よりどりみどりな移し替え
米飯田小町
あるアイドルの物語
アイドルに欠かせないものってなんだろう?
歌? ダンス? 容姿? それだけじゃ足りない。
いるだけで人を惹きつけてしまうような圧倒的なオーラ。持って生まれたような輝き……。
……残念ながらこの物語の主人公は、そんな輝きとは縁のない普通の人間。
「かわいいよ!! イブキぃぃぃぃ!!」
有象無象のファンに紛れ、愛しのイブキに精一杯喉を壊して声援を送っている。
そうこの"ドルオタ"こそが。
───この私、渚ミミである。
「チェキ会開始しまーす」
係員の合図と共に、我が同志達が列に並ぶ。
私の推しである七種衣吹は、グループ一番の人気である。直向きに頑張り、少しドジっ子な彼女に皆心を撃ち抜かれてしまったのだろう。
もちろん私も撃ち抜かれたその一人である。
列から顔を出し、一人一人に笑顔を向けてチェキを撮っているイブキを見る。
天使か……? 近くで見ると尚更可愛いんだが……!?
思えばイブキとの出会いは一カ月前。暇な日に一日中ネットサーフィンをしていた時。
『は? かわいいな……』
突然私のタイムラインに流れてきた女の子こそが、私ドストライクなルックスを持つイブキというアイドルである。
最初は顔が好きな程度だったのに、アップされてる動画なんかを見ていくうちに、どんどん沼に……。
「こんにちはー。ハートでいいですか?」
「え?」
イブキとのなり初めの思い出にふけっていると、眼前に圧倒的美少女の顔面が現れてつい変な声が出てしまった。まずい。何か話さなければ……。
「す……好きです!」
「……」
イブキがぽかんとした顔をしたのを見て、私は我に帰った。
「は!? すみません! 心の声が!!」
「ううん。嬉しいです」
イブキが困ったように笑う。はにかむ顔も可愛いな……!
そんなこんなでなんとか場を切り替え、私と二人でハートマークを作るようにしてチェキを撮ってもらった。
可愛い女の子とこんなに近くで写真を撮ってもらえるだなんて……よし、お金を貯めてまた来よう。
「ありがとう〜!」
あまりの嬉しさに、私は若干悲鳴に近い声をだして礼を言った。
すると、隣にいるイブキは何かに気づいたように私を見た。
「ミミ助……?」
「……へ?」
私の心の端っこにある、凍りついたはずの箇所にそのあだ名が深く刺さった。
「間違い無いです。渚ミミさんですよね!?」
「え……あ……」
私は頭の中が真っ白になり、口から出た声は言葉にすらならなかった。
「ひ、人違いです!!」
たまらず私はその場から逃げ出してしまっていた。
「渚ミミ?」
「あーほんとだ」
「一年前に解散したアイドルだっけ?」
「お前詳しいな〜」
走り抜ける時、人混みの中からそのような会話が聞こえた。
やめて。あの時のことはもう思い出したくない。
「はぁ。はぁ……っびっくりした」
会場からある程度離れたところで呼吸を整える。いきなり走ったもんだから疲れてしまった。
しかし、イブキが私のことを知っていただなんて……アイドル界隈狭すぎか?
手にはイブキと二人でハートマークを作ったチェキがあった。
───なんで、私のことなんか……。
「ただいまー」
帰り道の公衆トイレで、私は偽装用のリクルートスーツに着替えた。ライブ終わりの足で私は家に帰ってきたのだ。
「おかえり。面接どうだった?」
「うーん。まあまあかな」
リビングに行くと、キッチンの母に今日の成果を聞かれる。いつも通り適当にはぐらかしてしまう。
テーブルでは妹がのんびりゲームをしていた。私が帰ってきてもチラッとこちらを見るだけだ。
「あ、お姉ちゃん! またライブ行ってたでしょ!」
「へ?! な、なんで?」
「鞄から写真見えてるよ」
「あ」
な、なに!? あのチラッと一瞬見ただけで分かっただと?
