006

「二人とも、学校はどうなんだ。」

 ハンバーグを茶碗にのせ、お父さんは言った。

「うーん。今度の駅伝の大会で学校の代表として出ることになったよ。」

 ゆうかは嫌いな人参をよけながらハンバーグにかぶりつく。

「おお、すごいじゃないか。なあ。」

「ええ、そうね。最近頑張っているものね。」

「へー。種目はなんなの?」

「長距離だよ。」

「駅伝はね、十八キロ六区間の長距離だね。まあ、長距離との違いはリレー形式なところかな。」

「じゃあ、会場まで応援しにいかないとね。」

 お母さんがお父さんの茶碗に二杯目をよそう。

「恥ずかしいなあ~。」

「テレビに出るのかしら。」

「出るんじゃない?」

「はあ、走りながら音楽とか聞けたらいいのに。」

「そうね、音楽聞いてるとあっという間に終わるわよね。じゃあ、体力つけとかないとね。」

 そういうと、ゆうかのお皿にハンバーグを半分乗せた。

「わーい! ありがとう。おねえちゃんのもちょうだい。」

「あっ、ちょ、やめなさいよっ。」

「あやかはどうなのか? 学校上手くいっているのか?」

「あ、今日先生に怒られちゃった……。」

「なにかしたのか?」

 お父さんは眉をひそめる。

「やらかしたってか、授業中ぼーってしてただけだよ。そしたらね、課題がこんなにっ。」

 私は、指を使って量を表した。だいたい一センチくらいだ。

「ええ、夏休みでもないのに? 一人で?」

「うん。ひどいよね?」

「ほんとにそれ一人分なの? お姉ちゃん間違えてきたんじゃない? ごちそうさまー。」

 ゆうかは、シンクに食器を下げて二階へ上がっていった。

 たしかに。いくらあのガッツマンとはいえ、あそこまでするだろうか。

「まあ、あやかも授業中に考え事するのはよくないかな。よからぬことを考えてたんじゃないのか?」

「よ、よからぬことっ、じゃないよっ。」

「あら動揺して。この子もそういう時期なのね……。あっ、あなた聞いて、この子ったら今日告白されたのよ。」

 それ、お父さんに言うのって思ったけど、同じ男だから意見を聞くのはいいかもしれない。

「……どんな男なんだ?」

「山崎さんとこの息子さん。裕也君よ。」

「ああ、裕也君か。いいじゃないか文武両道で男前だろ。」

「でもね、私の女友達が山崎のこと好きなんだよね。」

 私は一連を詳しく説明する。

「まあ、どっちにせよ早く返事してあげた方がいいんじゃないのか?」

「えっ、そうなの?」

「ゆっくりでいいってのは、言葉の裏返しだ。その子は知りたいんだよ、お前の気持ちが。」

 そうなのか……。まあ、待ってる間ずっと辛いよね。期待と不安が入り混じって何もかも集中できなくなってしまう。

「男はな、振られても、想い続けるものだ。それどころか振られる前よりもっと追いかける。俺はそうだった。」

「え、そうなの?」

 ちらっとお母さんの方を見るとこっちに向かってピースサインしている。

「まあ、付き合うまではもう少し慎重に考えた方がいい。長年一緒にいたって分からないことだらけだったりするしな。」

「そうね……。まだあやかは若いから焦らなくていいわ。ほかに好きな人ができるかもしれないし。」

「わかった。二人ともありがとう。」

 私はカバンを持って階段に駆け出す。

「今日は取引先がな……。」

 お父さんの声が遠くの方から聞こえる。

 私は自分の部屋に入った。窓を開けて星を見る。今日は曇りだったからあまりよく見えない。

 今日あったことを振り返る。美沙に、言ってみようかな……。

 〈今、ひま?〉

 メッセージを送った。既読はつかない。

 美沙なら、どうするのか。逆の立場……もし私の好きな人が美沙に告白したら、美沙はどうするんだろう?

