第5話 大神殿での出会い
アイリスは路地裏の木箱の上に座りながら、以前知り合ったチラシ配りの男性からもらった号外のチラシに目を落とし、溜め息をついた。
チラシにはこう書かれている。
「イーサン皇太子殿下が婚約を発表」と。
お相手は、由緒ある侯爵家のご令嬢で、皇太子と同い年のセシリア・シンクレア嬢という少女らしい。
信じがたいチラシの見出しをもう一度目で追うと、じわりと涙で視界がぼやけた。
(クリフが……皇太子が貴族のお嬢様と婚約──)
一体どうして?
花祭りの日に、自分がアリアであると気づいてくれたのではないのか?
まさかアリアだと気づいたうえで、別の人を婚約者に選んだというのだろうか?
不安と混乱で、頭がおかしくなりそうだ。
(……いや、皇室は色々としがらみがあるらしいし、今回の婚約が彼の意思だとも限らない。それに、私と再会してから婚約の発表までが早すぎるから、婚約自体は前から決まっていたのかもしれないわ)
事情が分からないうちから勝手に悪く考えて悲劇のヒロインぶるのは性に合わない。
落ち込んでいる暇があったら、調べて確かめてみなくては。
アイリスは目尻に溜まった涙をぐいと手で拭うと、チラシをくしゃくしゃに丸めてゴミ溜めの中に放った。
◇◇◇
(腹が減っては戦はできないって言うものね)
ねぐらにしている空き家に戻ったアイリスは、ハローズ菓子店の永久無料券を使って手に入れたチョコチップクッキーで腹ごしらえをしていた。
(クリフのことを調べようにも、孤児の身分では限界があるわ)
孤児では立ち入れない場所が多いし、人に尋ねようとしても相手にしてくれる人は少ないだろう。情報を買おうにも、対価とするお金もない。そして何より、本人に接触できる可能性が低すぎる。
普通に暮らしていては、花祭りの日のような偶然は二度と訪れないだろう。
だから、あれこれ苦労せずに彼の情報を得ることができて、頻繁に会うことができるような立場を手に入れなければ。
幸い、アイリスには転生しても消えずに受け継ぐことができているものがあった。
それは前世の記憶と、強い魔力。
これを利用すれば、それなりの立場を手に入れることができるはずだ。
では、どう利用するか?
(魔力を見せつけて皇室にアピールする? ううん、下手をしたら皇太子に会えるどころか、魔塔に隔離されて外出もままならなくなるかもしれないわ。昔の私たちのように…… )
前世でのアリアとクリフは、逃亡を防ぐために魔塔からの外出は禁じられていた。
しかも、片方が魔塔を抜け出せば、もう片方の首が絞まる魔法がかけられた首輪をつけるという、アリアとクリフの絆を利用した卑劣な手段まで使う念の入れようだった。
一人で抜け出しても、二人で抜け出しても、自分のせいで相手が苦しむ。それを知っているからこそ、どんなに辛い毎日が続いても、魔塔から逃げるという選択を取ることはできなかった。
(魔塔は恐ろしいところだもの。今世では関わりたくない。だから、魔力を使うにしても別の方法を取ることにするわ)
アイリスはチョコチップクッキーの最後のひと口を食べ終わると、花乙女選びのときに着た可愛らしい衣装を手に取って着替え始めた。
◇◇◇
皇都の中央にある荘厳な大神殿。
ここは神の恩恵が与えられる場所として、孤児が一人でも立ち入ることが許される数少ない場所だ。
その大神殿の回廊で、アイリスは祈祷に訪れる人々を物色していた。
(来たわ、貴族の一家ね……!)
身なりの良い夫婦と息子が歩いてくる。
案内の神官に「公爵様」と呼ばれていたから、どこかの公爵なのだろう。
(利用するにはもってこいだけど……)
目の前を通り過ぎる公爵一家を、アイリスは黙って見送った。
(あれは良くないわ。だって息子が見るからに性格悪そうだったもの……!)
