第一話 幼い君のその傍に(1)



 私、青葉鹿野あおばかのは家族が大好きだ。

 とっても、とっても、大好きだ。

「お前、そのブロックさっさと貸せよ!」

「え……こ、これは僕が最初にみつけ……」

「あぁ? ちっさくてなんもきこえねー」

 この時は私と朔がまだ保育園にいた頃だった。

朔は私とひとつ歳が離れてて、物静かな子だけど人一倍優しい自慢の弟。

だけど、そのせいで周りの子たちから虐められることも小さい頃はよくあった。

それで朔のいる薔薇組の前を通る度に、年長の私が割って入る。そんなことをしていると、お父さんたちは「男の子なんだから、もう少し強くなりなさい」そう朔に言った。

 違うの、違うんだよお父さん。朔は弱くて毎回他の子にやられてるわけじゃないんだよ。

 優しいから、朔が他の子よりもずっと優しいから。

他の子たちを傷つけずに、代わりに自分が傷つく方を選ぶ。

そんな誰よりも強くて優しい子なんだよ。

その時、幼いながらも私はそうお父さんたちに言ったのを今でもよく覚えている。

 日曜日はお父さんもいるから、家族みんなでよく遊びに出掛けた。

「今日は水族館に行こうか」

 お父さんがそう言うと、朔は子どもらしく目を輝かせた。

 その眩しさで私まで嬉しくなってしまう。

「やった~、また水族館だ~!」

「やったね、朔」

「うん!」

 水族館に着くと日曜日だからか人が沢山いて、私は朔の手を握ると片方の手でお母さんの裾を掴む。お母さんは微笑みを浮かべると、私の手を取った。

「ふたりとも、はぐれないようにね」

「うん」

 だけど、そんなことよりも朔は水族館に夢中になっていて、気が付けば繋いでいた手は空を掴んでいた。一気に血の気が引いた気がした。

「お母さん、どうしよう! 朔がいない!」

「うそ、さっきまでそこに居たわよね?」

「うん、私と手、繋いでたし……」

 幼い私はすぐ不安になって、もう会えないんじゃないかって思ってしまう。

 だって、ここから見える景色は大人でいっぱいだから。

魚なんて、脚の隙間からでしか見えないんだもん。

お父さんはトイレに行ってて、お母さんはすぐに携帯で連絡する。

今ではお父さんが来るまで待った方が良いのは分かる。ここでお父さんを待たず、私が一人で勝手に朔を捜しに行って、私も迷子になるのは一番だめだ。

だけど、あの優しい弟が今どんな状況にいるのか。

周りに大人しかいなくて、物静かな朔は誰にも頼ることができなくて……。

そう思うと、私の脚は自然と動き出していた。

「お母さん、ごめん! 私、朔捜して来る!」

「えっ、ちょ、鹿野⁉」

 慌てるお母さんを余所に、私は大人の隙間をなんとか掻い潜る。

 群衆に揉まれながらも、小さなこの身一つで必死に開けた場所を捜す。

「わっ!」

「痛って、気をつけろよな」

「ご、ごめんなさい」

 朔を捜して必死になっていると、大人の人にぶつかった。

そこで少し声を荒げられるだけで、胸の辺りがキュッとなる。

正直に言うと、大人の人から注意されるのってもの凄く怖い。

 それでもなんとか進んでいると、海月いっぱいの空間に出た。

 ここは他の所よりも薄暗くて、人も少ない。

心なしか空気も少し澄んでいる。どこかひんやりとしていた。

 中央に、大きな球形の水槽があった。

底からライトアップされていて、その中を海月が優雅に泳いでいる。

「きれい……」

 さっきまで張っていた気も、見ていると少し弛緩した。

そこで、誰かの鼻を啜る音が聴こえてきた。音を辿ると、隅っこの方で蹲っている朔がいた。

私はそこまで歩くと、彼の目線と合うようにしゃがむ。俯くその頭を、そっと撫でる。

一瞬ビクッとした朔も、私を見ると安心したかのように大粒の涙を流した。

「おねえちゃああああああん、ぼく、ぼく……ううぅ」

「うん、独りで怖かったね。大丈夫だよ、お姉ちゃんがいるから」

 ――もう独りじゃないよ。

「でも、勝手にどこかに行ったらだめだよ?」

「うん、でも……あそこじゃお魚、全然見えなくて……」

「うん、あそこ人でいっぱいだったもんね」

 好奇心の塊である子どもに対して、あれこれ駄目だと束縛するのは中々にひどい。

 確かにその子の安全を考えるとどうしても言いたくなってしまう。

私だって、弟に何かあったらと思うと自分の傍にいて欲しい。

勝手にどこかへ行って欲しくない。だけど、そればかりでは子どもは成長しない。

足りない頭でも自分で考えて、行動して。そこで大きく成長する。

朔は今日のことで十分分かっただろうし、また安易な行動はしないと思う。

朔よりも大きな私が、彼の成長の機会を奪いたくない。

だけど、もし今日みたいに朔が転んだら。

その時は、姉である私がまた傍で寄り添ってあげよう。

「独りじゃなくてさ、お姉ちゃんを連れてってよ」

「え……?」

 きょとんとする朔に、私は顔の横でピースをする。

「お姉ちゃんとだったら、独りじゃないでしょ?」

 笑顔でそう言うと、朔は元気な声で返事した。

「うん!」

 そしてその後は、お母さんたちと無事に合流して日が沈むまで魚を見て回った。

 朔はお父さんに肩車してもらってて、凄く楽しそうだった。

 そんな私を見てからか、お母さんは「鹿野も肩車、してもらう?」そう私に尋ねた。

「ううん、私は朔よりも大きいからいいよ」

 決して朔にその特等席を譲ったわけではない。

 だって、魚のあまり見えない私の所からでも水族館は十分楽しめたから。


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