 私は中指の爪を噛んだ。既読はつかない。

「ゆうかー、お風呂入らないのか? 入らなかったらお父さんが先に入るぞ。」

 廊下から話し声が聞こえる。既読はつかない。

 私の部屋のドアを誰かがノックしている。

「はーい。」

「入っていい?」

 ゆうかだ。ドアの隙間から顔を覗かせる。

「どうしたの? お金は貸さないよ。」

 私は、窓とカーテンを閉めた。

「なんで分かったの?」

「ゆうかが部屋に来るときはだいたいお金か漫画借りるくらいじゃない。」

「漫画かもしれないよ?」

「高校が期末考査なら、中学も期末でしょ? ゆうかのことだから今は漫画を読まないね。」

「恐るべし姉貴だ……。」

 ゆうかは背中を向けて部屋から出ようとした。

「何に使うの?」

 顔をハッとさせ、私のもとに駆け寄ってきた。

「まだ貸すとは言ってないのだが?」

「ヘッドホンが……私の大事なヘッドホンが……。」

「え、あの高いやつ壊したの?」

 ゆうかは眉間にしわをよせた。

「ち、違うよ! 壊れたんだよ! 寿命ってか、あんまり聞こえなくなったの!」

「大きい音で聞きすぎなのよ。」

「え、そんなんで壊れるの?」

 私はわざとらしくためいきをついて、ベッドに座った。

「ゆうかはほんと分かってないなあ。」

 ゆうかも私の隣に座る。

「……どういうこと?」

「本当にあった怖い話しようか。これは、私の知り合いの話なんだけど……。」

 ゆうかは唾をごくりと飲んだ。

「ある日Aさんは、初任給で十万円もする高級ヘッドホンを買ったの。念願のね。」

「初任給ってなに?」

「会社で働いたときに、一番初めにもらえる給料のこと。いい? 話を続けるよ。Aさんはね、好きな歌手がいてね、毎日そのヘッドホンで音楽を大音量で聞いてたの。」

「……わたしと同じだ。」

「そうだね。仕事の時以外はずっと聞いていた。通勤するときも、お昼休みも、休憩中も、退勤するときも、家にいるときも。休日は家でずっと……。でね、Aさんはある日会社でミスをした。それをね、部下のせいにしたの。」

「最低……。」

「で、その日はそのまま帰ってたんだけどプツンって音が切れた。」

「私と同じ!」

「Aさんは、せっかく高い金払ってもう壊れたのかよって怒ってね、今日会社でミスしたイラつきもあってそのヘッドホンを投げ捨てた。それで、家についてすることもないし、テレビをつけた。そしたらテレビも壊れてた。」

「ええ~。ついてないね。」

「画面はつくけどね、音だけが聞こえないの。どれだけボリュームをあげても……。もう、怒るよね。Aさんはそのことをつぶやいてやろうって思ってスマホを取り出した。そしたら着信が十件もきてた。焦ったAさんは発信元を見て顔が青ざめた。会社の上司からで、自分のミスがばれたと思ったみたい。すぐに折り返したんだけど、上司は出ない。」

