第3話
話を、私たちの出会いまで遡ろう。
授業終わり、葉の髪を切って一緒にゲームして、すぐ隣の家に帰っていく葉を見送り一人分の夕飯を作って食べていると、ふと思い出す。
「あ、お弁当……」
残り物を片っ端から突っ込んだ豚汁と、残り物を片っ端から突っ込んだ野菜炒めに冷凍庫でカチカチになっていたハンバーグを食し「すっきりすっきり」なんて満足してる場合じゃなかった。明日のお弁当のおかずがない。っていうかあのハンバーグ、お弁当用に冷凍してたやつだったわ。1カ月くらい前に。
「……まだ、間に合うかな」
時計を見ると、もうじき19時半。近所のスーパーの閉店まで、まだ30分はある。
洗い物を放置して、部屋着の上にパーカーを羽織って家を出る。
街灯なんてない田舎道を歩いていると、がさがさと、近くの藪から音が聞こえる。
猿か、狸か、アライグマか、それとも猫かイタチか。たまに鹿だって出るし、熊の目撃情報だってある。とはいえ、人が襲われたなんてニュースはあまり聞かないので、然程警戒せず歩いていると――
「っひぁ!?」
急に藪の中から飛び出してきた人影に、思わず悲鳴が漏れた。
「あー……流石に刈るか……どうやって……?」
ぶつぶつとそう言った人影は、良かった熊じゃなかったと安心する半面、どこかで聞いた声だなと、ドキドキした胸を抑えて首を傾げた。
スマホの明かりがぱっと灯り、前髪をピンで留めた金髪のギャルが照らし出される。
――きんぱつ、ぎゃる。
藪の中から出てくるにしては熊より珍しいあまりに非現実的な光景に一瞬フリーズしてると、そちらの子も私に気付いたのか、「ん」とこちらを見る。
……あっ。
「平国、だっけ」
「ひゃっ、ひゃひ!?」
声裏返っちゃった。
「ど、どどどどどうして私なんぞのお名前を……」
「いや黒板に席表貼ってあったし」
「そそそそそれはそれは……」
なんか変な喋り方になっちゃった。
だって、こんなところで会うとは思ってなかった相手だから。
――神流崎眸。
今朝、高校2年の6月という明らかに中途半端な時期に都会から転校してきた、田舎育ちでは絶対ここまで辿り着けないであろう派手なギャルが、上下ジャージ姿でそこに居た。
う、うわ、近くで見たら超可愛い。結局今日一日近づきもせず遠巻きに眺めてるだけだったからこんな距離で見てなかったし、ガン見してキモがられたくもなかったからあんまり見ないようにしてたのに。
メイクを落としたからか、学校に居た時より顔はスッキリしてる。それでもおめめはぱっちり、睫毛はエクステでもしてるのか長くバチクソ立ってるし、鼻は小さく口も小さい。
えぇ、なにこれ超可愛いアイドルみたい……。アイドルにしてはちょっとガラが悪い気はするけど……。
「か、かんなざきさん?」
「何?」
「こ、ここここんなところで何をされてらっさるので……?」
「いやココ越してきたんだけど」
「な、なるほど!」
親指で指され頷いた。いやそりゃそうか。こんなとこ遊びに来るはずないしね。
「廃墟探索だ!」とか言い出す葉でもあるまいし。アッハッハ一本取られたわ。
越してきた!? ここに!?
がばり、と藪の中を見る。明るい時にも通ってるから知ってるけれど、ここにはずっと前から人が住んでない。元々誰が住んでいたかは知らないけれど、確か古びた日本家屋があったはず。
そこに、越してきた? ……無理では?
こんな田舎に住んでいると、人が住まなくなった家があっという間に朽ちていくのを数えきれないほど見てきた。放置された植栽があっという間に森になり、3年もする頃には家すら見えなくなるのだ。
庭が相当広かったからか、人が住まなくなってからも家が森に包まれることはなかった。しかし生垣やら名もなき雑草たちが全力で成長した結果、どこから敷地に入るかも分からない廃墟になっていたはず。とてもではないが、人の住める状況とは思えない。
「荷物片づけんの飽きたし散歩行こうと思うんだけど、そっちは?」
「わ、わたしは近所のスーパーに……」
「へー、ちょっと案内してよ」
「なんで!?」
「いやなんでって、越してきたばっかでこのへん何があんのか知らねーし」
「で、でででですよねー!」
キョドる私に目もくれず、「こっち?」と鍵を引っ掻けた指先で進行方向を差す神流崎さんを見ていて、ふと、気になった。
鍵を持っているということは、家に人が居ないということだろう。ウチみたいに片親ならともかく、働く場所が少なすぎるこんな田舎、共働きはあまり多くない。農家とか自営業の人くらいだ。あと鍵を掛ける習慣すらない家も多い。
げんに我が家も母親が存命な頃は専業主婦だったし、葉のところだってそうだ。
「神流崎さんは、どうしてこんなところ越してきたんでしょう……?」
「あー……、逃げてきた」
「ニゲテキタ」
「父親だっつー男が現れて、そいつから」
「へ、へぇー……」
声を漏らすが、しかし意味が分からない。父親を名乗る男? から逃げてきた?
