。エヴァンも気をつけてね」

「ありがとう、行ってくるよ」


 大きな獲物を狩るためにさらに奥へと向かうエヴァンを見送り、アイリスが大きく伸びをする。


「よし、私も頑張るわよ!」


 そうして、立派な鹿と貴族男性を求めて、アイリスも移動したのだった。

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