第6話 孤児から公爵令嬢への転身
「──僕、この子を妹にしたいです」
一人息子からのあまりにも思いがけない頼み事に、公爵夫妻はしばらく言葉を失って立ち尽くした。
やがて二人とも我に返り、焦った様子で問い返す。
「突然どうしたの? 妹にしたいだなんてそんなこと……」
「そ、そうだぞ、エヴァン。なんだって急に……」
夫妻の戸惑いはもっともだ。
息子がいきなり他人を妹にしたいなど言い出せば、誰だって動揺する。
しかし、エヴァンは瞬きひとつせずに、同じ言葉を繰り返す。
「僕はこの子を妹にしたいです。しなくてはならないんです」
「……しなくてはならない?」
「はい、今日出会ったことは運命だったんです。神様のお導きです。たった今、天啓を受けました」
「や、やめなさいエヴァン! なんてことを……!」
神の言葉を語るようなことを言い始めた息子に、夫妻がますます焦りだす。
この国では神のお告げは何より神聖であり、いたずらに口にしていいものではない。
それなのにエヴァンが神の導きだ、天啓だ、などと言い出すものだから、夫妻はそばについている神官から「神への冒涜だ」と責められるのではないかと、すっかり顔を青くしていた。
しかし、当の神官はエヴァンの発言を不快に思っている様子はなく、むしろ何か喜ばしいものでも見るように頬を紅潮させている。そして、深い溜め息を漏らすと、震えの交じった声で公爵夫妻に告げた。
「……エヴァン様はたしかに天啓を授かられたようです。おお、生きているうちにこの奇跡を目にすることができようとは……!」
神官が感動に打ち震えた様子でエヴァンの手を取り、恭しく掲げた。
「ご覧ください、手の甲に現れた
神官の言うとおり、エヴァンの右手の甲には、神の権威を示す剣の模様が淡い光を放って浮かび上がっていた。
公爵夫妻が驚愕に目を見張る。
「まさか、エヴァンに神のお告げが……!?」
「なんてことだ……。では、この子を妹にしたいと言うのは……」
「ええ、公爵様のご一家とこの少女の出会いには、尊く深遠な意味があるのでしょう……。エヴァン様に授けられたお告げのとおり、養女として迎えられることをお勧めいたします」
神官の言葉を聞いた夫妻が顔を見合わせ、神妙にうなずく。
「分かりました。神の御心のままに……」
そうして、神官からは、この奇跡を大神官に伝えて大神殿の記録書に残す必要があるため、また翌日話し合いに来てほしいと伝えられ、公爵夫妻はアイリスを養女とする手続きをするために、アイリスを連れて屋敷へと戻ることになった。
公爵家の豪華な馬車に揺られて屋敷に到着したアイリスは、お風呂へと連れて行かれて丹念に全身を洗われ、花乙女選びの衣装とは比較にならないくらい華やかなドレスを着せられ、今までの人生で一番美味しい食事を摂ったあと、広い部屋へと案内されて、ここでしばらく待つように言われた。
路地裏の木箱とは比べるべくもない座り心地のソファに腰掛けたアイリスは、さらさらになった黒髪の手触りを確かめながら、にんまりと微笑んだ。
(ふふ……とんとん拍子に上手くいったわ)
この調子だと、アイリスは明日か明後日にはこの公爵家の養女になり、孤児アイリスからフィンドレイ公爵令嬢へと華麗な転身を遂げることができるだろう。
(思ったとおり、神官程度では私の魔法を見破ることはできなかったわね)
あの神のお告げ騒動は、すべてアイリスの魔法による作りごとだった。
公爵令息エヴァンを魔法で操って「神のお告げ」を語らせ、またまた魔法で彼の手の甲に「証」を出現させて、これが本当の神のお告げであると信じさせたのだ。
人間に神のお告げが下されるとき、手の甲に剣の模様が浮かぶということは、アリアの人生で知っていた。その詳しい輪郭も。だから、神官も納得させられる「証」もどきを出現させることができたのだった。
それにあの公爵令息──エヴァンを選んだのもよかったと言える。
公爵家の人間という身分もありがたかったし、彼の繊細で整った容姿のおかげで、淡々と天啓を知らせるさまに神々しさが上乗せされ、神のお告げという奇跡に説得力がもたらされた。
(さて、もうすぐ晴れて公爵令嬢の身分になれるから、クリフにも接触しやすくなるはずよ)
早く養子縁組の手続きが終わらないかと待ち遠しく思っていると、コンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「……僕だよ。エヴァンだ」
「エヴァン?」
「部屋に入ってもいい?」
「ええ、どうぞ」
アイリスが返事すると、エヴァンは暗い表情で部屋へと入ってきて、静かに扉を閉めた。
そして、長い前髪の向こうからひどく疑うような目でアイリスを見つめ、震える声で言い放った。
「僕を操っただろう、この魔女……!」
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