第8話 心を許せる相手
それから三日後、アイリスは晴れて公爵家の養女となり、アイリス・フィンドレイ公爵令嬢としての人生を始めていた。
(養子縁組の手続きも無事に完了したし、大神殿での聞き取りも昨日で終わったし、これで安心して過ごせるわね)
大神殿での聞き取りでは、大神官に疑われたらどうしようかと思っていたが、エヴァンが神のお告げを授かったという話をすんなりと信じてもらえた。
もしかすると、今代の大神官は神秘の力を感じ取る力がさほど高くないのかもしれない。あるいは、どこか違和感は覚えつつも、自分の代で神の奇跡が起こったという事実に浮かれて盲目になっているのかもしれない。いずれにしても、アイリスには好都合だった。
(さて、これからどんな風に動こうかしら)
今後の計画を考えようとしたところで、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「僕だけど」
「エヴァン」
扉が開いて、正式にアイリスの義兄となったエヴァンが部屋に入ってきた。その姿を見たアイリスが、うんうんと満足げにうなずく。
「やっぱり髪を切って正解だったわね。見違えたわ!」
「そ、そうかな……ありがとう」
あの日、エヴァンと互いの秘密を共有し合ったあと、彼は自分の目を覆うように伸ばしていた前髪を切った。
──もう霧を見ても大丈夫になったから。
そう言って、ガーネットのような綺麗な紅い瞳をあらわにしたのだ。
それだけでも大きな変化だったのだが、エヴァンの変身はこれだけにとどまらなかった。
息子の前向きな変化を喜んだ夫妻は、皇都で人気の散髪師を呼び寄せて、エヴァンの髪型をさらにすっきりと整えさせた。ぐんと見栄えがよくなった息子にまた喜び、今度は人気ブティックのデザイナーを呼び寄せて、流行りの衣装をいくつもオーダーした。
今まで息子の精神に不安を抱えていた夫妻も、「お告げ」の日をきっかけに、行き場を見失っていた息子への愛情を爆発させたのだった。
そうして、アイリスのこともまた「幸運の天使」だと言って、エヴァンと一緒にあれこれ世話を焼こうとしてくれた。
アイリスは「私なんて……」と遠慮して見せながらもしっかりドレスやら装飾品やらを買い込んでもらい、孤児生活で身につけた要領の良さを発揮した。
(私の都合のために公爵家を利用させてもらったけど、結果的に家族仲が好転してよかったじゃない。これでこっちも罪悪感を感じずに済むわ)
今ならどこからどう見ても素晴らしく洗練された公爵令息へと変身したエヴァンを見つめながら、アイリスがにっこりと微笑む。
すると、エヴァンが恥ずかしそうに目を逸らして本題に入った。
「……お茶会の準備ができたから、アイリスも行こう」
「そういえば、そうだったわね。行きましょうか」
エヴァンの言うとおり、このあとは貴族の子供数人を招いたお茶会が予定されていたのだった。公爵夫妻がエヴァンとアイリスに良い友人ができるようにと開いてくれたのだ。
少し面倒だが、今後のことを考えると横のつながりも作っておいたほうがいいだろう。
アイリスはエヴァンと一緒にお茶会会場である庭園へと向かった。
◇◇◇
「ねえ、みんなのところに行かなくていいの?」
庭園迷路で遊んでいる貴族の子供たちをガゼボから眺めながら、アイリスがエヴァンに尋ねる。
さっきまでお茶とお菓子をいただきながら子供たち同士でお喋りをし、その後みんなで庭園迷路で遊ぶことになったのだが、なぜか主役である公爵家の二人がその仲間に入らないという不思議な状況になっていた。
それというのも、子供の遊びを面倒くさがったアイリスが「少し疲れたので……」と言い訳して辞退したせいだ。しばらくガゼボで休憩すると言うアイリスに、エヴァンも付き添うと言って一緒に残ってしまったのだ。
エヴァンがアイリスの隣で庭園迷路へ視線を向けながら、どうでもよさそうに返事する。
「いいんだ、僕も疲れたから」
