第20話 それぞれの思い

 アイリスに付き添って部屋に入ったエヴァンは、アイリスをベッドに座らせると、抑えていた怒りを一気に吐き出した。


「あの女……! 明らかにアイリスを敵視して牽制してたよね!? どうせ皇太子がアイリスに会いに来たことでも聞いて嫉妬したんだ。今日はアイリスの誕生日なのに、わざわざあんなことをしてくるなんて許せない……!」


 あの女とは、きっとセシリアのことだろう。

 エヴァンらしからぬ乱暴な物言いを聞いて、逆に冷静になったアイリスが「まあまあ」となだめる。


「セシリア様はきっとイーサン皇太子が好きなのね……。好きな人と別の女の子が二人で会ったって知ったら、不安になっちゃうのも仕方ないわよ」

「そうかもしれないけど、今日である必要はない。今日はアイリスが主役の日なのに」


 エヴァンはどうしても許せないようだ。


「くそっ、何が白薔薇の天使だ。本当は真っ黒なくせに。あの女、昔見かけたときに黒い霧がまとわりついてて、きっと性根の悪さが漏れ出してたんだ」


 悪態が止まらないエヴァンを落ち着かせたくて、アイリスが彼の腕を引いてベッドに座らせる。それから、湯気でも出ていそうなエヴァンの頭をぽんぽんと撫でた。


「アイリス……?」


 なぜか頬を染めるエヴァンに、アイリスが小さく微笑んだ。

 

「私のために怒ってくれてありがとう」

「……お礼を言われるようなことじゃないよ」

「でも、エヴァンにはまだ前世のことを忘れてないのかって怒られるかと思ったから」

「まあ、それも思ってるけど……アイリスが今にも泣きそうな顔をしているのに怒るなんてできないよ」


 今度はエヴァンがアイリスの頭を優しく撫でた。

 その手の温かさに気が緩んで、思いどおりにいかない心の整理の難しさをついこぼしてしまう。


「……クリフのこと、忘れようと思ってるのになかなか上手くいかないの。セシリア様との関係も、勝手にいろいろ想像して辛くなっちゃうし……。どうしたら、ちゃんと忘れられるんだろう……」


 ふと思った。

 もしかしたら、クリフによく似たエヴァンと一緒にいるから忘れられないのではないかと。

 顔つきや表情はまったく違うが、髪と瞳の色彩がよく似ている。


(……でも、そんなこと言えるわけないわ)


 いつだって優しくて、クリフのことで苦しんでいるアイリスを心配してくれている彼に、クリフを忘れられないのはエヴァンの見た目のせいかもしれないだなんて。そんな酷いことを言えるわけがない。


 クリフの見た目についてエヴァンに教えていなくてよかった。このまま黙っていたほうがいいだろう。


(そうよ、これはエヴァンのせいなんかじゃない。私の心の問題よ)




 思い詰めたように淡い紫色の瞳を揺らすアイリスをエヴァンがじっと見つめる。


 今もまたクリフのことを考えているのだろうか。

 大切な人を想うアイリスの姿は、健気で綺麗で、ひどく切なく見える。自分の心まで苦しくなってしまうほどに。


(クリフのことなんて、早く忘れればいいのに──)


 エヴァンがその紅い瞳を苦しげにすがめる。ざわざわと細波の立つ心をなんとか落ち着かせると、アイリスに呼びかけた。


「……ねえ、アイリス」


 そうして、ある考えを提案する。


「クリフのことを忘れたいなら、皇都から離れるのがいいんじゃないかな」

「え……?」

「しばらく公爵領で暮らすのはどう? 皇太子とセシリア嬢の姿も噂も遠くなれば、そのうち忘れられるかもしれないよ」


 エヴァンの提案を聞いて、アイリスの目がわずかに見開く。


(……たしかに、一理あるかもしれないわ)


 皇都にいると、嫌でもイーサンとセシリアの話が聞こえてくるし、会わざるを得ないことも少なくないだろう。それでは忘れようにも忘れられない。


 それなら、物理的に離れた場所に行ってしまえばいいのだ。

 そうすれば、二人のことを考えることも減り、自然とこの執着のような気持ちも薄れていくのではないだろうか。


 クリフの短命の呪いの発動は20歳を過ぎてからだし、まだ余裕がある。それまでしばらく距離を置いてみるのもいいかもしれない。


 思い切って皇都を去り、自分だけの人生に集中してみよう。


「……私、公爵領で暮らすことにする」


 アイリスが決断すると、エヴァンが安心したように紅い瞳を柔らかく細めた。


「うん、それがいいよ。僕も一緒についていくからね」



◇◇◇



 アイリスの誕生日から数日後。

 イーサンは特注して届いたとある品物を手に持って、まじまじと眺めていた。


「……問題はなさそうだな」


 真剣に眺めていたものは、可愛らしいクマのぬいぐるみだった。毛並みは柔らかで手触りがよく、表情にも愛嬌がある。

 やはり専門店に頼んでよかったと、ひとり安心して笑みを漏らす。


 とはいえ、別にこれはイーサンが可愛がるために注文したのではない。このぬいぐるみの持ち主となるのはイーサンではなく、アイリス公爵令嬢だ。


 先日の謝罪で、彼女のことを気にするのは止めにしようと思っていたのに、結局気にしないではいられずに、こっそり調べてしまった。


 その結果、彼女の誕生日を知り、何かプレゼントを贈ったら笑顔になってもらえるだろうかと考えて、クマのぬいぐるみを注文したのだった。


 なぜだか分からないが、それなら彼女が喜びそうだと思った。


(もう誕生日から数日経ったし、そろそろ贈ってもいいだろう)


 さすがに誕生日当日に渡すのは、あらぬ噂が立ちそうで良くないかもしれないと思い、数日あけることにした。


 彼女の誕生会があったことを偶然知り、前回の訪問で、嬉し涙とはいえ、また泣かせてしまったお詫びも兼ねてという体で贈ることにしようと思ったのだった。


 クマのぬいぐるみをもう一度ぐるりと見回しながら、イーサンが呟く。


「このままでもいいが、大きなリボンをつけても良さそうだな」


 リボンの色は、淡い桃色にしたらどうだろうか。

 彼女の瞳は綺麗な紫色だが、薄桃色もどうしてかとても似合うような気がした。


「……今度は泣かずに笑ってくれるだろうか」




 ──しかし、クマのぬいぐるみがアイリスの手に渡ることはなかった。


 なぜなら、アイリスが皇都から離れた公爵領へと引っ越したからだ。


 その知らせを聞いたイーサンは、アイリスの調査を頼んだ側近を呼んで問いただした。


「公女が皇都を出て行ったというのは本当なのか?」

「はい、義兄のエヴァン公子とともに公爵領へ居を移されたようです」

「まさかずっと公爵領で暮らすつもりなのだろうか。皇都に戻る予定があるか分かるか?」

「申し訳ございません……そこまでは……」


 皇太子の望む答えを返せず、側近が恐縮して頭を下げる。

 いつもなら「分からないなら仕方ない」と落ち着いて返せるイーサンだったが、このときばかりは言葉を失い、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

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