第1話 これは悪役が主人公になる物語

●第一章


「化物と獣の差異はそこに畏怖があるかどうかである。なれば化物と神に、一体どのような違いがあるというのか?」――Toca Huyw(トーカ・ヒュー)



 思うに、敗因は油断であった、と炎咲日暮は思う。

 一番(最強)である、と。この炎咲日暮(オレ)に敵う者など最早居はしない、と確信半分諦め半分で生きていた。

 だから今にも自身の腹を貫きそうな、身の丈を超える水剣を見ても「これは面白いことになったな」という感情が最も彼女の胸の内を占めていたことを、否定はできない。

 ただその『面白いこと』が、彼女の予想を越えて、悪役を主人公にしてしまうくらいの火力を持っているとは、きっと誰も思いはしなかっただろう。


 簡潔に述べる。これは悪役が主人公になる物語。

 常世郷(エデン)という、かつて世界を救った英雄が創り出した、秘匿されし影のくにで繰り広げられる――ひとりの悪役と、おそらく主人公になるはずだった者、悪役を悪役のまま居させたい者たちが交錯し合う悲劇、あるいは喜劇である。


 ただ、そのためには彼女がいまだ悪役であった頃の5000字……いや6000、あるいは8000字……一話分ほどの前日譚を記す必要がある。

 分かってる、面倒だよな。でも、飯をより美味く食うには空腹になる必要があるように、何事もちょっぴりの我慢と前段階ってものが必要なわけだ。

 納得してもらえれば幸いだ。では、内容に相応しく、重い文体で物語を始めよう。


***


「はー、一番ってつれえよなあ」


 鬱蒼と木々が立ち込める夕暮れを背に、女は退屈そうに呟いた。

 女の髪は黒く、重く、されど艶やかなミディアムヘアで、時節内側に見える赤髪がそれを一層際立たせている。容姿にどこか幼さはあれど、血のように赤い瞳の目つきは鋭い。その珍しい色も相まって、見る者には恐怖を与えた。


「例えばさぁ、欲しいモンがあってそれを手に入れても、手に入れている状態が続くとそれが当たり前になってくんだよな。逆もまた然りでよォ、とにかく、慣れちまうわけだ」


 冬が近づいた少し肌寒い風が吹く木々の中、彼女は派手な花柄の赤い羽織を揺らしながらゆっくりと歩みを進めていく。


「慣れってのは怖えよ。最初はあったはずの感情や欲望ってのが知らねえ間に消えちまうんだ。なかったことになる。まるで洗脳魔術をかけられたお前たちEランクみてえにな」


 一方で相対する少年は、何かをぼそぼそと呟き――否、唱えていた。

 少年の周囲に赤い魔術式が溢れ出す。黒髪の女が退屈そうにそれを眺めながら嘆息した、そのとき。


「『――人極・フレイム』」


 ボウッと手に赤い痣を持つ少年の手元が、赤く光った。放たれた拳大の火の玉が、一直線に女に向かう。それはまるで炎を纏った弾丸のようであり、彼の命を削った、最後の灯火のようにも見えた。

 しかし。

 ぱん、と軽い音がした。たったそれだけ。

 それだけで、その炎はいとも容易く彼女の魔術陣――防御魔術によって防がれた。

 女は平然とした表情を浮かべながら、パキと片指を曲げて器用に指を鳴らす。

 そして右手首をくいと動かしながら、ただ一言。


「『フレイム』」


 ゴオッッ!! と、その瞬間。目の前に居た少年は勿論のこと、辺り一面が炎に包まれた。

 燃える、というよりかは溶ける。そう表現するのがふさわしいであろう炎だった。

 人も、草も、木も、大地も、彼女の前にあるもの全てが太陽を想起させる炎に一瞬で呑まれて溶けた。

 並みの人間であれば精々火の玉が限度であろう、初歩中の初歩である最下級攻撃魔術で、だ。さらに言えば、詠唱も魔術式も武器も何も必要とせずに、彼女はいとも容易く辺り一面を灼いてみせた。