確認すると、確かに鞄のサイドポケットからチェキがほんの少しだけ顔を出していた。この妹、恐るべし。
「あんたまたなの?!」
「ゲッ」
母の口調が変わる。
「いつもいつもアイドルばっかり追っかけて! 就職する気あるの?!」
「ち、違うよ! これは前に撮ったやつで、たまたま……」
「嘘! お姉ちゃん匂うもん。オタク臭い!」
妹が鼻を摘んで叫ぶ。
「は? この服で見てないのに匂うわけ……」
私は自分の服の匂いを嗅ぐ。うん。鞄にずっと突っ込んでいたから思った通り変な臭いはしない……あ。
「ほら、やっぱみてたんじゃん」
二人は呆れたように見つめてきた。
加えて母は心配が入り混じっているような目をしていた。
「ミミ? もう少しで大学も卒業して社会人になるのよ? どうするのこれから』
母が諭すように言った。多分心配してくれているのだろう。
「アイドル辞めてから、なんだか変よ? 何か無理してるんなら……」
「ほっといてよ! 言われなくても考えてるから!」
しかし今の私には鬱陶しさ以外に感じられるものはなかった。
私はまた、逃げるようにして二階へと駆け上がった。自室へと入ると、急いで鍵を閉める。
電気も付けず、そのままベッドへ寝転がった。ふと思い出し、鞄に入ったチェキに手を伸ばす。
改めて写真をよく見ると、私のニヤついた気持ち悪い笑みと天使のような可愛い顔のイブキが良く撮れている。
「はぁ……なんだかなぁ」
チェキを見るのを辞め、ただ仰向けに天井を眺めた。暗い部屋の天井に写るのは、昔の私の姿だった。
歌ったり、踊ったりするのが小さい頃から好きだった。
アイドルは私にとって憧れで、そして……
───憧れは現実となった。
一年前、私は確かにアイドルだった。
……でも、私にアイドルは向いていなかった。
もう一度チェキに視線を写す。目に映るのは私ではなく、ただ可愛いアイドルのイブキだけ。
もういい。もういいんだ。アイドルは……
───見てるだけで、もう満足。
「とはいえ……労働は嫌なんだよなぁ〜」
次の日、私はバイト先であるコンビニへ働きに出ていた。
ライブにグッズ。チェキや握手券も結構する。当たり前だけど、働かなければ推しに貢ぐことは出来ない。
ん? いや待てよ。こんなバイトよりも会社に勤める方が稼げるのだろうか。
「いらっしゃいませー」
考え事をしているとお客さんが入ってきた。ここ一年間コンビニで働いた経験のおかげで、接客のあいさつは身に染みている。
「渚ちゃん。今日はもう18時にあがっていいよ〜」
「はーい」
いや! 今度は時間がなくなるじゃん! 正社員になったらこんなふうに夕方に帰れないじゃん! そうなればなんのための労働なのかと!
「あの、お願いします……」
すると、さっき来店したお客さんがいつの間にかレジまで来ていた。
「あ、はーいすみません」
駄目だ駄目だ。今はまだバイトの時間。ちゃんと働かないと!
「レジ袋はご入用ですかー?」
「結構です」
「214円になりまーす」
「……あの」
「はい?」
私は顔を上げて、目の前のお客さんの顔を見る。するとそこにいたのは───
「ミミさん……?」
「あ……」
そう。目の前に居たのは私の推しであり、現役アイドルのイブキだった。
「あーーッ!!?? なんでイブキがここに!?」
私は叫んだ。当然だ。近所のコンビニに推しが来ているのだから。
「家が近所なんです。びっくりした……」
へぇ。イブキってこの近所なんだ……ってそんなこと一ファンに言っちゃっても良いの!? こんな物騒な世の中なのに。
私の心配など気にも留めず、イブキは私の胸元辺りを凝視している。
「……やっぱりミミさんだったんですね」
イブキは言った。彼女の目線の先に手を当てると、そこには店から支給された名札がある。そこにはしっかりと”なぎさ”という文字。私は慌てて隠すように名札を手で覆った。
「ははは……」
しかし、今更隠し通せるはずなんてなく、乾いた笑いしか出せなかった。
「先日はすみませんでした。お客さんに対して失礼でした」
突然イブキが頭を下げた。私は『え?』と零れるように言った。
そんな……イブキが謝る事なんて何もないのに。
「ああ……ううん全然大丈夫。謝る事なんて無いよ」
それでも彼女の思いを無下には出来ず、形だけでも謝罪は受け取る事にした。
イブキは何故か頬が紅潮し、緊張しているようだった。こんな店の中で頭を下げたのが恥ずかしかったのだろうか。
にしても、こんな場所でイブキと出会えるだなんて思ってもいなかった。
イブキと出会えたのは嬉しい。それは間違いなく本心だった。けれど……。
私の過去を知っている人と会うのは、正直気まずい。
思い出すのは十八歳のころ。新人アイドルとしての奮闘の記憶。
『まずはメジャーデビュー! 絶対トップになってやるぞー!」
『『『おおー!』』』
『リーダーよろしくミミ!」
私は同じく新人アイドルグループのリーダをしていた。皆意識が高く、自分の憧れたアイドルになるために精一杯レッスンに励んでいた。
しかし、現実はそう甘くは無い。他の競合しているアイドルも、同じく血反吐を吐きながら努力している。どれだけ憧れがあり、夢があろうとも、結果が伴うアイドルは一握りだ。
『再成数伸びないねー』
『まだ三曲目じゃん! もっと練習して頑張ろう!』
そんな世界と知っても尚、努力する人がこの世界では勝つ。
そんな人こそアイドルとして輝くに相応しい。私はそう信じていた。
だから足の裏がすり減るまで何百時間も練習したし、喉が張り裂けるまで歌った。
でも……グループの皆がそれについて来てくれるとは、限らなかった。
『あれ? 今日も全員集まれてないの? ダンス合わせられないじゃん……』
頑張れば頑張るほど分かってくる。自分の無力さが。薄っぺらさが。
メンバーを元気づけるたびに自分の胸に深く刺さる。
『練習来なよ。きっとやれば出来るんだからさ」
本当に?
