第26話 セシリアの計略

 侯爵令嬢セシリアは、自室で一人の男と話していた。

 体格はやや細身で、フードをかぶっているため顔の造作は分かりにくいが、頬に剣で斬られたような古い傷跡があった。


「申し訳ございません。例の令嬢に男を差し向けようとしても、どうやら陰で護衛がつけられているようで接触することができません」

「……そう」


 男から報告を受けたセシリアがつまらなそうな顔で溜め息をつく。


 イーサンが例の令嬢──アイリスを忘れられないなら、他の男に襲わせてしまえばいい。彼女の貞操を奪えばイーサンも興味を失うだろうし、命を奪えばもう二人のことで気を煩わせる必要もなくなる。


 そう考えて、侯爵家で抱えている裏仕事の男に仕事を命じた。なるべく乱暴で荒っぽい男をけしかけるようにと頼んだが、失敗してしまったらしい。


(陰の護衛というのは、エヴァン公子がつけたのかしら。驚くほどの溺愛ぶりね。二人が結婚するんじゃないかという噂があったけど、まさか本当に……)


 耳にして面白いと思った噂だったが、にわかに真実味を帯びてきた。思わずくすりと口角が上がると、男が言いにくそうに口を開いた。


「それと、実は令嬢の兄から直接警告を受けまして」

「……何ですって? 直接?」


 予想もしていなかった報告に、セシリアの声が思わず上擦る。


「二度と令嬢に近づくな、また同じことがあれば殺すと脅されました」

「……そう」


 セシリアが、ぎりっと奥歯を噛みしめる。

 面倒なことになってしまった。おそらく彼は、アイリスを害そうとしたものの黒幕がセシリアであることに気づいているだろう。


(……でも、私だって引けないのよ)


 愛しい人を手に入れたくて、こちらだって犠牲を払っているのだ。今さら元平民の卑しい娘に邪魔されるなどあり得なかった。


 セシリアが氷のような銀色の目で男を見つめる。


「まさかそんな脅しに屈したりはしないわよね? 主人の命令は絶対よ」

「……はい」

「では、公子に接触して、こう伝えなさい」


 セシリアは、人形のような顎に細い指を添え、美しくも冷たい笑みを浮かべた。



◇◇◇



 ある日、アイリスはエヴァンと一緒に部屋でお菓子を食べていた。


 やっぱりハローズ菓子店のクッキーはとても美味しい。

 先日、久しぶりに会いに行ったら、エミリーとハンナから大歓迎されて、お土産に抱えきれないほどたくさんのお菓子を持たされたのだ。


 今度、改めてたくさん買い物しに行こうと思いながら、またひとくちクッキーをかじると、エヴァンが何気ない調子で尋ねてきた。


「最近、変な男に声を掛けられたりしてない?」

「変な男? 特に声なんて掛けられたことないわよ」

「そっか、よかった」


 エヴァンがにこっと笑う。

 それを見て、ご機嫌そうねと思いながら、アイリスが不満げに口を尖らせた。


「というか、皇都に来たら新しい出会いでもあるかと思ってたのに、誰からも全然声を掛けてもらえないんだけど。絶対にあなたのせいよ。デビュタントで変なことするから……」

「そうかもしれないね」


 アイリスは叱っているつもりなのに、エヴァンはまったく反省している様子もなく、満足そうに笑っている。アイリスは口を尖らせたまま、ふんと顔を背けた。


「もう、すごく困るわ」

「え……困るの?」

「そうよ。せっかく新しい人を見つけたい気持ちになってきたのに」


 クリフのことを吹っ切るには、きっとそれが一番だ。


 図書館でイーサンと会ったとき、彼が前世の出来事らしき夢を見たと知って、せっかく忘れられそうだった想いが揺り戻されてしまった。


 でも、いくら前世の夢を見たといっても、やはり記憶が戻ったわけではなさそうだった。肝心な約束のことを思い出してもらえなかったら、期待したところで結局また傷つくことになってしまう。


 それに、セシリアはせっかく好きな人と婚約できたのだ。それを引き裂くようなことはできなかった。


(つまり、私が諦めればすべて丸く収まるのよね……)


 ほんの少し虚しい気分になっていると、エヴァンが驚いたような顔をして呟いた。


「それ本気なの?」

「それって?」

「新しい人を見つけたいって」

「ああ、もちろん本気よ」


 エヴァンに向き直ってうなずくと、彼は期待に胸膨らますように頬を紅潮させ、アイリスの手をぎゅっと握った。


「ねえ、アイリス。それなら僕はどう?」

「……ふざけてるの?」

「だって血は繋がってないよ」

「それはそうだけど。反応に困る冗談はやめてちょうだい。もう大人なんだから、周りがどう思うかもちゃんと考えないと」


 いい機会だと思って、彼の過保護についても注意すると、エヴァンはしゅんと肩を落としてうつむいた。さすがに反省しているのかもしれない。


 叱るのはこれくらいにしようと思ったアイリスは、エヴァンの頭をよしよしと撫でて明るく会話を再開する。


「そういえば、今度狩猟祭があるのよね。そこなら頼り甲斐のありそうな貴族男性がたくさんいるんじゃないかしら」

「は……?」


 いいことを思いついたとでも考えていそうなアイリスの顔を、エヴァンが呆気に取られた様子で見つめる。


「よし、私も参加するわ」

「……は??」


 ぽかんと口を開けたままのエヴァンを見つめ返し、アイリスが楽しそうに微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る