 しかし、それに驚く者はいない。それが彼女のいつも通りだったからだ。



 黒髪の女――炎咲日暮は、相変わらずひどく退屈そうに炎を背にしてゆっくりと歩みを進める。

 至誠魔術守護局第一支部・第一隊長――炎咲日暮。

 それは最高位であるSランク魔術師の称号を手にする、常世郷(エデン)における“一番(最強)”の名であった。


「炎咲様、お疲れ様です。本日の第陸階位隊35名の廃棄任務完了です」


 炎咲が出口の扉をくぐると、先ほど彼女が灼き殺した男たちと同様に、黒い紋様を首に刻んだ無表情な少女が炎咲を出迎えるようにして立っていた。

 輝くような金色の長い髪と、瞳だけが澄んだ空のような青を持つ少女だった。

 少女は手に持っていた、鞘に黒と桜模様が入った刀と黒い制服の上着を差し出しながら。


「さすがは至誠魔術守護局の中でも歴代一の天才魔術師と言われるお方です」

「当然だ。オレは一番(最強)になるために生まれてきたんだからな」


 『壱』と刻まれた白いネクタイが揺れた。それは事実でもあり、また彼女の強い主張の現れのようでもあった。

 彼女の言葉を肯定するよう頷いた金髪の少女の右手の甲には、先ほど炎咲が魔術で灼き殺した少年と同じく赤い痣が浮かんでいる。

 これは『劣等紋』と呼ばれ、Eランクが生まれてから一年以内に自然に発生する痣である。Eランクは皆一様にこの痣が刻まれていた。


「つーかよ、人間を殺すだけなら横一列に並ばせろよ。そうすりゃ数十秒でカタがつく」

「以前もお答えしましたが、この任務には炎咲様の戦闘シミュレーションとその計測も兼ねております。また、先ほどの者たちは『人間』ではありません。Eランクです」

「あーソウデスカ」


 炎咲は適当に肩だけを竦めて歩みを進めた。しかしそれを引き留めるように。


「炎咲様。次回の任務ですが、明日の午後八時より開始予定です」

「あのさァ、夜遅えんだよなァ、毎回よォ。近くにある使ってねえ訓練施設も薄気味悪ぃし」


 現在炎咲たちがいる森の中の北区野外訓練施設とは数キロ離れた場所に、かつて使用していたらしい古ぼけた旧訓練施設があるのだ。

 さっさと取り壊せよな、などと悪態をつきながら炎咲がそのことを考えていると、ふと思い出した。


「でも明日で最終日か。最終日ってお前一人だけだろ。何でそんな特別枠なんだよ」

「私はこの任務と第陸階位隊の管理を任されている身ですので」

「ハッ、至誠局も随分怠慢だな。お前に丸投げかよ」


 炎咲は鼻で笑ってから、ポケットに仕舞っておいた星形のブルーハワイ味の棒付きキャンディを一本取り出す。それから、封を開け軽く噛むようにして咥えた。

 炎咲日暮は甘党である。常に糖分を欲している彼女はいつもどこかにそれを持ち歩いていた。そんな彼女にひとつの視線が突き刺さる。


「……いっつも思うんだけどよ、オレが食ってるときにガン見すんのやめろよな」

「すみません」

「はー、食いたいならそう言えよ」

「いえ、そういう訳で、はッ!?」


 炎咲は有無を言わせずに新しいキャンディをまたひとつ取り出し封を開けると、そのまま少女の口に突っ込んだ。


「あの……私、許されていません」

「オレが許した。それ以上何か文句言ったら任務関係なくここで殺すぞ」


 少女はそれでも何かを言いたげではあったが、ここで殺されては任務に支障をきたすと考え、そのままぺろりとキャンディを舐めた。その星形をしたブルーハワイ味と思しきキャンディは人工甘味料の甘みを存分に発揮すると、舌へこれでもかと甘さを主張してくる。

 彼女は自身の胸中に、ふわふわとした暖かなものが浮かび上がるような気がした。


「……私、これがとても好きだったんだと思います」


 少女は小さく呟いた。しかし、炎咲は「そうかよ」と適当に返事をすると、彼女を視界に入れることなくそのまま訓練施設の出口へ向かった。


***


 真っ黒な闇の中、炎咲は、倒れる少女の前で首をポキリと一度鳴らした。昨夜から一日後、数週間に及んだ計百二十五体の第陸階位隊を処分する全ての任務もこれでようやく最後の一人だった。