『大丈夫だよ』
何を根拠に?
『今は厳しいかもしれないけど、きっとここを乗り越えたら……』
そんなこと言っている私は、自分に何があるのだろう。
人の視線を奪うようなカリスマのような輝きは、自分達には無いのかもしれない。
そういった負の感情が日を増すごとに積もっていく。まるで冷たい夜空の中で降り続ける雪の様に、私の身体と心を冷やしていく。身体を動かせば動かすほど、心を震わせば震わすほど、情熱という炎は、冷たい雪の中へと埋もれていく。どれだけ激しく燃え上がっても、どれだけ熱くなろうとも。もがけどもがけど、雪は容赦なく降り積もってゆく。
凍って火が消えるのは、当たり前のことだ。
───でも……だからって、諦めるわけにはいかない!
輝きはきっと努力で手に入るはずなんだ!
もっともっとたくさん練習しなきゃ、手に入らないものなんだ!
『おわったーー』
『もうへとへとー』
ある日の練習日。久しぶりにメンバー全員が揃っての合わせの練習。
直近に小さなライブがあるというのに、歌もダンスも全く揃っていない。このままじゃだめだ。もっと! もっと練習しないと!
『ねぇ。もう一度やらない? まだ時間あるし、久しぶりに全員集まったんだし……』
『『『……』』』
みんなの顔は口を噤んで困惑したような表情だった。皆のその表情は私にこう告げていた。
……空気読めよ。
本当は私にも分かっていた。
練習しても意味の無いことくらい。
私に、そんな才能なんて無いってことくらい。
『な、なーんてね! マックにでも行く?』
ここからはあっという間。
三年間のアイドル生活は、こうして幕を閉じた。
燃え盛っていた炎はすっかりと消えて、雪の中へと埋もれ、すっかり凍りついてしまった。
「ミミさん!」
「へ? あーごめん。ボーっとしてた」
イブキは未だ紅潮とした顔で私の顔を真っすぐに見つめている。
「あ、あの私、お菓子は……たまにしか食べないので……」
「……へ?」
この子は一体何を言っているんだ? つい困惑した声が出る。
目に写ったのは私が会計したばかりのタケノコの里だ。へぇイブキはタケノコ派かぁ。ってそうじゃなくて、彼女はこれを気にしているのだろうか? 別にこのくらい……。
「た……体型とかしっかり気を付けているのでっ!」
彼女は顔を真っ赤にしてそう言った。
シンッと場が静まった。聞こえるのは私の心臓が高鳴る音だけ。
「……」
呆気に取られ脳の機能が停止する。思いもよらない彼女の発言に、私はつい押し黙ってしまう。
刹那の中、私は逡巡として再び脳の機能を回復させた。そして回復したと思った次の瞬間。ありえない程の”尊い”という感情が、私の全身に駆け巡る。
ほ、本物のイブキだ! いつも一生懸命で真面目だけど、ちょっと脇が甘いとこがあるこの感じーーー!!! でもそこがいいんだよなぁぁぁ~~~!!!!