「それでそれで!」

「その時、一件の新着メッセージがありますってなった。そこに書かれていた内容は……。」

 ―――コンコン。

「きゃーーーー!」

 思わずゆうかと抱き合う。

「なんだお前たち。怖い話でもしてたのか? おい、ゆうか風呂入ってなかったのか! 先に入るって言ったじゃないか。」

「あっ、ごめん。もうちょっとだけ待って。今いいとこなんだ。」

「だめだ。お父さん、明日は早く起きなきゃいけないんだ。入りなさい。」

「あっ、分かったよお。お姉ちゃん、あがったら聞かせてね、続き。」

「オッケー。」

 ゆうかとお父さんは部屋から出ていった。

 私はスマホに目をやる。時間があいたので画面は切れていた。

 電源をつける。メッセージがきていた。

 〈うん! 今お風呂だけど電話ならいいよ!〉

 〈お風呂あがってからでもいいよ~。私今日見たいのとかないし。〉

 すぐに既読がついた。

 〈お風呂あがったら勉強したいんだよね……。今からがいいかな!〉

 私は美沙に電話をかけた。

「もしもし? ごめんね急に。」

「いいよ、いいよ。どうしたの?」

「しょうもない話なんだけどさ……、もし、もしさ私に好きな人がいるとしてね? そのわたしの好きな人が美沙に告白きてきたらどうする?」

「え? なにそれ、心理テストかなにか?」

「まあ、そんなとこ。」

「三角関係ってやつねー。」

 電話の向こうでは、水がぴちゃぴちゃと跳ねる音が聞こえる。

「私なら、そいつのことが好きだとしても、あやかと仲悪くなりたくないから、断るかな。」

「えっ……そうなの?」

 嬉しさと、うっすらとした悲しさがある。なにかを手に入れられないという、淡い悲しさ。

「私が応援するっていっても?」

「うん、たとえあやかが応援してくれてその男と付き合えても、心の奥深くから幸せにはなれないよ……。欲張ったら、なにか代償があると思う。」

「そうなんだ……。じゃあ、それだけ。また明日。」

「えっ、結果とかは教えてくれないの?」

「うん、明日教えるよ。」

「んじゃ、明日ね!」

 通話を切った。メッセンジャーの山崎のトークを開く。学校では話すけど、美沙が好きって知ってから、メッセンジャーでは話していなかった。

 やりとりは去年の夏で終わっていた。

 〈山崎、起きてる?〉

 すぐに既読がついた。

 〈まだ七時だぞ。起きてるよ。〉

 〈そうだね(笑)あのさ今日の告白の返事、よく考えたんだけどさ私は山崎とは友達でいたいと思ってる。だから、ごめんね。〉

 既読はついたがそれから返事はこなかった。どうしよう。スマホの画面を伏せ、画面を見ないようにした。うつ伏せになり枕に顔を埋めた。

 本当これでよかったのかな……。でも好きって思ってたわけじゃないし……全く意識してなかった。

 今日、キスされるまでは。いや、もしかすると、美沙が好きなのを知ってから自分の本当の気持ちを無意識に封じ込めていたのかもしれない。

 欲張りの代償ってなんだろう。

 本当の幸せってなんなんだろう。

 メッセンジャーの通知音が鳴った。

 〈分かった。返事くれてありがとう。〉

 手書きの文字じゃないけど、なんとなくその文字は渇いていた。

 対照的に私の目は潤んでいく。美沙が過去に、私に悪いことしてないか考えた。喧嘩もしてない。

 嫌味とか悪口を言われたりもしてない。

 イラついたことも、傷ついたことも、どんなに過去を巡っても、嫌なとこは見つからなかった。

 私はなんて最低なんだろう。

 もし美沙が、ひとつでも嫌な部分があれば、どれだけ楽だっただろうか?

 確かに、美沙と出会ってまだ日が浅い。でも、どんな人でも、関わっていれば一つや二つ嫌な思いをするものだ。人間関係とはそんなものだ。

 ……だめだ。こんなこと考えちゃ。

 私は気持ちを入れ替えるため、カバンからプリントの山を取り出す。

「はあ……。」

 こんな時に限って……。

 ペンケースを取り出して、一枚目を手に取る。クリアファイルに入れてなかったので少し端が折れている。というか入らない。束が何枚あるのか数えようとパラパラとめくる。よく見ると、ピンクの伏せんが貼ってあった。

 〈2―B 六月三日配布〉

 それは上から数枚目のところに貼ってある。その伏せんが貼ってあった紙を見ると、[個人懇談会のご案内]と書かれている。四十枚ごとに、[ほけんだより]、[PTAだより]と続いている。

 ……ろ、六月三日って今日じゃん!

 えっ、でも私放課後にもらったんだけど……。

 懇談会の紙とかは学年主任のガッツマンが作るから……気づくと思って重ねて担任の森田先生に渡したのだろうか。でも、気づかなかった担任は有田先生に渡して、放課後に私にそれごと?

 考えれば考えるほど分からなくなる。

 ちゃんと数えると私の課題は三枚だった。

 今日の授業でみんなに配られた一枚と足して四枚か……。確かに三倍って言ってたな……。

 バレたら、また怒られる……。でも、私悪いのかな? 悪いのは重ねたガッツマン……。でも、確認しなかったしな……。バレないようにこっそり戻しておこう。


 私は、気分転換もかねて学校に行くことにした。野球部が遅くまで練習してるはずだから、まだ間に合うはず。

「いってきまーす。」

「うん。気をつけるのよ。」

 もう六月なのに、夜風はひんやりと冷たかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自殺女子白書 十五夜 沙介 @151515151515

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画