第4話 皇太子イーサン
花乙女選びの催しが終わり、案内された控え室に入ると、あとから菓子店の親子ハンナとエミリーも部屋に入ってきた。
二人は何度もアイリスにお礼を言い、即席で作ったらしい「お菓子永久無料券」をプレゼントしてくれた。
「その衣装もお祝いにアイリスさんにプレゼントするわ」
「いいんですか、ありがとうございます……!」
元々、皇族への花束贈呈が済むまで借りるつもりではあったが、思いがけず素敵な衣装が手に入って素直に嬉しい。
「じゃあ、私たちはこれで失礼するわね。あなたのおかげで、きっとこれからお店が忙しくなると思うから」
またお店に来てね、と言って部屋を出て行こうとした親子を見送るアイリスだったが、ふと不安に襲われて「あの……」と引き止めてしまった。
「アイリスさん、どうしたの?」
ハンナに尋ねられ、アイリスがもじもじしながら頬を染める。
「……今の私、ちゃんとして見えますか? たとえば久しぶりに好きな人に会ったとして、可愛いと思ってもらえそうかな、なんて……。もう少し大人っぽくして見せたほうがいいですかね……?」
花乙女に選ばれたのだから、きっと大丈夫なはずとは思うものの、もうすぐクリフに会えると考えたら、急に不安でたまらなくなる。
皇太子なら普段から貴族の綺麗なご令嬢ばかり見ているだろうから、あまり庶民的な雰囲気ではよくないかもしれない。
百年くらい前には伯爵令嬢に転生したこともあるから、あのときみたいに澄ました感じにしたほうがいいだろうか……。
何度も転生しているというのに、クリフ一筋だったせいで、どの人生でも恋愛とはまったくの無縁だったため、いざというときに自信がなくなってしまう。
彼の前でどんな風に振る舞えばいいのだろう。
自分では分からなくなってしまい、年長者のハンナに助けを求めると、ハンナは優しく目を細め、アイリスを真っ直ぐに見つめて答えてくれた。
「そんなに考え込まなくて大丈夫よ。無理によく見せようとしなくて大丈夫。花乙女選びのときのアイリスさんもとても素敵だったけれど、今好きな人のことを想って悩んでいるあなたも最高に可愛いもの」
エミリーも勢いよくうなずいて母親に同意した。
「そうよ! アイリスのそんな顔見たら、その人もきっとドキドキしちゃうわ。だから大丈夫!」
二人から大丈夫だと言ってもらえて、アイリスもだんだんとそんな気持ちになってきた。
「お二人とも、ありがとうございます。なんだか勇気が湧いてきました。素のままの私でぶつかってみます!」
「ええ、頑張ってね!」
「応援してるからね!」
そうして菓子店の親子と別れたアイリスは、花祭りの実行委員なる偉い人から皇族への花束贈呈の流れの説明を受け、贈呈の舞台となる劇場のバルコニーへと連れられてきた。
「もうすぐ皇族の皆様がいらっしゃるから、わしが合図をしたら花束を持ってくるんじゃよ」
「はい、分かりました。皇太子殿下にお渡しすればいいんですよね?」
「そうそう。そのほうがいろいろと見栄えもいいじゃろうからな」
「はい、ありがとうございます……!」
実行委員の偉い老人をアイリスが感謝の眼差しで見つめる。
(ああ、クリフにこんなにも近づけるなんて……!)
皇太子に花束を渡し、「ようこそおいでくださいました」と挨拶をする。それが花乙女であるアイリスの役割らしい。
つまり、アイリスが皇太子に話しかけることが許され、不敬扱いにはならないということだ。
話してもいいのは定型の挨拶だけだが、あと一言二言くらいなら気づかれずにメッセージを伝えることができるだろう。
──ねえクリフ。私よ、アリアよ。
そう伝えるくらいは。
何度も時計を確認しながら待っていると、皇室の護衛騎士らしき人々がバルコニーにやって来てそれぞれの位置についた。
そして、そのあとから身分の高そうな格好をした男女と、十代の少年が姿を現した。
(あの人たちが皇帝と皇后、それに──イーサン皇太子ね……!)