って、こんなオタク顔負けの早口を心の中で言っている場合ではない。イブキの。推しのフォローが最優先だ。
「そんな! イブキは十分可愛いし、ステージ見てれば努力してるって分かるし、たまに食べるくらい大丈夫だよ!」
「……」
必死にフォローするも彼女の顔はどんどん赤くなるばかりだ。紅潮とした肌はどんどんキメ細かな白い肌を侵食し、ついには耳まで覆いつくしてしまう。イブキの顔はすでに真っ赤っかだ。
流石に恥ずかしくなったのかイブキは顔を両手で覆いつくしてしまう。そして零れるようにボソッと言った。
「ありがとうございます……」
「お菓子でそんなに赤くなる!?」
つい突っ込みを入れる。
イブキのそんな姿を見ていると、なんだかこっちまで恥ずかしくなってくる。
「な、なりますよ」
イブキは落ち着きを取り戻して話し始めた。
「……さんの前だし」
しかし何故か目線は逸らして合わせようとしてくれない。
「ミミさんって、今何されてるんですか?」
「私?」
話題を逸らすように、イブキが言う。
「私は大学通いながらバイトしたりライブ行ったり……本当は就職しないといけないんだけどね」
「就職……」
「うん。でもなかなかやりたいことも見つからなくて」
「じゃあ……アイドルをしてないのは就職するため……?」
彼女の発言に私は食いかかるように訂正した。
「アイドル?! そんな。家庭の事情みたいなものだよ」
私は言った。
「アイドルなんて職業は、イブキみたいな持っている人にしか出来ないんじゃないかなぁ。私にはそういうの無いって気づいちゃったーみたいな? アイドルって才能なんだなぁって」
自分の中に詰まった嫌な部分は、油断するとどんどん溢れてしまう。氾濫した河川のように、気持ちの波は止まらない。
「現にインディーズ止まりだったしねー。ははは」
へらへらすんなよ。情けない。
「……」
イブキは何も言わず、ただ虚空を見つめるだけだった。そして間を開けて彼女は言った。
「……そうですか。ミミさんが解散してずっと、どうしているか気になっていたんですけど……元気そうで良かったです」
イブキは無気力に微笑む。その笑みに言葉通りの感情は無かった。
それを証拠に、彼女の瞳から一粒の水滴が白い肌をつたった。
「……え」
イブキは急いで拭った。しかし瞳からは止まることなく涙があふれ出ていた。私は彼女がどうして泣いているか分からなかった。
ただ何故だろう。この涙は。私が流してしまった気がしてならない。
「……イブキ?」
「あれ……? どうしちゃったんだろう私。おかしいな。変ですよね。ミミさんに会えて、とっても嬉しいはずなのに。嬉しかったはずなのに……」
イブキの涙は止まらない。声も心なしか上擦っている。
「ごめんなさい」
「あ、ちょっと……」
そう言ってイブキは顔を両手で覆いながら立ち去ってしまった。私は引き留めようとしたが、なんて声を掛ければいいのか分からず、一ミリも体が動かなかった。ただ茫然と立ち尽くすこと以外に出来なかった。
彼女はどうして泣いていたのだろう。漠然とした疑問が脳裏に浮かんだ。その答えは分からなかったが、私の胸に何か突っかかるものが感じられた。
なんだろう。なにか、酷い間違いをした気がする───。
胸につっかえたその何かは、バイトから帰ってきても治らなかった。
なんとなく足取りも重い。今日はあまり眠れなさそう。
玄関に入って洗面所で手洗いを済ませる。
二階の自室へと向かう前に、リビングに顔を出そうと思った。
「ただい……」
「お姉ちゃんもうアイドルやらないのかな」
扉を開けようとしたその時、妹の声が聞こえた。私は何故か扉を開ける手を止め、ひっそりと息を殺した。
「アイドルやってたお姉ちゃん。私嫌いじゃなかったんだけどなぁ」
「お母さんもよ」
母の声も聞こえる。テレビから音がすることから二人でのんびりしているのだろう。その間の雑談で私の話が出ているのだ。
「他に好きなことも無いんだから、またやればいいのに」
……胸にある氷の結晶に、また深く何かが突き刺さるような感覚があった。
妹め。簡単に言ってくれるな。そんな甘い世界じゃないんだよ。
”アイドルって才能なんだなぁって”
……なんなんだ。この気持ちは。自分で言った言葉じゃん。なんでこんなに、ムカつくのだろう。
才能という言葉は、私が一番嫌いだった言葉。全ての努力を無下にする言葉。だからついこの前までは全く口にしなかった。したくなかった。
それなのに、今は平然と使っている。それも、ただの都合の良い言い訳の言葉として。
