代理でお飾り妻、承ります

村沢黒音

第1話 代理でお飾り妻、承ります


「――レルナディア」


 旦那様に名を呼ばれる。寝所での出来事だ。

 至近距離で旦那様の顔を眺めて、そのあまりの美しさに私はドキッとした。


 首元に柔らかくかかる、細い銀髪。完璧な造形の目鼻立ち。切れ長の目は深い藍色。濡れたように見えるほどの輝くような色をしていて、何とも色っぽい。

『魔性』とは、この人のためにある表現なんじゃないだろうか。


 2人きり。結婚初夜。

 そして、ベッドの上でのこの距離の近さ――。

 緊張するなっていう方が無理じゃない?


 今だけでなく、私は今日一日、ずっと緊張していた。


 私はなるべく冷静を装いながら、旦那様と向かい合う。


「旦那様。私のことはどうぞ、レナとお呼びください」

「呼び名か? どうでもいい。今後、君を呼ぶつもりもない」


 冷ややかな声、という表現があるけれど。

 それって感情を向けてもらえるだけマシじゃない? と私は思う。


 だって、旦那様の声のトーンはまっ平ら。つまり、無ってことだ。私に何の興味も抱いていないことがわかる。そのへんの石ころと同じ扱い。


 仮にも、今日、私はこの人の妻になったというのに。

 そもそも、私のことも全然見ようともしてくれてないし。


「わかっていると思うが、これは契約結婚だ。――俺は君を愛するつもりはない」


 念押しのように言われた言葉も、会話というよりも、職務上の伝達事項のようだった。

 思わず、苦笑してしまいそうになった。


 はいはい。

 それはけっこう!


 わかってて、ここに嫁いできたので構いません。

 むしろ、旦那様が妻の「レルナディア」を愛することになったら困る。


 婚約を受け入れた時から、私は承知していた。


 この結婚に愛がないことを。

 私の役目は、旦那様のお飾り妻になることだ。


 でも、1つだけ言わせてほしい。


 私は今日――結婚式の間も、こうして、旦那様と初夜を迎える段になっても、ずっと緊張していた。

 それは「バレないだろうか」というドキドキだった。


 だって、今ここにいる私と、旦那様が結婚したと思っている、伯爵令嬢レルナディア・ラウェルは。


 ――同じ人物じゃないのだ。


 私の本当の名前は、“レルナディア”じゃない。

 私はレルナディア様の代わりとして、ここに嫁いできた。





 代理のお飾り妻だった。




 ◇



 ――話は1カ月ほど前にさかのぼる。




「レナー! お願い!」


 彼女が私にそう頼みこんでくるのは、いつものことだ。


「レルナディア様。今日はどうしたんですか?」


 私の口調は、女主人に対するものにしては気安いものだった。そして、レルナディア様がそれを咎めることはない。


 私たちは主人と従者という関係であり、10年来の幼馴染でもある。レルナディア様は私に心を許しているし、困ったことがあれば真っ先に私に泣きついてくる。


 そして、それをどうにかしてあげるのが私の役割だった。


 勉強がわからない。

 ダンスができない。

 食事のマナーがわからない。


 レルナディア様には伯爵令嬢として身につけるべきマナーも知識も、備わっていなかった。


 幼い頃から病弱で、寝込みがちであったので、旦那様や奥様から甘やかされて育った。


 レルナディア様自身にも現状をどうにかしようとする向上心はない。困ったことがあれば、私に泣きつけばどうにかなるから。


 私はレルナディア様のお願いを聞き入れて、どうにかしてあげようといつも奮闘してきた。


 まず、そのために様々なことを学んだ。

 勉強、ダンス、貴族令嬢が身につけるべきマナーについて。

 そうやって覚えた知識を嚙み砕いて、レルナディア様に教えようとした。


 でも、レルナディア様は何1つ覚えようとはしてくれなかった。それでも根気よく教えようとすると、最後には癇癪を起こすのだ。


『わからないって言ってるでしょ! レナ、代わりにやっておいて!』


 何度もこの言葉を投げつけられて、私は頭を抱えたものだ。


 代わりにやれと言われても。

 パーティやお茶会に、私がレルナディア様の代理で出席しろって?


 ――実は、私にはそれができてしまう。


 そこが問題なのだった。


 私の家系は代々、魔女だった。


 魔女も魔法についても、一般的には秘匿されている情報だ。普通の人は魔法をおとぎ話の中だけのものだと思っている。


 でも、魔女はひっそりと一般社会に溶けこんで、生きてきたのだ。

 そして、私はレルナディア様の家――ラウェル家に大きな恩がある。今の私がこうしていられるのも、すべてレルナディア様のお父様のおかげなのだった。


 その時の縁で、私はこうしてレルナディア様の従者を務めることになったわけだけど……。


 毎回、私の変身魔法を当てにされても困るんだよなあ……。


 昔のレルナディア様が私にお願いしてくることは、可愛らしいものだった。


『お母様が大事にしていた花瓶を割っちゃったの。お願い、レナ! 私の代わりに怒られてきて』


 それくらいなら安いものだ。

 私はレルナディア様に化けて、奥様のお説教を受けた。


 でも、それに味を占めて、レルナディア様の要求は徐々に大きくなっていった。


 ――私の代わりに家庭教師の授業を受けて。

 ――私の代わりに手紙を送っておいて。

 ――私の代わりにパーティに出てきて!


 もちろん、そんなことを家族に秘密にしておけるわけもなく、途中からは旦那様も奥様も承知済みでのことだった。


 旦那様は、一人娘であるレルナディア様を溺愛している。


『頼む。レナ。今回だけだ』


 恩義のある方に頭を下げられてしまったら、断るわけにもいかない。


 小さい頃から一緒にいるから、私がレルナディア様の真似をするのもそんなに難しいことじゃない。


 そんなわけで、私はいつもレルナディア様の代わりをしてきたわけだけど。


「レナ! 助けて!」


 さてさて、今日のレルナディア様の『お願い』は何だろう。

 この展開に慣れきっていた私は、いつもと同じ調子で「どうしたんですか?」と彼女に尋ねる。


 すると、彼女は得意の上目遣いと涙目で、私を見つめた。


 レルナディア様の見た目はいかにも儚くて、病弱そうで、可愛い。

 男性から見れば、こういう女性は守ってあげたくなるタイプなのだろう。私とは正反対な見た目だ。


 ――レルナディア様が病弱だったのは幼少期の話で、今はいたって健康なんだけどね。


「お願い! 私の代わりに……」


 彼女は私の手を握り、うるうるの目でこんなことを言い出した。


「冷酷トラ男のお飾り妻になって!!」


 ――今回ばかりは、一筋縄ではいかなそうだ。


 いつもと規模のちがう、莫大すぎる厄介ごとに私は目を回しそうになった。

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代理でお飾り妻、承ります 村沢黒音 @kurone629

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