「私のことを気遣ってくれてるんだったら、気にしなくていいわよ。せっかくお友達を作る機会なんだし」
だからエヴァンは一緒に遊んでくればいいと水を向けるつもりで言ったが、エヴァンはふるふると首を横に振った。
「友達を作るにしても、あの人たちは今まで僕の悪口を言ってた人たちだから……。お父様とお母様を心配させたくなかったから言わなかったけど」
「そうだったのね」
「だから、急に親しげにされても気を許したくないというか……。僕が根に持ちすぎなのかもしれないけど」
「そんなことないわよ。悪口なんて言う人たちは相手にしなくたっていいわ」
アイリスが理解を示すと、エヴァンは少しだけ嬉しそうに笑った。
「……その点、アイリスは初めからずっと偉そうだから逆に信用できるよね」
「偉そう? 私が?」
アイリスが目を丸くしてエヴァンのほうを振り向く。
「だって、僕のほうが年上なのに、アイリスはいつも自分のほうが年上みたいな口調だろう?」
「そ、そんなこと……」
あるかもしれない、思っていると、エヴァンが「そういえば」と呟いてアイリスをじっと見つめた。
「アイリスって喋り方も気になるけど、さっきはお茶会のマナーもちゃんとできてたよね。今まで平民だったはずなのに、どうして知ってるの?」
まずい、つい普通にマナーを守ってしまったが、あれは伯爵令嬢に転生したときに身につけたもので、孤児のアイリスだったら当然知らない教養だ。なんとか誤魔化さなければと、懸命に頭を振り絞る。
「じ、実は……近所に隠居した貴族のおばあさんが暮らしていてね。その人にいろいろ教えてもらっていたのよ。この喋り方も、そのおばあさんの口調がうつってしまったのかもしれないわ……!」
我ながら苦しい言い訳だと思ったが、エヴァンは「そっか、そういうこともあるか……」とすんなり納得してくれた。
「……エヴァンって素直でいい性格よね。やっぱりあなたと出会えてよかったわ」
しみじみ思ったことを口にすると、エヴァンの頬がぱっと赤く染まった。
「な、なに急に……」
「いや、本当にそう思ったから。兄妹になったのがエヴァンでよかったって」
エヴァンは可愛いし、一緒にいて居心地がいい。
もし別の貴族の子を選んでいたら、今頃は気が合わなくて大変だったかもしれない。
そんなことを考えていると、エヴァンがぼそぼそとぶっきらぼうに尋ねてきた。
「……アイリスはどうして僕の妹になろうとしたの? 僕が公爵家の子供だから?」
「あら、公爵家ならもう一つあるじゃない。というか、あなたと出会う前に、そっちの家族も見かけたのよ」
たしか、大神殿で最初に出会ったのがもう一つの公爵家だったはずだ。あの公爵令息の意地悪そうな態度は、悪印象が強すぎて今でもありありと思い出せる。
アイリスの返事に、エヴァンが少しむっとしたように問いかけた。
「じゃあ、なんでそっちにしなかったの? デニスと先に会ったなら、そっちを操ればよかったんじゃないの?」
「ああ、あの子はデニスって言うのね。でもまあ……あの子は性格が悪そうだったから。それに、顔も気に入らなかったし」
アイリスが答えると、エヴァンは「……ふうん」と言って、ちらりとアイリスのほうを向いた。
「……それって、僕の性格と顔は気に入ったってこと?」
「そうね、悪くないと思ったわ。あと、あなたの髪と瞳の色の組み合わせが好きなの」
アイリスが愛おしげな眼差しで、エヴァンの綺麗な銀髪と紅い瞳を見つめる。
(この色を見ると、クリフを思い出すから──)
ガゼボを吹き抜ける風に乱されたエヴァンの髪を撫でて整えてやると、エヴァンはびくりと身を固くしてうつむいた。それから、独り言のように小さな声で再びぼそぼそと呟く。
「……僕も、アイリスと兄妹になれてよかったよ」
表情はよく分からないけれど気持ちはしっかりと伝わってくる言葉に、アイリスは嬉しそうに顔を綻ばせた。
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