 目の前の最後の一人――金色の髪をした女は地に伏している。

 最早見慣れてしまった金色の彼女は血が流れ炎に灼かれ、炎咲が手を下さずとも死ぬだろう状況だった。

 息も絶え絶えな女は、それでも手を伸ばそうとした。ゆっくりと、こちらに伸ばされるそれは、果たして何を意味するのか――。

 炎咲はそれを見つめながら、同じく手を掲げた。そして変わらぬ魔術名を唱えようと――。


「彼女から離れなさい!!」


 そのようなことを叫びながら、何者かが突如として飛び込んできた。

 少女だった。長い亜麻色の髪をした麗しき少女は、その整った顔をひどく歪めて炎咲に鋭い視線を向けていた。白いシャツを靡かせて、最後に残ったEランクを庇うように前に立つ。


「……誰だお前。ここ至誠局の敷地だって知ってっか?」

「君が、陸位隊の彼女たちを殺したの……!?」


 炎咲の質問には答えなかった彼女だが、『陸位隊』というワードが出てくるあたり多少は何かを知っている人物なのだと推察する。

 ガシガシと頭を掻きながら、炎咲はどうでもよさそうな顔で庇われる少女に指を向けた。


「確かにそいつはオレが殺した。だが陸位隊のことを知ってるなら、これがどういう理由で行われているのかもわかるはずだ」


 亜麻色の少女は陸位隊やこの任務について、どこからか情報を仕入れたらしい。ならばこの行為の意味を理解しているはずだ。

 しかし彼女は納得しない。眉を吊り上げて怒りに震えている。


「だから殺すと……? それ以外何もしないっていうの? 救える、力があるのに……?」

「洗脳魔術にかけられた奴は理性失い暴走する。それが変わることはねえんだよ」


 そう、感情や自我を失わせるほどの洗脳魔術は十八歳を過ぎると徐々に効かなくなる。そして、洗脳魔術が解かれると反動で、彼らは真っ先に得た感情に己を奪い取られてしまう。

 結果として理性を失い、真っ先に得た感情――憎しみの感情に支配された彼らは民間人に危害を及ぼすため、その前に処分されるのである。それは洗脳魔術が年齢の影響で勝手に解かれようと、故意的に術者が解こうと変わりはなかった。


「でも彼女はまだそうなっていないじゃない! 何で諦めるの!? なぜ最後まで抗わないの!?」


 少女の言葉に、炎咲は嘆息せざるを得なかった。そして、呆れたような顔をして。


「あのよオ、抗って、それでどうする? 一万歩譲ってオレのこの任務をなくしたとしよう。だがこいつはまた場所を変えて似たような――あるいは更に惨い目に遭って殺される。それは確実なワケだ。それともお前は、お前の意見に逆らう奴を全員皆殺しにでもしてほしいのか?」


 炎咲は心底面倒くさそうに肩を竦めてみせた。


「そもそも、オレにはどうでもいい。目の前で『人間』がどれほど死のうが、オレがどれだけ『人間』を殺そうが、そんなことはどうでもいい話だ」


 少女は、瞳をこれでもかと見開いた。唖然とした表情だった。炎咲に向かって、悍ましいものでも見るかのような目線を向ける。

 炎咲は『人間』だと言ったのだ。Eランクを人間と見做さないこの世界で、彼女は確かに、彼らを――Eランクを等しく『人間』だと認識しているのだ、と。そう、悟った。

 であるならば――。


「人間……君は『人間』だと……。君は、人を殺すことを、誰かの幸福を奪うことを、悪だとすら思っていないのね……」


 炎咲日暮は、全てを人間だと見做している。少女と、同じ目線で人間を見ている。

 そうであるにも拘らず、彼女は『殺している』。

 何も思わないような顔をして、何も思わないような口ぶりで、ただ何百人も何千人も、あるいはそれ以上だって殺してみせる。それはこの世界の人間のそれよりも、遥かに。


「そんなの、人間じゃない……人間ではないわ……。……君は獣よ、『悪』の化物――正しくそれそのものじゃない……」


 少女は眉間に皺を寄せて、呆然と炎咲を見つめていた。目の前の人間が『化物』に見えた。自らの倫理の外側にいるバケモノに見えたのだ。

 炎咲日暮という人間は、少女にとって人間の枠を超えた『悪』だった。


「ハッ、『悪』ね。オレにはどうだっていい概念だ。自分の行為に善や悪を考えたことはねえよ」


 炎咲は言うと一層笑みを深くして。


「そもそもそれは、お前が決めた基準に過ぎねえんじゃねえか? お前は人間を殺すことを大それたことのように言うが、案外その『悪』ってのはもっと容易いモンかもしれねえぞ」

