第21話 七年後

 ガタゴトと揺れる馬車の中で、アイリスは窓の外を眺めていた。初夏の空は青く澄み渡り、白い雲が目に眩しい。


 窓から入ってきた風は涼しく爽やかで、アイリスは思わず目をつぶって胸いっぱいに吸い込んだ。


(──もう7年も経ったのね)


 公爵領で暮らすようになってから、いつのまにか7年の月日が経ち、アイリスは18歳になっていた。


 その間、イーサンやセシリアと会うことは一度もなく、彼らを思い出すこともほとんどなくなっていた。


 あれほどこだわっていた前世の約束のことも、完全に吹っ切れた気がする。


 公爵領にいる間は、やりたいことに全力投球して充実した毎日だった。


 魔法の研究と練習、乗馬、剣術、弓術、思いついたことは何でもやった。やりたくない刺繍とダンスは、まあほどほどに……。


 それでも、他人様に見られて恥ずかしくない程度には練習したので、今なら堂々と胸を張って自分は公爵令嬢であると名乗れる自信がついた。


 アイリスだっていつまでも過去にしがみついているだけではない。ちゃんと変われるのだ。


(まあでも、私よりもっと変わったのはエヴァンのほうだけど……)


 アイリスが向かいの席で同じく窓の外を眺めているエヴァンをちらりと見やる。


 出会ったばかりの頃は、線の細い貴族の少年という感じだったのに、公爵領に移ってからは剣術に目覚め、今では本職の騎士と並んでも見劣りしない立派な体格の持ち主になっていた。


 しかも、妹思いに拍車がかかり、アイリスへの過保護の度合いが増しに増して大変なことになっている。


 公爵領でアイリスに来た縁談を次々と勝手に断ってしまい、夜会に行っても「一人になると狙われて危ないから」と言って片時も離れようとしない。


 そのせいで、すっかり誰からも声をかけられなくなってしまった。前世の約束を忘れるなら、新しい恋でもしたほうがいいだろうに、そういう気は回らなかったのだろうか。


(そういえば、昔エミリーが妹思いの兄は妹に好きな人ができるのを嫌がるみたいなことを言ってたわね。そういうことなのかしら……)


 そんなことを考えていると、アイリスの視線に気づいたエヴァンが振り返って、嬉しそうににっこりと微笑んだ。


「どうしたの、アイリス? お菓子でも食べたくなった?」

「あ、ううん、なんでもない。ただ、また戻ってきたなぁと思って」

「そうだね。懐かしいね。ただ、僕はずっと二人で公爵領にいたかったけど……」

「私のせいでごめんね」

「いや、アイリスのせいじゃないよ。いろいろ済ませないといけないことがあるから仕方ない」


 エヴァンが溜め息まじりに苦笑して、また窓の外に視線を向ける。その先には、皇都の街並みが広がっていた。


(そうね。私もあのままずっと公爵領にいてもよかったけど、やらなくちゃいけないことがあるから──)

 

 皇都に戻ってきた理由は二つあった。

 ひとつは、アイリスのデビュタントだ。

 可愛い娘に格式高い皇宮でデビュタントを迎えてほしいという公爵夫妻の懇願を無下にすることはできなかった。


 そして、もうひとつの理由は、イーサンの短命の呪いを解くためだ。


 イーサンが二十歳となった今年、古代竜の呪いが発動するはずだった。それを阻止するため、彼を惑いの森へ連れて行き、精霊に頼んで呪いを解いてもらわなければならない。


(クリフのことは忘れたとしても、それだけはしてあげないと)


 皇太子が二十歳で命を落としてしまっては、国も大変なことになるだろうし、悲しむ人も多いはずだ。


 だから、その悲劇を止める間だけ皇都に留まり、すべてが済んだらまた公爵領に戻って穏やかな余生を過ごそう。


 あと数か月の辛抱だと思っていると、エヴァンが念押しするように言ってきた。


「そうだ、デビュタントのパートナーは僕が務めるからね」

「ええ、そのつもりよ。だいたい、エヴァンが他の人なんて許さないでしょう?」

「よく分かってるね」


 デビュタントはもう来週だ。

 元々、用が済めばまた公爵領に引きこもるつもりだったから、皇都にいる男性をパートナーにするつもりはなかった。


 それに、他の人を探そうとしたって、どうせエヴァンが邪魔するのだ。それなら、最初から無駄な手間は省いたほうがいい。


「皇宮で誰に出くわしても、僕がそばについているからね」

「……ありがとう」


 皇宮でのデビュタントということは、きっとイーサン皇太子とも会うことになるだろう。そして、彼の婚約者のセシリアとも。


(でも、もう彼らに会ったって平気だわ。牽制されても大丈夫)


 なぜなら、アイリスはもう、クリフとの約束は忘れたのだから。



◇◇◇



 そして一週間が経ち、デビュタントの日がやって来た。


「見て、エヴァン。今までで一番豪華なドレスかも!」


 嬉しそうにはしゃいでいるアイリスが着ているのは、デビュタント用に仕立てた新しいドレスだ。


 淡い紫色を基調として全体に銀糸で刺繍が施されている、上品で繊細なデザインだった。


 それから髪型も普段よりおめかしして綺麗に結い上げてもらい、赤紫色の宝石がついた髪飾りでまとめていた。


 すべてが優美で美しく、今夜、大人の仲間入りをするのに相応しい装いだった。


「……アイリス、本当に綺麗だ。誰もが目を奪われてしまうよ」

「もう、エヴァンったら昔から褒め上手ね。そうだ、このドレスと髪飾りもエヴァンが用意してくれたんでしょう? すごく素敵だわ、ありがとう」

「気に入ってもらえたなら嬉しいよ。アイリスにはその色が似合うと思ったんだ」


 エヴァンが蕩けるような笑顔を浮かべて答える。


「素敵な色合いね。そういえば、デビュタントのドレスといえば白がお決まりだった気がするけど、今は白じゃなくてもいいの?」

「数百年前はそうだったみたいだね。今は奇抜すぎなければ何でもいいんだよ」


 アイリスが「そうなのね」と言うと、エヴァンが興味深そうに問いかける。


「それってもしかして、伯爵令嬢に転生したときのこと? そっか、前もデビュタントの経験があったんだね」

「でも、こんなに素敵なドレスじゃなかったし、皇宮じゃなくてどこかの領主様のお屋敷だったけどね」

「そこで領主様に見初められたりしなかった?」

「まさか! そのときはもっと平凡な顔立ちだったもの」


 ふふっとおかしそうに笑うと、エヴァンは至って真面目な表情で首を振った。


「顔なんて関係ないよ。アイリスは存在自体が可愛いんだから」

「ええっ……」


 褒めてもらえるのは嬉しいが、たまに過剰すぎるように思うこともある。エヴァンには自分がどう見えているのだろう。


 すると、エヴァンがいつものように優しくアイリスの手を取った。


「それじゃあ、皇宮に向かおうか」

「ええ、行きましょう」

「あ、待って」


 エヴァンがアイリスを引き寄せて、薔薇色の頬に優しく口づける。


「おでかけのキスをしていなかったよ」

「今から同じ場所に行くのに、する必要あったかしら……?」


 いつからか、エヴァンは彼とアイリスのどちらかが出かける前にこうして頬にキスするようになった。

 

 まだ少年だった頃は子供らしくて可愛いと思っていたが、二人とももう成年なのだから、そろそろ止めたほうがいいような気がする。


「じゃあ、今度こそ出かけよう」

「そ、そうね」


 今度それとなく注意してみようかと考えながら、アイリスはデビュタントへと出かけたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る