私は二階へと上がり、また暗い自室のベッドに寝転がった。今は何も考えずに寝てしまいたかった。
目を閉じると、イブキの顔が脳裏に浮かぶ。
しかしそれは天使のような笑顔では無く、コンビニで涙を流していたあの泣き顔だ。あの顔を思い出すと胸がギュッと潰されそうな感覚にまで陥る。
そしてまた思い出す。
三年間のアイドルとして活躍していた私の記憶を。
『みんなーー! 今日は盛り上げていくぞー!!』
『『『おおおおおおおーーーー!!!!』』』
私が鼓舞を奮うと私たちのファンたちが一斉に雄たけびを上げる。
それに呼応するように曲が鳴り、メンバー全員がハチャメチャに踊る。
さらに釣られてファンが統率の取れた動きでペンライトを激しく揺らす。
小さい会場に響き渡るのは私たちの歌と、観客のコールと音楽だけ。
全てが一体になるこの瞬間がたまらなく好きだった。
ライブが終わった後の握手会。
自分のファンとお話して触れ合うことができるこの時間も、私は大好きだった。
みんな私たちの為にお金と時間を割いてここへ来てくれているのだ。ファンたちには名一杯この空間を楽しんでいって欲しいし、”また来たい”と思ってもらいたい。そのために精一杯出来ることをするだけだ。
一人一人に与えられた時間を大切にして、ファンのみんなと交流する。
私を推してくれている人は様々で、男性だけじゃなく女性の方も結構いる。こんな私を応援してくれているなんて、本当に有難いことだ。
そして今日は、少し小さな女の子も来てくれている。中学生だろうか? とっても可愛い子だ。
『こんにちはー来てくれてありがとう』
精一杯の笑顔をその子に向け、手を差し伸べた。
『あっあのっミミ助みたいなアイドルになるのが夢なんです。今頑張ってて』
女の子は緊張しながらも懸命に声を出してくれていた。どうやら私のようなアイドルを目指しているらしい。アイドル冥利に尽きるとはこのことだろうか。
『嬉しい! ……でも私なんかでいいの? もっと可愛いアイドルは一杯いるのに』
本心だった。私に憧れてくれているのはとても嬉しいけれど、世の中には私なんかよりもすごいアイドルが星の数ほどいる。そんな中からわざわざ私なんかを選ぶ必要なんて無いと。そう思った。
しかし、目の前の女の子は曇りなき強い眼差しで言った。
『そんなことないです! ミミ助は───
あ。この子。どこかで……
私はベッドから飛び起きた。少しウトウトしていた頭が一瞬で覚めてしまった。
「そうか……いた。いたんだ。イブキは来てくれてたんだ。私のライブに……!」
私は彼女の涙をまた思い出した。
「そうかそれで……ハハ」
イブキは泣いていた。その理由はかつて憧れたアイドルにあんなことを言われたからだ。
自分が好きだったアイドル本人が自傷している姿に、あの子は大きなショックをくらったのだろう。
「私なんかに憧れるなんて、イブキは馬鹿だなぁ」
そしてまた、口に出るのは自傷の言葉だけ……。
「……」
ムカつく。
ムカつくムカつくムカつく。
こんな自分が嫌になる。いつまでこうしてるつもりなんだ私は。
胸の端っこに追いやられた氷の結晶は今も尚佇んでいる。
その中心には消えたはずの炎がゆらゆらと揺らめいていた。
───パキッ。そう音が聞こえた。
「あーーーー!!! なんだこの気持ちー!!!」
気づけば体が跳ね起きていた。
クローゼットの奥に閉まったボロボロの運動靴を履き、部屋を飛び出した。
「ぜぇ……ぜぇ……っっっつらい!!!!」
私は全力でランニングをしていた。一年前までずっと走っていたコースでだ。
海へと続く河口が見える遊歩道は、風が良く入り込み、絶好のランニングコースである。都心に近く、河口付近からは高層ビルの明かりが夜空を煌びやかに彩っている。最高の景色ではあるが、今の私に景色を楽しむ余裕なんて無かった。
走りなれていたはずなのに足から伝わる衝撃は新鮮そのもの。身体が大きく揺れて無駄に体力が削られる。一瞬で息が上がってしまい、私はたまらず足を止めた。
「ちょっとだけ……走るつもりだったのに……」
前屈みで腕を膝に落として呼吸を整えていると、口の中が一瞬で渇く。こんなにも体力が落ちていたなんて、ありえない。
「もしかして、体も……」
そう思い、私は河口と遊歩道を隔てている柵に体重を預け、片足立ちでもう片方の足を頭の上まで持ってこようとしてみる。しかし……。
「ぐぅあああ! 硬くなってるーー!」
くぅーー! 前は耳辺りまでは持ってこられたのにーーー!