「ふざけないで! 私は決して人殺しなんかに手は染めない! それは人として、決して越えてはならない一線なのよ!」


 吠える少女を、炎咲は淡々と見つめていた。それは冷ややかともとれた。


「なら、ソイツが誰かを殺すようになったとき、お前は一体どうするんだ?」


 気だるげな動作で指された金髪の少女を見て、少女は思わず息を呑んだ。

 彼女はまだ、暴走してはいない。自らを失ってはいない。けれど、その瞬間は必ず来る。

 その時、果たしてどうするのが最善なのか。最も正しい選択とは何なのか。

 少女は瞠目し、歯噛みし、拳を握りしめ、それから――、口を閉ざした。

 炎咲は盛大な溜息をつく。


「それを咄嗟に答えられねえような奴が、軽々しく助けるだなんて言わねえことだ」


 それは手のひらに爪を食い込ませた少女の心に深く突き刺さった。突き刺さったけれども。


「……それでも、私は今目の前で苦しんでいる人を見て見ぬ振りはできない。それが『人間』というものだからよ」


 炎咲はその言葉に、僅かに動きを止めた。彼女の真っ赤な瞳がじっと少女の強く意志の強い亜麻色の瞳へと注がれる。

 『人間』。

 それが『人間』と呼ぶに相応しき者の行動だ、と彼女は言った。

 目の前の少女であれば、『それ』をより詳しく、自身に伝えることができただろうか、と炎咲は考える。

 けれども、それはもう遅いことのように思えた。

 だから、次の瞬間には目を眇める。


「行動だけじゃなく言うことも素敵だな。だが、そんなハッピーな脳味噌じゃこの世はさぞ生きづれえだろう」


 射貫くような瞳が、少女を貫く。


「オレはお前を否定しない。そんなことはどうだっていいからな。だからお前がここで見なかったことにするというのなら、全てなかったことにしたっていい」

「……退くことは、できないわ。君にこの罪を償わせなければいけないからよ」


 最早死んでいるであろう金髪の少女を、それでも背に守りながら少女は炎咲を睨みつけた。


「それなら、オレがお前を適切な場所へ送ってやるよ。そこでいくらでも理想を語ってな」


 ゆっくりとポケットから手を出した。少女に向けられたその手は、何千何万とやってきたように炎魔術を出すために向けられたものだ。人を殺すために向けられた掌だ。


「残念だよ。お前みてえな奴を、ヒトは『人間』と呼ぶんだろうに」


 その言葉にはどこかこれまでとは違う柔らかさが含まれていた。

 けれども、それから彼女はいつもと何ら変わりなく、呟くように。


「『フレイム』」


 赤く、そして猛々しい炎が少女とその背後にいたEランクをも纏めて包み込んだ。

 炎咲はそれを大して確認もせずに少女たちだったものに背を向けた。意識の外に追いやって帰宅しようとしたのである。

 けれど、それは叶わなかった。

 ゴアッ!! と炎が炎咲の周囲に纏わりついてきたと同時に、頬をすり抜ける短剣の存在があったからだ。


「な、に……」


 バッと振り返ると、そこには無傷の少女と庇われたEランクがいた。

 辺りは一面が炎で包まれているというのに、彼らの周りだけはまるで何かに守られていたかのようにただの少しも灼けていなかった。それはつまり、炎咲の攻撃をはじき返し、なおかつ自分と後ろにいるEランクを守るだけの力があるということだ。

 炎咲は投げられた短剣によってつけられた頬の血を拭いながら笑みを浮かべる。


「……おい、オイオイ。一体誰だよお前、どこから来た? まさかAランクってこたアねえよな。もしかして『外』のSランク魔術師か?」


 常世郷(エデン)は外部に存在を知られていない場所であり、外から無断で誰かが侵入してくることは常世郷(エデン)が創られて以来一度もなかった。しかし、可能性としてそれがないとは言い切れない。