もうドラマよりドラマっぽいじゃない。都会人って皆そんななの? しかし、逃げてきたにしてはこんな田舎、過酷すぎやしませんかい。
「このへん、何があんの?」
「……なにと、おっしゃいますと」
「遊ぶとことか」
「……………………特に、ないですね」
「ないかー」
全力で脳を働かせて必死に考えたが何も浮かばなかった私に半笑いで返す神流崎さんは、「まー分かってたけど、きっついなー」と呟く。
「つーか同級生なったんだから、敬語やめろって。タメで良いよタメで」
「いっ、いえいえいえいえいえ私なんぞがタメ口なんて身の程を知れと言いますか……」
「歳気にしてんなら悪いけど、こっちも年上ぶるつもりはないから」
「あ、はい……」
「まぁ別に良いけどさー。スーパー、どこにあんの?」
「ここから10分くらいのとこに……」
「んーと、徒歩で?」
「と、徒歩ですが」
「そっかー」
え、正解分かんないんだけどっ!? なんて答えれば良かったの!?
高校に通うために自転車は持ってるけど、自転車だとあんまり荷物運べないし卵とか運びづらいものもあるから、スーパー行く時はいつも徒歩なのよね。閉店ギリギリになっても即追い出されることはないし。蛍の光のボリュームがどんどん大きくなるけど。
「スーパー、総菜とかあんのかな」
「……この時間は、あんまりないと思います」
「え、マジ? コンビニとかは?」
「……あっちの方に、一軒だけ」
「…………」
私の指差した方角――太陽などとうに沈んでおり街灯の一つもない闇に顔を向け、すっと真顔になった神流崎さんは、頬をヒクヒクさせている。
「…………夕飯どうしよ」
小さく呟いたのが聞こえたので、思わず聞き返してしまった。
「ま、まだ、食べてらっしゃらないので……?」
「いっつも10時くらいに食ってんだよね」
ふ、不健康……!
「そ、その、お母さんとかは……」
「んー? それ話した方が良い?」
「ごめんなさい」
私が悪かったなこれは。そういえば逃げてきたって聞いたばかりじゃないか。あれ、でも父親から逃げてきたってことは、母親と一緒ってことじゃ――
土下座しようと思ったが、躊躇してるうちに神流崎さんはてこてこ先を歩いて行くので慌てて追いかける。
「つーか、それ言えばあんたの方。こんな時間にスーパーに何の用?」
「……明日のお弁当のおかずを調達しようかと思いまして」
「ん? でも総菜とかないんだろ?」
「あ、はい、そうですね」
総菜の販売は夕方5時くらいがピークで、7時にはほとんど売り切れてる。お弁当は朝から昼くらいしか売ってないし、この時間はどれも壊滅的だ。
というのも、スーパーの営業時間が短いこともあり交代なしの1勤務制で、お惣菜担当は5時には帰っており、それきり補充がされないためである。
わなわな震えた神流崎さんは、私の顔をじっと見て口を開く。
「……まさか、作んの!? 自分で!?」
「そ、そうですね……」
「そのトシで?」
「母親ずっといなかったんで、小学校高学年くらいからはずっと……。あ、でも自分の分だけだから、そんな大それたものは作ってないですが……」
そう答えると、神流崎さんは「すげー……」と声を漏らす。
優越感――は、別に感じない。本当に大したもの作れないし。
お父さんは昼夜と 社食を食べてくるから家に帰ってくるとお風呂入って寝るだけだし、朝は食べずに行く。隣に住んでるのもあって暇な時は葉が遊びに来るけど、それでも夕飯前には帰る。葉のお母さんは専業主婦なので、三食ちゃんと用意されているのだ。
そんなこともあって、家で料理をするのは私一人、家でご飯を食べる時も一人だけ。それが寂しいと思う気持ちは、とっくになくなっていた。
「このへんどっか、すぐ食えるモン売ってるとこない?」
「コンビニで、インスタント麺買ったり……」
「インスタント食えねえんだよなぁ」
「あ、なら、5時くらいまでならスーパーにお惣菜売ってるんで……」
「その時間腹減ってないんだよね」
「……買っておいて後で食べるのは?」
「腹減ってない時、飯のこと考えらんなくない?」
「はい…………」
詰みだ。葉が同じこと言ったら贅沢言うなって返すとこだけど、都会人である神流崎さんに耐えられる環境ではないのだろう。
「……なぁ」
「はい?」
「金払うから、飯作ってくんね?」
「…………えっ」
「テキトーなので良いから」
「そ、それは構いませんけど……、本当に良いんですか? すっごい下手かもしれないですよ……?」
「普通に食えるもんになってりゃいいから。俺包丁触りたくねーし」
一人称『俺』なんだ。都会のギャルはすごい。そんな子漫画でしか見たことないよ……。
「それなら、まぁ……」
どうせお弁当作るつもりだったしね。ちょっと多めに作れば良いかな、とスーパーまでの道を往く。
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