腹が立ち、私は多少無理してでも股を開こうとする。すると……
ゴキッっと体の中で音が鳴った。
「いたたたたた! おばあちゃんか!」
たまらず一人突っ込みを入れた。
さらに私はヒートアップし、胸につっかえた何かを押し出そうとするように大声を出した。
「ああああーーー!!! 声も出なーーーい!!!」
三年間のボイスレッスンを思い出した。
「……けほっ。いや、意外に声は出てるな」
常日頃からライブに行って喉を枯らしていた賜物か、声だけはアイドル時代の声量を保ちつつあった。
「ふふ。前はもっと出てましたよ」
「!?」
後ろから突然声がした。
振り返るとそこには動きやすい恰好をしたイブキが立っていた。
「イブキ!?」
「こんばんわ。なんだかよく会いますね」
イブキは風に吹かれながらもはにかんだ。
風に煽られていても絵になる子だ。
「トレーニングしてるんですか?」
「……ううん。ちょっと気晴らしに走ってただけ」
「……」
イブキはまた目線を下に下げてどこかを見つめていた。しかし、コンビニの時とは違ってどこか嬉しそうな顔をしていた。
なんぞやと私も視線を下にやると、ボロボロのシューズしか目に入らなかった。イブキは一体何がそんなに嬉しいのだろうか? 結構不思議ちゃんなのかな?
「なら、私も付き合ってもいいですか?」
イブキは両手を軽く上下して走っているような仕草を取る。
「いいけど……」
私はさっきの息を切らした情けない自分の姿を思い出した。
「まだまだ若い子には負けないんだから!」
「ふふ。私だって」
10分後───
「ぜぇっ……ぜぇっ……」
は、はえええ……。全く追いつけない……。
私はイブキの背中を追いかけるので必死だった。イブキは全く息を切らしていない。
こりゃあ。毎日走ってるな……。あの頃は、私も毎日走ってたっけ。
雨の日も。風の日も。台風の日も。もちろん真夏の晴天の時だってずっとずーーっと走っていた。
くそぉおお。悔しい。くやしいくやしいくやしい。
「前はこんなに遅くなかったんだから!」
私はやけくそになり、無理してイブキを追い越してやった。
「!……ははは」
追い抜かされたというのに、何故かイブキは嬉しそうだった。
「じゃあ私も速度上げますね」
「え? ちょっと?!」
さらに10分後───
「凄いですね。遅れなかった」
「はぁ……はぁ……ま、まぁね」
私は呼吸を整えるのに精一杯なのに、イブキは全く疲れた素振りを見せていない。悔しいけれど完敗だ。
そういえば、私はイブキに言わなきゃいけないことがあったのだ。私のライブにイブキが来てくれていた事。
「……思い出したよ。イブキはライブに来てくれてたんだね」
私がイブキに向き合って言うと、彼女の目が光ったように見えた。
「……はい」
イブキは眉を落として言った。
「やっとアイドルになれたと思ったら、ミミさんはどこにもいなくなってて、ショックでした」
私はコンビニでの出来事を思い出した。現役のアイドルを前に、加えて過去の私のファンに対して、失礼な事をしてしまった。
「……ごめん」
今度は私が視線を落とし、沈んだ声が出た。
「でもいいんです」
「え?」
私が再び前を向くと、そこには吹っ切れたように笑うイブキがいた。
「今日で、今のグループ解散するので」
「……」
脳が彼女の言葉を処理するまでに、会話にしては長い間が必要だった。
「え!? なんで!?」
遅れて声が出る。彼女はいたずらに成功した子供の様に無邪気に笑っていた。
「ふふ。ショックでした? お返しです」
お返し? やはり彼女は私がアイドルを辞めた事にショックを感じていたのだろうか。
「お返しって……じゃあ冗談ってこと?」
私が疑問を口にすると、逡巡としてイブキは言った。
「私って空気読めないので、メンバーと目標の高さが合わなくなってきたんです」
彼女は寂しそうにしている。私は妙に親近感を覚えた。
「待って! だからってアイドル辞めることないじゃん!」
イブキにアイドルを辞めて欲しくないという一心で、つい声が出た。
それは彼女のファンとしてなのか、元アイドルとしてなのかは分からない。ただどちらにせよ、私はどの口で言っているのだろうかと思った。
当の私は辞めたではないか。それなのに、イブキを止める権利なんて無いだろう。
「いえ。辞めないですよ」
「え?」
イブキはまっすぐな目で言った。
「人生を賭けてみたいオーディションを見つけたんです。そこでデビューしてやるって!」
彼女の強い眼は、覚悟を決めた眼差しだった。
「じゃないときっと後悔する! いつか自分を見つめ返した時に胸を張れるような選択を、していたいんです!」
───パキッ。また、音が聞こえた。
あぁ……イブキはすごい。才能も自信もあって……
”なーんてね。冗談冗談! マックにでも行く?”
