第25話 どうして今

 セシリアとのお茶会がお開きになったあと、アイリスは図書館に寄って本を探していた。皇都でやるべきことを済ませたら外国へ旅行に行くのもいいなと思い、旅行の本を探しに来たのだ。


 外国関連の書物は2階にあるらしく、ドレスの裾をつまんで階段を上っていく。踊り場に差し掛かったとき、頭上から「アイリス……?」と呟く声が聞こえ、アイリスは頭を上げた。


「──イーサン殿下」


 見上げた先には、イーサン皇太子がいた。

 アイリスと同じく向こうも驚いたようで、階段の上で固まっている。


 先に体が動いたのはアイリスで、すぐさまその場でお辞儀をすると、踵を返して階段を下りはじめた。


(セシリア様にお二人の邪魔はしないと言った直後に会ったんじゃ、説得力ないわよね。とりあえず今日は接触しないようにしなきゃ……!)


 急いで戻るアイリスだったが、階段を下りきる前に足が止まってしまった。さらに急いで駆け下りてきたイーサンに、行手を阻まれたからだ。


「待ってくれ。君と話がしたいんだ」



◇◇◇



 イーサンに連れて来られたのは、図書館内にある皇族専用の部屋だった。


 一般用の閲覧室にあるものよりも、ずいぶん豪華な椅子や机が置かれている。


 イーサンはその部屋のソファにアイリスをエスコートして座らせると、どこかほっとしたように向かいの席に腰を下ろした。


「ここなら誰も来ないし、人目につかないから安心してくれ」


 ということは、この再会をセシリアに知られることもないだろう。アイリスも安心して返事する。


「それならよかったです。ちょうど私も殿下とお話ししたいと思っていたんです」

「……本当か?」


 アイリスの返事が意外だったのか、イーサンが驚いたように目を見張った。心なしか頬も紅潮している。


 セシリアはアイリスをあまり良く思っていなさそうだったが、イーサンは好意的な態度に見える。


 この調子であれば、呪いを解くために惑いの森に一緒に行ってほしいという提案も、案外すんなり聞いてもらえるかもしれない。


 それならさらに自分に好印象を抱いてもらえるようにしようと、アイリスはさきほど知ったおめでたい予定への祝福を伝えた。

 

「そういえば、殿下とセシリア様がそろそろご結婚なさると聞きました。誠におめでとうございます」


 イーサンが再び驚いたように目を見開く。


「……結婚? そんなこと、誰から聞いたんだ?」

「えっ、あの、セシリア様から直接教えていただいたのですが……」


 もしかしたら、極秘の情報をなぜ知っているのかと怒っているのかもしれないと思ったが、イーサンは難しい顔でかぶりを振った。


「いや、まだ結婚の予定はない。婚約してはいるが、結婚は未定だ」

「……えっ、そうなのですか?」

「ああ、何も決まっていない」

「……」


 そんな風に言われてしまうと、非常に返事に困る。

 セシリアがまた牽制のために嘘をついたということだろうか。ただ、そのことをイーサンに知られるのは、彼女にとって避けたいことだろう。


 アイリスは空笑顔を浮かべて「わ、私が聞き間違えたようです……」と言い訳してみたが、聡いイーサンはすべて悟ったようだった。


「……すまない。私のせいで君には嫌な思いをさせてばかりだな」


 その言葉には、今日のセシリアのことだけではなく、彼が人違いだと思っているクリフのことも含まれていることは明らかだった。


「……いえ、あれは殿下の仰るとおり人違いだったんです。ですから……忘れてください。殿下とは何の関係もありません」


 アイリスが静かに告げると、イーサンは納得がいかないように眉を寄せ、強い眼差しでアイリスを見つめた。


「いや、関係ないはずがない」

「え……?」


 以前は自分で人違いだろうと言っていたのに、なぜ今になってそんなことを言うのだろうか。アイリスが怪訝そうに見つめ返す。


 するとイーサンが、ぽつりぽつりと話し始めた。


「……花祭りの日に君と会ってから、繰り返し見る夢がある。その夢には銀髪の少年と、亜麻色の髪に薄桃色の瞳の少女が出てきて、とても仲がいいんだ。少女は少年を「クリフ」と呼んで、少年は少女を「アリア」と呼んでいた。……君が私に言った名前だ。これは君の言葉が印象に残ったせいで見た夢なのか、それとも──」


 そこまで語ったところで、イーサンの言葉が途切れた。


 目の前に座るアイリスが瞳いっぱいに涙を浮かべていたからだ。


「アイリス……」


 思わず手を伸ばすと、アイリスがソファから立ち上がった。

 その拍子に、瞳からぽろりと美しい涙が流れ落ちる。


「……どうして今になってそんな話をするんですか? 聞かなければ、このまま忘れられたのに……」

「アイリス──」

「すみません、失礼いたします……!」


 アイリスが涙を流したまま部屋を出て行く。

 イーサンは開け放たれたままの扉を呆然と見つめながら、苦しげに呟いた。


「また泣かせてしまったな……」

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