第19話 牽制
「あ……セシリア様……ありがとう、ございます……」
きちんと返事しなければと思うのに、声が途切れ途切れになってしまう。
礼儀がなっていないと思われてしまうだろうか。
しかし、ふいに現れた「意識せざるを得ない令嬢」を前にして、アイリスは平静ではいられなかった。
(この人がセシリア侯爵令嬢──……イーサン殿下の婚約者……)
「……今日はゆっくり楽しんでいってください」
「ええ、ありがとうございます。では、他の方ともお話しされたいでしょうから、私はこれで」
セシリアがまた優美な礼をして去っていく。
その後ろ姿を見つめながら、アイリスは強烈な劣等感に襲われていた。
(すごく綺麗な子……皇太子の婚約者に選ばれるのも分かるわ)
あの儚げな容姿は、きっとクリフの……イーサンの庇護欲をそそるだろう。美人で礼儀もきちんとしていて、男の子が惹かれない要素がない。
ちくちくと痛む胸を、ぎゅっと握った手で押さえていると、そばにいたエヴァンが申し訳なさそうな声で謝ってきた。
「アイリス、ごめんね。彼女は呼ばないようにしたかったんだけど、お父様とお母様がどうしても呼びたがって。皇太子の婚約者だし、貴族での評判もすごくいいから……」
「ううん、大丈夫よ。心配かけてごめんね。ちょっとびっくりしたけど、話してみたら仲良くなれるかもしれないし。気にしないで」
「……ありがとう。でも、無理はしないでね」
「うん!」
それからアイリスは他の令嬢たちにも挨拶をしに回り、一緒についてきて愛想よく振る舞ってくれるエヴァンのおかげで、すぐに打ち解けることができたのだった。
◇◇◇
誕生会も終わりが近づき、みんなで庭園に移動してまったりとお喋りを楽しんでいたとき、セシリアがふと思い出したように話題を提供した。
「そういえば先日、人気の歌劇を観てまいりましたの」
「まあ、もしかしてあの『王女ヴィオレッタ』ですか? ものすごい人気でチケットが取れないって聞きましたけど、ご覧になったのですね」
「あ、きっと殿下が手に入れてくださったんじゃないですか? お二人で観に行かれたのでしょう?」
「ふふ……そうですわね。イーサン殿下と二人きりで観てまいりましたの」
セシリアが頬を赤らめてうなずく。
「お忙しいのに私のために時間を取ってくださって、嬉しかったですわ」
「きゃあ〜! イーサン殿下は生真面目な印象が強かったんですけど、さすが婚約者には優しいんですね」
「それはきっとセシリア様だからですわよ。こんなに綺麗な人が婚約者だったら、何でもしてあげたくなるはずですわ!」
「まあ、そんなこと……」
令嬢たちから囃し立てられて、セシリアがまた恥ずかしそうに顔を赤らめる。
それから、ちらりとアイリスのほうを見て言った。
「実は私、片目が悪いものですから、いつも殿下が気遣って手を繋いでくださるんです。ご迷惑をおかけしたくはないと思っているのですが、殿下はお優しいので……」
「……そうなのですね」
アイリスが努めて穏やかな笑みを浮かべる。
しかし、心の中はどうしようもない痛みでいっぱいだった。
(イーサン殿下は……クリフはセシリア嬢にそんなに優しいんだ……)
前世でアイリスも、ある魔法に失敗して一時的に視力が落ちたことがあった。
そのときクリフはひどく心配してくれて、アイリスが何か食べようとすれば「俺が食べさせてやる」と言って親鳥のように食事を口に運んでくれ、アイリスがどこかへ移動しようとすれば「俺が連れて行ってやる」と言ってお姫様のように抱きかかえて連れて行ってくれた。「すぐよくなるから心配するな」と言って、頭を撫でて励ましてくれた。
そんな前世の出来事を思い出して、ますます辛くなる。
クリフはきっと転生しても優しいままだろうから、セシリアにもそうやって接してあげるのだろう。
その光景を想像しただけで、無性に胸が苦しくなってきた。
(もうクリフのことは忘れようと思ってるのに……)
忘れようとしても、いや、忘れようとすればするほど勝手に思い浮かんでしまうクリフとイーサンの姿をどうにか振り払おうとしていると、セシリアが心配そうにアイリスの顔を覗き込んだ。
「……公女様、大丈夫ですか? お顔色が真っ青ですわ」
「……っ」
セシリアに指摘され、何も言えずに見つめ返すことしかできずにいると、離れた場所にいたはずのエヴァンがやって来て、アイリスの肩にそっと手を置いた。
「実はアイリスは昨日から少し体調がよくなくてね。でも誕生会を楽しみにしていたから今まで頑張っていたんだけど、無理しすぎたみたいだ。残念だけど、そろそろ失礼させてもらうよ」
エヴァンがアイリスの身体を支えて、ゆっくりと立ち上がらせる。
「じゃあ行こうか、アイリス」
エヴァンは気遣わしげな視線を向けるセシリアを冷たい目で一瞥すると、アイリスを守るように肩を抱いて屋敷の中へと連れて行った。
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