第7話 公爵令息エヴァン

「僕を操っただろう、この魔女……!」


 エヴァンから「魔女」と糾弾され、アイリスは淡い紫の瞳をぱちぱちと瞬かせた。


(この子、あれが私の仕業だと分かったの? 鈍くさい子かと思ったのに、なかなか鋭いわね)


 自分の意思とは違う言動をした感覚はあったとしても、あのときの雰囲気であれば本当に神からのお告げによるものだと信じるだろうと思っていた。


 現に、今になるまでずっと黙っていたから、エヴァン本人も疑ってはいないと考えていたのに、まさかアイリスを「魔女」だと言い当ててくるとは。


 さて、どうしたものかと思いつつ、アイリスは落ち着いた態度でエヴァンに問い返す。


「これから家族になるというのに、あんまりな言い草ね。私が魔女だなんて、どうしてそう思うの?」


 アイリスの落ち着き具合が予想外だったのか、エヴァンが明らかにたじろぐ。


「そ、それは……僕には分かるから……!」

「分かるって何が? そう思った理由を教えてちょうだい」


 アイリスが重ねて追及すると、エヴァンは何かを迷うように視線をさまよわせたあと、ぎゅっと拳を握りしめ、青白い顔で答えた。


「ぼ、僕は昔から、人には見えない霧みたいなものが見えるんだ。黒いのとか、白いのとか、いろんな霧が。君からは紫色の霧が出てくるのが見えた。そのあとすぐに、僕が僕じゃないみたいになったんだ。だから、あれはきっとお告げなんかじゃなくて君の仕業だ。神を冒涜する悪い魔女め……!」


 エヴァンの返事にアイリスは驚いた。

 まさか勘がいいとかの話ではなく、本当に見えていたとは思わなかった。


「あなた、私から紫色の霧が見えたの? 本当に?」


 アイリスが尋ねると、エヴァンは怯んだように体をびくりと揺らし、うつむいて床を見つめる。


「ぼ、僕のこと、頭がおかしいと思ってるんだろう。気持ち悪いこと言ってるって……。僕だって自分が変だと思ってるよ。なんでこんなのが見えるのかも分からない。でも、実際君からは霧が見えてるし、こういうのが見えるときはだいたい何かおかしなことがあるんだ。だから……!」


 抑えていた感情をあふれさせて訴えるエヴァンに、アイリスは優しい声音で理解を示した。


「大丈夫、あなたはおかしくなんかないわ」

「……え?」


 アイリスの返事が意外だったのか、エヴァンが驚いた様子で顔を上げる。


「僕は、おかしくない……?」


 呆然とした表情で聞き返すエヴァンに、アイリスが真面目な顔でうなずいてみせる。


「何もおかしくなんかないわ。あなたが見ている霧のようなものは、魔力や精霊力と言われるものよ。あなたはそういった神秘的なオーラが見える体質なんだわ」

「まさか……僕にそんな力が……?」


 エヴァンが信じられないという風に自分の目元に手を当てる。

 アイリスはソファから立ち上がると、エヴァンの前に歩み寄ってにこりと笑ってみせた。


「ほら、もう一度やってあげる。私の手をよく見てて」


 アイリスが胸の前で手のひらを上に向ける。

 すると、エヴァンが「あっ」と驚きの声をあげた。


「紫の霧だ……!」

「まだ目を離さないでね」


 アイリスが放出した魔力で魔法を使うと、手のひらの上で小さな紫色の炎が燃え上がった。


「これって、魔法……!?」

「そうよ。あなたが言ったとおり、私は魔女なの」


 自分は魔女だと言い切られ、エヴァンの目に怯えの色が浮かぶ。それに気づいたアイリスは慌てて両手を振って弁解した。


「ああ、怖がらないで大丈夫。大神殿ではちょっとあなたの体を借りてしまったけど、これ以上操ったり何かするつもりはないから。今のはただ、あなたの頭がおかしい訳じゃないって言いたくて、魔法を見せてあげただけ」


 アイリスが説明すると、エヴァンは少し落ち着いたのか、こくんとうなずいて返事した。


「分かってくれたならよかったわ」


 アイリスが安堵の笑みを見せると、エヴァンは掠れた声で噛みしめるように呟いた。


「……僕の頭が変なんじゃなかったんだ」


 紅い瞳にはうっすらと涙がにじみ、強い不安から解放されたのが分かる。きっと、ずっと長いこと、自分はおかしいのだと思い込んで、恐怖と孤独を抱えていたのだろう。


 そんな彼を可哀想に思い、アイリスはエヴァンの頭をそっと撫でた。


「あなたは変じゃない。むしろ優秀な能力の持ち主よ。選ばれし者くらいに思ったっていいわ」


 早く自信を取り戻してほしいと思ってそう言うと、エヴァンはどこかくすぐったそうに微笑んだ。


「……ありがとう。やっと安心できた気がする。今まで、ずっと僕は自分がおかしくて、公爵家の嫡男として相応しくないダメな人間だと思ってたんだ」


 それからエヴァンは、ぽつりぽつりと自分のことを語り出した。


 実は両親からも精神状態を心配されて、距離を置かれていたこと。


 今日大神殿に行ったのは、悪魔憑きなのではないか見てもらうためだったこと。


 それが大神殿での騒動で「神のお告げを授かった人間」になり、両親のエヴァンを見る目が良いほうに変化したこと。


 だから最初は黙っていたけれど、もしアイリスが邪悪な魔女だったら大変なことになると思い、勇気を出して問いただしに訪れたこと。


「……君のおかげで、今日から変われそうな気がするよ」

「いいことだわ。自信を持って大丈夫よ。私が保証してあげる」


 目の色が変わったエヴァンを励ますと、彼は少し悩ましげに眉を寄せてアイリスを見つめた。


「君が魔法を使えることは、秘密にしたほうがいいのかな?」


 エヴァンの質問にアイリスが大きくうなずく。


「ええ、あれはあなたにだけ特別に見せたものだから、他の人たちには内緒にしてもらいたいわ」

「僕にだけ、特別……」


 エヴァンの頬が少し赤くなったのを首を傾げて見つめながら、アイリスがさらにお願いする。


「魔法を使ってあなたの記憶をいじることもできるけど、そういうのはしたくないから黙っててもらえると嬉しいんだけど」

「だ、大丈夫! ちゃんと内緒にするよ……!」


 記憶をいじるという脅しが怖かったのか、エヴァンが慌てて秘密の誓いを立てる。


「ありがとう、エヴァン。あ、私のことはアイリスと呼んでちょうだい。これから兄妹として仲良くしたいわ。よろしくね」

「うん、こちらこそよろしくね、アイリス」


 アイリスが差し出した手に、エヴァンが優しく触れて握手する。もうアイリスへの疑念や敵対心は消え、公爵家の一員として歓迎してくれているようだ。


(これからいい兄妹になれるといいな)


 そんな期待を込めて、アイリスは新しい兄に微笑みかけた。

 

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