脳裏に浮かぶのは一年前の情けない自分の姿。他人に流され、自分の本当の気持ちにも正直になれず、燻ぶっていた自分の姿。
イブキに比べて私は……
「ミミさん!」
「へ?」
彼女は訴えるような目で私を見ていた。
「一緒に、目指してみませんか?」
「……」
「もちろんアイドルが全てじゃないです。でもコンビニにいたミミさんはとっても寂しそうに見えました。だから……」
「無理だよ」
私はイブキの誘いを断ち切るように言った。
「私は……イブキみたいな特別な人間じゃ、ないんだから……」
*
次の日の夜。
私はリビングでボーっと携帯を眺めていた。
特に何か目的があるわけでは無く、ただ脳死でネットの海を泳いでいる。
そんな事をしていると、昨日帰り際に言われたイブキの言葉を思い出す。
『明日、こっそり一人で路上ライブをするつもりです。偉そうなこと言いましたけど、それが私の最後のライブになるかもしれない……』
イブキは困った様に微笑んでいた。
『だから、ミミさんに見てもらいたいんです。来て、もらえませんか……?』
なんだろう。頭がボーっとして何も手に付かない。
「お姉ちゃん!」
突如、同じテーブルでゲームをしていた妹に呼ばれた。
「辛気臭い顔しないでよ!」
「……ああ……ごめん」
私が気の抜けた返事をすると、妹はため息を吐いた。
「昨日帰ってきてから様子変じゃん。珍しく悩んでる顔して」
「珍しいって……失礼な妹だな」
声色を変えて言った。しかし妹は私の機嫌なんて気にせず、ずけずけと言う。
「だってお姉ちゃん。いっつもへらへらしててさ。アイドル辞めてからずっとそうじゃん」
痛いところを突かれた。自分でも正直自覚はある。
妹は逡巡として言った。
「何かあったの?」
「……なにもないよ」
なるべく表情を変えずに言ったが、妹はニヤッと笑った。
「なんかあったって顔してるじゃん。嘘つけないんだから言っちゃいないよ」
へらへらとした妹が癇に障り、私はわざと辛口で言ってやった。
「うるさいな……ほっといてよ」
すると、妹はまたため息を吐く。
「まあでも」
妹は呆れたような様子だったが、続けて言った。
「そんな顔してた頃のお姉ちゃんの方が、ずっと良かったけどね」
「……は?」
私は素で声が出た。
は? どういう意味? 私は暗い表情をしてた方がお似合いって事?
私は口調を強くして言った。
「暗い顔してた方が良いわけ?」
「はぁ……んなわけないじゃん」
この妹はさっきから一体何が言いたいんだろう。
すると妹は手持ちのゲームをテーブルに置き、私にまっすぐな目で向き合った。
「あのさ。アイドルしてた頃のお姉ちゃんは凄く悩んでいたし上手くいかない事もあったかもだけど、それでも前だけ向いて歌ってたじゃん。そういうのは伝わるんだよ」
ピシピシっとヒビが入った。
「お姉ちゃんを見て、元気もらってた人だって多かったんだから」
「……私を見て、そんな事思ってたの?」
妹は若干頬を赤らめて言う。
「そうだよ。アイドルとして頑張ってたお姉ちゃん私はす、す……すこしは認めてやってたんだから!」
心の片隅には、忘れ去られたはずの氷の結晶があった。
炎は途絶え、何事も寄せ付けないように極寒の中へと、自らを閉じ込めていたはずだった。
だが───その炎はいつの間にかゆらゆらと煌めき、燃えようと抗っている。結晶の中で屈折しながらも燃え上がろうと、なんとか光を生み出している。
そして、その炎は待っている。
今か今かと待ちわびていたのだ。
───私が氷を砕くのを!
