第一話 幼い君のその傍に(3)



 そして私は六年生になった。

一年生や二年生の頃に見たその大きな背中も、今では自分なんだとはとても思えない。

 いざ当事者になってみると案外実感が湧かない――なんてことも、もしかしたらよくあるのかもしれない。兎にも角にも、今年で卒業なんて正直信じられないな。

トイレで手を洗い、私のお気に入りのハンカチで水滴を拭き取る。

このハンカチはお母さんから貰ったもの。

親から必要な物を与えられるのは普通かもしれないけれど、これはプレゼントだった。

去年の誕生日に何が良いと訊かれた際、私は何でもいいからお母さんのお下がりを望んだ。

ハンカチは身だしなみの一つだし、何よりも大人な女性のアイテムをひとつ身に着けるだけで、私は一人前の女性になれた気がした。

子どもながらに、少し背伸びもしてみたかった……のかも。

鏡の前で、左右に首を振る。後を追うように、紺色の自慢の髪が宙を泳いだ。

「もう腰くらいになっちゃったな」

 去年はまだもう少し短かったし、時が経つのは早いね。

「鹿野ちゃん、まだ~?」

 外で待っている友達から呼ばれた。

「ごめん、今行く」

「次って確か一年生と校内探検でしょ?」

「うん、そうだよ」

「何するんだっけ?」

「例えば保健室とか給食室を回ってさ、先生にスタンプを貰うんだよ」

「うわ何それ、めんどくさ~い」

「まあまあ、お互い別の班だから頑張ろうね」

「うげ~、せめて鹿野ちゃんと一緒の班が良かったなぁ」

 他の学校でどうなのかは知らないけれど、私の学校では新しく入ってきた一年生たちに学校の色んな場所を紹介する目的も兼ねたスタンプラリーがあった。学校を紹介するのも、私たち最高学年としての責任だ。私が一年生の時もあったな。

同じ小学生なのにやけに頼もしくてさ、懐かしいなぁ……。

それから少しして、私たちは一年生の教室に向かった。ドアを開けると、彼らはそわそわするように視線を彷徨わせていた。可愛いな、そう思っていると早速班に別れてスタンプラリー開始らしい。班は八人一組で、一人ずつ一年生とペアになる。だから私たち六年生は四人。

教壇付近に目を遣れば、先程までやる気のなかった彼女も、「みんな行くよー!」なんて言っててすごく乗り気。私のペアは男の子だった。

性格は大人しくて、ふとどこかの誰かさんが脳裏に浮かんだ。

「おっし、全員揃ったな」

「うげ、水瀬みなせも一緒かよ」

「なに、私が居たら迷惑なの?」

「い、いやぁ……ナンデモナイッス」

「あっそ」

 端正な顔立ちの彼は今日の班長だ。そしてもう一人の彼は同じ班のメンバーで、どうやら男女の比率は同じみたい。そんな彼を一言で一蹴した彼女の名前は、確か水瀬涼風すずかだったかな。今年から私と同じクラスで、長い黒髪を後ろでひとつに結んでて肌も真っ白。

それに何と言っても彼女の瞳の色。あれは碧眼と言うのかな。

青く透き通っていてすごく綺麗。

 氷のお姫様というのが第一印象だった。

「なあ青葉さん、ちょっといいか」

 班長の彼に呼ばれたので、少しその場を離れた。

「どうしたの?」

「ああいや、なんつうか水瀬さんの事なんだけどさ」

「うん」

「青葉さん、誰とでも仲良いイメージがあってさ」

「基本的にはね」

「そこでちょっとお願いがあって――」

 話をまとめると、水瀬さんは基本的に誰にでも冷たい態度を取ってしまうらしい。

そこで今回は一年生もいるから空気を悪くしたくない、それは最もな意見だった。

確かに先程の一瞬であれなのだから、この学校探検は一年生にとってあまり良くない思い出になる可能性は十分に考えられた。

それを未然に防ぎたい、それが班長としての彼の想いだった。

「要するに、私が周りと水瀬さんの間を上手く取り持っておけばいいのかな」

「ああ、頼めるか?」

「うん、分かった。水瀬さんのことは私に任せてよ」

 そう言うと、彼は両手を合わせて勢い良くお辞儀した。

「恩に着るよ!」

 私、先生じゃないんだけどな……。

なんて思いながらも、こういう面倒事も私の仕事。

「いいよいいよ、気にしないで。一年生の子たちに良い思い出、持って帰ってもらおうよ」


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