【シークレット・ナイト】

「何なんですかあの人ベネット! ワロスさんの事、あんな風に辱めて……!」

「まあまあ。いいからいいから。ベネットさんは昔から、ああいう人だし」

「だったら尚更ですよ! 一度、ガツンと言ってやったらどうなんですか!? ワロス主任!」

「いいっていいって。僕も、別に波風立てたくないし……いててててて……」


 総務課に戻って来てからも、エリンちゃんの怒りは未だに続いていた。先ほどの営業部とのやり取りが、よほど気に食わなかったらしい。


 俺は腰を押さえながら、彼女の怒りをなだめるのに忙しい。


「何だ、ワロス。お前、どっかで転んだのか? どんくさい奴だなぁ」

「違いますよ! 営業部のベネットさんに、意地悪されたんです!」

「ベネット? ああ……営業部期待のエースじゃないか。お前とは同期なのに、雲泥の差だよなぁ、ワロス」

「課長までそんな事……!」

「だがな、そんなお前でも、一つアイツよりいいことがあるぞ」


 課長はそう言うと、俺の肩にポンと手を置く。


だ。部屋の窓ガラスが汚れてるから、拭いてくれだってよ」

「……それ、ただの雑用じゃないですかぁ!」

「だが、マスターの部屋に入れるなんて光栄なことだよ? エリンくん」


 私だって滅多にお目にかかれないんだから、と笑う課長に、ぷんすかと怒っているエリンちゃん。


 そんな2人が気づかないうちに、俺はこっそりと総務課を出た。


*****


「あのー、総務課のワロス・テイラーです。マスターの部屋のお掃除に呼ばれてきました」

「ああ、はい、伺っておりますわ。どうぞ?」


 冒険者ギルド5階、最上階はまるまる、ギルドマスターのオフィスになっている。なので階段を上がるとすぐに、秘書が受け付けてくれるのだ。


 ギルド職員でも随一の美人と呼ばれる、秘書のミラさん。噂ではマスターの愛人なんじゃないかと、男性職員の間ではもっぱらの噂になっている。ただ、性格は物凄くキツいので、突撃し玉砕した男も多い。あのベネットもその一人だ。


 そんなミラさんのパスをもらい、俺はバケツと雑巾を持ちながら、「失礼しま~す」とドアを開けた。


「おう、来たな。……ワロス」


 マスターの部屋に入ると、とんでもなくデカい男――――――身長4mはあろう大男と、これまた大きな戦鎚ハンマーが目に入った。ハンマーもデカすぎて並の人間に振り回せるような代物でなく、またこんなもので殴られたら間違いなく即死するだろうという、暴力性の塊だ。


 そんなバカでかいハンマーを軽々振り回せるのが――――――他でもない、この【グランディア】冒険者ギルドのマスター、マスター・ガルバニス。御年60は過ぎているだろうに、並みの冒険者よりもはちきれそうな筋肉に、禿げあがった頭と巨躯が特徴の男だ。


 普通のギルド職員なら、恐怖と威圧感で固まってしまうだろう。例えば課長や、エリンちゃんなら。


 ――――――しかし、俺は違う。


「……今回は何の呼び出しですか? マスター」

「俺がお前をここに呼びだす理由は、一つしかないだろう。……だ」


 マスターは俺を見やると、大きくため息をついた。そして、本人には小さいであろう一番大きいサイズの葉巻を、一息で吸いきってしまう。


「久しぶりに働いてもらうぞ。我がギルドの【シークレット・ナイト】よ」

「……やれやれ。ここしばらく荷物運搬だけで、平和だと思ってたんすがねえ」


――――――この俺、ワロス・テイラーには、もう一つ、ギルドでの仕事がある。


 それは、ギルドマスター直轄の密命を受け、ギルド内で発生した、または発生の疑いのある問題を解決する事。


 通称、【シークレット・ナイト】。


 10年前、俺は元々冒険者だった。で、訳あって引退した。その後、俺はこの冒険者ギルドに職員として入職している。


 当時の冒険者としての俺の実力を買ったマスターは、ギルドに入った俺に、こんなポジションを押し付けたのだ。


「今回の密命は何なんです?」

「受付嬢の、セシルは知ってるな?」

「セシルって言ったら……ああ、知ってますよ。人気者ですからね」


 セシルとは、受付嬢のチーフリーダーを務める女性。俺が冒険者としてこの街に来た頃にはまだ新人だったが、今では中堅として若い女の子たちをまとめ上げているんだとか。

 マスターの顔採用で選ばれる受付嬢の中でも特に美人で、冒険者、ギルド職員両方からの人気も高い。……俺は顔が割れているかもしれないから、極力会ってないけど。


 ちなみにベネットは彼女を口説こうとして、こっぴどく振られたそうだ。


「セシルちゃんが、どうかしたんすか? あの子、真面目でしょ?」

「――――――この間、彼女がギルドの金を横領をしたと、報告を受けた」

「何ですって!?」

「バカ、声がでかい!」


 叫んだ俺に、マスターが慌てて人差し指を立てる。マスターのオフィスの外には、ミラさんもいるのだ。基本的に密命は、彼女にも内緒の超極秘の話になる。


「……横領って、彼女、何でそんな……というか、報告って……!?」

「受付嬢のマネージャーであるオツボネに、自分から報告したそうだ。「魔が差して金貨20枚をクエスト報酬から横領した。経理書類と照らし合わせてほしい」とな」


 そしてギルドの書類と合わせたところ、本当に金貨20枚分、数字が合わなかったらしい。


「……オツボネから経理部長に報告が来て、次に俺が受けた。……今はここで止めている。シエルも、生理ということで休みにさせた」


 ここで止めておかないと、大騒ぎになるだろうからだ。しかし、それも時間の問題。いつどこで噂が広がるか、分かったものではない。


「いや、でも。書類で照らし合わせもしてるんでしょ? そんなのもう、クロで確定じゃないすか」

「俺も本人に聴取したが、アイツはおそらく何かを隠している――――――直感だがな。それが確定するまでは、公表はせん」

「じゃあ、もしかして今回の密命は――――――」

「そうだ。横領事件の裏どりをして、真実を突きとめろ。それが今回の密命だ!」

「……わかりました」


 俺はコクリと頷くと、バケツと雑巾を手に取る。


「……そんじゃ、その話はここまで。窓拭き、やりますがいいですか?」

「要らんっ! そんな汚い雑巾で、窓を拭こうとするんじゃねぇ――――――っ!」


 窓掃除をしようとしたら、マスターにこっぴどく怒鳴られてしまった。引退したとはいえ、流石に元トップ層冒険者。


 あまりの怒号に俺は鼓膜をやられ、ふらふらになりながらもマスターの部屋を出た。

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