一瞬だけ目が合ったときに、明らかに嫌そうな顔をして舌打ちしていた。きっとアイリスを平民と認識して、見下したのだろう。
いくら身分の違いが大きかろうと、何もせず、ただ立っているだけの人間に向かって舌打ちするなんてろくな人間性ではない。
こちらにも相手をあわよくば利用したいという下心があるため、どっちもどっちかもしれないが、とにかくあの一家はやめたほうがいいだろう。
(それに顔も好みじゃなかったしね。ずっと関わることになるんだから、好きな見た目のほうが精神衛生的にもいいわ)
そうしてまた三組ほどの貴族一家を見送ったあと、しばらくして新たな貴族一家が神官と一緒にやって来た。
最初の一家と同じく、夫婦と一人息子の三人家族のようで、またまたどこかの公爵一家のようだったが、こちらの息子は例の息子とは違って大人しそうな性格に見えた。
(なんだか鬱陶しそうな前髪だわ。それにずっとうつむいて床ばっかり見て……。貴族の子なんてみんな澄ましてるのかと思ったけど、あんな子もいるのね)
どことなくおどおどとした雰囲気で、両親からもずいぶん距離を取ってとぼとぼと歩いている様子は、言い方は悪いが根暗に見える。
公爵令息という恵まれた地位があるのに、なぜあんなにも自信がなさそうなのだろうか。顔を隠すように前髪を伸ばしているし、もしや容姿に何か問題があるのだろうかとじっと見つめていると、ちらりと顔を上げた彼と目が合った。
「う、うわっ……」
目が合うなり、公爵令息はびくりと肩を揺らし、足をもつれさせて転んでしまった。
(え……ちょっと、私のせい?)
目が合ったくらいで驚いて転ぶなんて。そう思いつつも、少しの罪悪感と、彼の顔を近くで見て確かめてみたいという好奇心からアイリスは心配している風を装って、転んだままの彼へと駆け寄る。
「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」
そう言って手を差し伸べると、公爵令息は「ご、ごめん……」と呟きながら、上目遣いでアイリスを見上げた。
その顔を見た瞬間、アイリスが大きく目を見開く。
(なんだ……可愛い顔してるじゃない)
なぜ前髪で顔を隠しているのか不思議なくらい、綺麗に整った顔だ。
回廊に差し込む柔らかな陽射しが、細く艶やかな銀髪をきらめかせ、前髪の奥に隠れた紅い瞳のガーネットのような輝きを引き出す。
遠慮がちに差し出された手は白くて、アイリスの手よりも一回り大きく、年齢は今のアイリスよりいくつか年上なのかもしれない。
やや憂いのある面差しには、年相応の幼さと、どこか大人びた雰囲気が同居していて、その不思議なアンバランスさにアイリスは思わず目を奪われた。
「あ、あの……そんなに見ないでほしいな……」
アイリスに凝視され、公爵令息が恥ずかしそうに頬を染めてうつむく。その姿を見た瞬間、アイリスは決めた。
(よし、この子にしよう)
この子なら、ずっと一緒にいても不快な思いをすることはなさそうだし、何より非常に好ましい顔をしている。
アイリスは、彼の手をぎゅっと握りしめると、申し訳ないという気持ちを込めて軽く微笑んだ。
(ごめんね、ちょっと協力してちょうだい)
アイリスの微笑みを見てわずかに頬を染める彼の瞳を、アイリスがじっと見つめて魔力を込める。
すると、紅いガーネットの瞳に妖しい光が灯った。
「エヴァン、大丈夫?」
両親から安否を尋ねられた公爵令息がこくりとうなずく。どうやらは彼はエヴァンという名前らしい。
「大丈夫みたいね、よかったわ。ああ、あなた、エヴァンを助けてくれてありがとう」
「……いえ」
公爵夫妻にお礼を言われたアイリスが可憐に微笑み、エヴァンに何かを促すように小さくうなずいてみせる。
するとエヴァンの形の良い唇が腹話術人形のようにふわりと開いた。
「お父様、お母様、お願いがあります」
「お願い?」
「急にどうしたんだ、エヴァン」
息子からの突然の申し出に、夫妻が戸惑ったように顔を見合わせる。そんな二人の様子など気にもしていないような無表情な面持ちで、エヴァンが「お願い」を口にした。
「──僕、この子を妹にしたいです」
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