第22話 皇宮にて

 皇宮に到着したアイリスとエヴァンが手を繋いでホールへと向かう。


 デビュタントのために整えられた室内は格調高い雰囲気に満ちていて、たしかにこの場所で社交界デビューを迎えられるのは非常に名誉あることに思われた。


 ホールにやって来ると、貴族たちの視線が一様にアイリスとエヴァンに注がれた。


 突如、皇都から姿を消し、長年にわたって公爵領に引きこもっていたふたりがデビュタントに現れたのだ。注目されないほうがおかしい。


「ねえ、あれって公女様と公子様よね」

「すごく久しぶりじゃない? もう七年ぶりかしら」

「エヴァン様、あんなに逞しくなられて素敵だわ…!」

「アイリス様も驚くほど美人じゃないか」

「どうにかしてお近づきになれないものか…」


 陰口が聞こえてきたらどうしようかと思っていたが、意外にも好意的な囁き声が聞こえてきて、アイリスは胸を撫で下ろす。


 しかし、エヴァンのほうはそうでもないようで、面白くなさそうな顔でホールを見回した。


「こうなることは分かっていたけど、やっぱり不快だな」

「え、何が? みんな私たちと仲良くしたがってくれてるじゃない」

「アイリスは本当に警戒心がないよね。そこがまた可愛いんだけど」


 エヴァンが仕方ないとでも言うように微笑み、アイリスと繋いでいた手の指同士を絡ませる。そうして自分の頬に触れさせたあと、ちゅっと音を立てて口づけた。


「エ、エヴァン……!? こんなところで何してるの!?」


 手とはいえ、大勢の注目を集めている中でキスするなんてどういうつもりなのか。暴挙としか言えない行動に驚いていると、エヴァンは悪びれる様子もなく、当然のことのように答えた。


「こんなところだからこそだよ。こうやって分かるようにしないと、みんなアイリスを変な目で見て近づこうとするだろう?」

「いや、今の行動のおかげで、もっと変な目で見られそうな気がするけど……」

「それでいいんだよ。ほら、陛下たちに挨拶に行こう」


 それでいい訳があるだろうか。

 まったく話が噛み合っていない。


 どうしたものかと頭を抱えるが、過ぎてしまったことは仕方がない気もする。


 アイリスは、結局自分はエヴァンに甘くなってしまうと思いつつ、どこか楽しげな様子の彼に連れられて陛下への挨拶の列に並んだのだった。



◇◇◇



 挨拶が済んだあとはダンスの時間だ。

 やがて音楽隊の生演奏が始まり、アイリスはエヴァンと手を繋いで最初のステップを踏み出した。


 元々ダンスはそんなに好きではないが、エヴァンと踊るのは楽しい。いつも一緒にいるせいか息も合うし、彼のリードが驚くほど上手だから、自分までダンスが得意な人になったように錯覚してしまうのだ。


(エヴァン以外の人と踊ったら、とんでもなく下手になってしまうかも)


 あり得そうな想像にくすくすと笑っていると、エヴァンがガーネットの瞳を柔らかく細めて囁いた。


「ちゃんと上手に踊れてるよ。みんなアイリスに見惚れてる」

「それはあなたを見てるのよ」

「女性はそうかもしれないけど、男たちはみんなアイリスに釘付けだよ……あいつまで」


 最後の一言を発するエヴァンの声が突然低く冷たくなって、アイリスはまるで周囲の温度が一気に下がったような心地がした。


(あいつって誰のこと……?)


 エヴァンの視線の先を辿ると、すぐに誰よりも美しい金髪が目に入った。皇太子のイーサンだ。彼もこちらを見ているようだった。


 久しぶりにイーサンの姿を見て、どきりとしてしまったが、それも一瞬だけのことで、次第に懐かしむような気持ちが広がっていく。


「イーサン殿下もすっかり大人っぽくなったわね。でも7年も経っているんだから当たり前か。背も高くなったし……あなたと同じくらいかしら」


 ちらちらとイーサンの様子をうかがいながら踊っていると、エヴァンがアイリスの身体をぐいっと引き寄せた。


「ねえ、あいつのほうばかり気にしないで。ちゃんと僕を見てよ」

「エヴァン……あなたって本当にやきもち焼きね」


 毎日ほとんどの時間をエヴァンと一緒に過ごしているというのに、他の人を少し気にするだけで彼は機嫌を悪くしてしまう。


「そうだよ、僕は心が狭いんだ。だからちゃんと僕の機嫌を取って」

「……仕方がない子ね」


 今のやり取りをもし知らない人が見たら、エヴァンが弟で、アイリスのほうが姉だと思ってしまうかもしれない。

 エヴァンはアイリスが自分に甘いことを知っているから、時折こうして我儘を言って甘えようとしてくるのだ。


 そんなときは、アイリスは自分のほうが合計年齢では年上だからと甘えさせてやっている。


 兄であり弟のようでもあるエヴァンを慈しむことは、クリフを忘れると決めたことでできた心の穴を埋めてくれる癒しとなっていた。


 そうして一曲目の演奏が終わり、アイリスとエヴァンもダンスをやめて壁際へと移動する。飲み物でももらって一息つこうかと思っていると、突然辺りがざわつき始めた。


「何かあったのかしら?」


 アイリスが後ろを振り返ると同時に、エヴァンが舌打ちする音が聞こえた。


 振り返った先にいたのは、イーサン皇太子だった。

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