「行かなきゃ……」
「は?」
「ありがとう! 私もミソラのこと大好きだよ!」
「は、はぁ!? 私は好きだなんて言ってな……ちょっとどこ行くの!?」
気づけば、私は駆け出していた。
家を飛び出し、無我夢中で目的の場所へと向かった。
ごめんイブキ。私はあなたを傷つけていた。
私ずっと、自分に嘘をついていたんだ。
そんな自分が嫌いで、アイドル追っかけて、見ないふりしてた。
私も、イブキが頑張ってる姿が好きだったのに───
そんな一生懸命なアイドルが好きなのに───
元気を沢山貰ってたはずなのに───
なのに私はなんて馬鹿なんだ。応援してくれた人も失望させて!
都内の中心で声が聞こえた。
「最後の曲になります。私が尊敬している方の一番の曲です」
都会の喧騒の中、うっすらとスピーカーの音が聞こえる。その声には聞き覚えがあった。聞き覚えしかなかった。私が何度も助けられた、勇気づけられた大好きな声。
「はぁ……はぁ……」
呼吸が乱れている。けれど整える気すらしなかった。呼吸よりも、今は大事な物があった。
目の前にはイブキがマイクを持って小さな群衆の真ん中で歌おうとしていた。
イブキは私に気付いた。彼女はうっすらと私に微笑み、手を差し伸べてくれた。
ごめんイブキ。
私はただ謝りに来ただけなんだ……
私だって輝きたかった。
そこで歌いたかった……
ビシビシっと音が鳴る。心の中がどんどん熱くなる。メラメラと燃え上がろうとしている。
違う。
謝っても何も変わらない。
そうじゃないだろう?
だから私は駄目なんだ。
『そんなことないです! ミミ助は───
声が聞こえた。記憶の奥から、私が最後の最後まで足掻きつづけ、踏ん張る事が出来た激励の言葉。
『ミミ助は誰よりも一生懸命で、私には誰よりも輝いて見えます!』
───その時、氷が砕けた。
「っっっーーーーー!!!!!」
私は、全てをはきだす勢いで声を出した。
それは歌というよりも、叫び。
私が自分の心に正直になるという、宣誓の喚声。
人々が私に注目する。突然声を出したからだろうか? それでもその人たちの瞳の奥には確かな輝きを宿した。私を見て目を輝かせてくれている。
イブキは私に合わせるように歌を合わせてくれる。流石現役アイドルだ。私の声にも綺麗に合わせてくれている。
ハハハ……全然声出てないや。音程も不安定。今までで一番最悪かも。
なのになんでだろう。この気持ちは何?
私、やっぱり───歌う事が好きだったんだ。
これから先。この道を歩めば、どんなことが待っているのだろう。きっと、様々な苦悩が私に付きまとうことだろう。いばらの道かもしれない。地獄かもしれない。
アイドルとしての挫折。アンチからの心無い一言。メンバーからの冷たい目線。年齢というどうしようもないディスアドバンテージ。
けれど、そんなことは関係ない。私はもう、自分に嘘は吐かない。
───もっとずっと、私は歌っていたい!!
*
「「ありがとうございましたー!!」」
都内の片隅で人々からの拍手に包まれる。こんな時間なのに皆足を止めて聞いてくれた。
私はふわふわとした多幸感に包まれていた。歌って踊って、息切れもして全身もボロボロのはずなのにまったく苦に感じない。
むしろその疲労感は私に心地よい達成感を味合わせてくれていた。
こんな感覚は久しぶりだ。思い出した。これがライブだ。私が大好きだったことだ。
「イブキ……今日はありがとう」
「いえ……」
イブキははにかんだ。そしてとびっきりの笑顔で言った。
「やっぱりミミ助は、私の一番です!」
その笑顔を見ると嬉しくなる。そして……不安でもある。
「私……またアイドルやっていいのかな……?」
心にあった氷の結晶は、既に砕け、溶けて無くなっている。あるのは情熱という名の燃え盛る炎だけ……
それならもう、くよくよ迷ってなんかいられない。そんな必要は無いのだから。
「ううん。またやってやる! もう下は向かないから!」
「ミミ助……」
私はイブキの両手を掴んで誓った。
「一緒にデビュー目指そう!!」
「っっ! ……はいぃぃ!!」
すると、イブキは感極まったように泣いた。さらに私に飛びつくように抱き着いてきた。
「イブキ!?」
え!? 良い匂! 顔良!!!
……これは私たちの物語。
自分を信じ、磨き上げ、一握りのデビューをかけて争う。
───私たちアイドルの、物語だ。
了
よりどりみどりな移し替え 米飯田小町 @kimuhan
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