アイリスの淡い紫色の瞳が真っ直ぐに皇太子の姿を捉える。
午後の日差しに照らされた黄金色の髪は、まるで陽光そのもののように眩く輝き、青い瞳は今まで見たどんな晴れ空や凪いだ海よりも美しい色合いをしている。
賢そうな額に凛々しい眉、形よく整った鼻梁に品の良さそうな唇。そのすべてが寸分の狂いもない比率であるべき場所に配置されていて、まさに誰もが目を奪われる美しさだった。
(ちょっと……前に見た絵姿を完全に超えてるじゃない)
画家による絵を実物が超える例を初めて見た。
(何よ、クリフのやつ……! またこんな格好よくなっちゃって……!)
自分も相当な美少女に転生できたと思っていたが、イーサンには負けているような気がする。なんとなく悔しい気持ちになっていると、実行委員の偉い老人が小声で合図を出してきた。
「アイリスさん、出番じゃよ」
「は、はい……!」
実行委員の人から、皇太子に渡す花束を受け取ったアイリスが、バルコニーの中央へと足を進める。
花乙女選びのときとは比べ物にならないくらい緊張するが、彼に無様な姿を見せないよう、背筋を伸ばし、可憐な微笑みを浮かべて、一歩一歩近づいていく。
皇太子もこちらを認識したようで、アイリスに目線を向けながら静かに訪れを待っている。
(クリフ、私のこと気づいてくれたかな……。まだよく分からないわ。やっぱり、ちゃんと前世の名前で呼びかけてみよう)
近いようで遠くにも感じた数十歩の距離を縮め、アイリスがイーサン皇太子の目の前に立つ。変によく見せようとはせず、前世のアリアのときのように屈託のない笑みを浮かべる。
そして、柔らかな声音で歓迎の言葉を告げた。
「ようこそおいでくださいました」
「ありがとう。花乙女おめでとう」
台本通りのやり取りを交わしたあと、アイリスが期待を込めた眼差しで囁く。
「……ねえクリフ。私よ、アリアよ」
周囲に気づかれないように、ごくごく小さな声で。
前世の名前さえ伝えれば、きっとすべてを理解してくれると信じて。
クリフは今、何を思っているだろうか。
心臓が早鐘を打って止まらない自分のように、クリフも心を震わせてくれているだろうか。
想いが伝わるようにと熱く見つめるアイリスの瞳を、彼もまた瞬きさえせずに見つめ返す。
──そして、無言のまま目を逸らした。
「えっ……?」
予想外の反応に、アイリスが思わず驚きの声を漏らす。
しかし、皇太子は再びアイリスと目を合わせることはなく、手渡された花束を抱えて貴賓席へと歩いていってしまった。
花乙女の出番も終わり、これ以上アイリスがこの場にいる理由はない。
クリフを問いただしたい気持ちでいっぱいだったが、平民が皇太子に食い下がるわけにもいかず、アイリスはやむなくバルコニーから退場した。
(クリフ、どうして? なんで私を無視したの……?)
至近距離で気配を感じて確信した。
イーサン皇太子はたしかにクリフが転生した姿だと。
そして、アイリスが「アリア」だと名乗ったあと、彼の瞳はたしかに揺れていた。きっと目の前の花乙女が、彼の愛するアリアだと分かったはずだ。
なのに、なぜ……?
(いや、気づいたけど、立場もあるからあの場では言い出せなかったのかもしれない。きっとそうよ)
だから、仕方ない。
おそらく数日以内に、彼のほうから接触してくるはず。
そう信じて待っていたが、花祭りから二日後、思いがけない知らせにアイリスは言葉を失った。
皇太子が貴族の令嬢と婚約したことが発表されたのだった。
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