 一方で内部のSランク魔術師という可能性も考えたが、最強と称される炎咲の攻撃を防御し尚且つ弾き返すほどの実力者が無名のはずがない。それこそ、至誠局の他の隊長であってもおかしくない。だというのに、炎咲は目の前の女を見たことはなかった。

 炎咲が頭を回している間に、少女は一歩、また一歩と彼女の元へと近づいてくる。


「君は、罪を贖うつもりはないということね」


 その瞳は、未だ怒りで揺れていた。亜麻色の瞳には、強く灯る義憤が確かにあった。


「炎は人を不幸にする……君の炎は、特にそうよ」


 少女の瞳の奥では、遠き炎が轟々と揺れていた。炎咲はそれを見据えながら、鋭く口角を上げる。


「あぁ、そうだ!! オレの炎は、すべてを灼き壊す炎だ!!」


 少女はもう何も言わなかった。苦痛と憐憫さえ伴ったような憤怒の瞳を向けると、腰に差さった剣を抜く。

 瞬間――消えた。


「ッ!!」


 足への強化魔術――そう思うと同時に、背後に気配を感じる。反射的に無詠唱でフレイムを放った。

 しかし少女はいとも容易く、まるで紙でも切るかのように炎の波を斬り裂き、切っ先が炎咲に襲い掛かった。身を逸らして避ければ再び背後に魔力反応。

 短剣だった。ウォーターカッターのように鋭い音を放つ短剣が数十、炎咲に狙いを定めて浮いている。


(詠唱破棄! しかも下級じゃねえ、こいつは少なくとも中級以上の――)


 炎咲と同じく詠唱と魔術式の構築を破棄して魔術を行使するだけでなく、それを中級魔術以上でやってのける。さらには強化魔術を併用しながら、だ。

 そんな者、Sランク魔術師以外ありえない。ならば、目の前の女は何者だというのか。


「ははっ!」


 思わず笑った。それは喜色なのか、久しぶりに感じた焦燥によるそれなのか。

 どちらにせよ、Eランク相手には無用だと刀(魔術武器)を置いてきたことを若干後悔しつつ、防御魔術で相殺する。

 魔術武器がなければ、炎咲日暮は『フレイムでしか戦えない』。残る戦法は――。

 思考を遮るように、少女の――反射的に知覚させないよう、あえて魔力を伴わせない剣先が炎咲の腹に目掛けて振るわれる。

 その一撃、身のこなし、魔術を併用した戦い方――その全てが、素人ではない。何らかの武道の型を踏襲したようなそれに加えて、魔術の練度が並大抵ではない。


(仕方ねえな)


 剣先を避けて、足の強化魔術を施し上へ飛んだ。その衝撃波で少女は一瞬反応が遅れたらしく、後を追っては来ていない。

 炎咲は上からこの地を概観した。

 常世郷(エデン)の巨大中央都市――神都は、中央区を中心に東西南北の区がそれぞれ約14000平方キロメートルほどあり、その都市全体を、まるで古代の城郭都市を巨大化させたが如く、円形にぐるりと外壁で囲っている。

 この北区の野外訓練施設は、その外壁の近くにある山中に建設されている。

 どの外壁近くにも森林――というよりは、樹海とすら呼べそうな広大な木々が広がっており、さながらアメリカのカリフォルニア州にある森林公園や、巨大版・日本の富士の樹海のようである。

 炎咲はそれらを見渡しながら――。


(全部灼くか)


 簡潔に導き出した。

 北区と隣接する区の樹海部には壁があるため、全部灼いたとしても北区の約300平方キロメートルほどで済むだろう。簡単に言えば、フランスのパリ三つ分である。

 無論、常識的に考えて、あり得ない。

 けれども、炎咲日暮はやる。

 それも、たった一瞬で、たった一言呟いただけで。詠唱も魔術式の構築も行わず、本来であれば火の玉を生み出す程度の最下級魔術の名称を呟いただけで――炎咲日暮はこの樹海全てを、その空まで含めて全て、炎の海に沈めてみせる。

 ゆっくりと、手を翳した。土地全てをその右手で覆うように。鷲掴み、すべてを灰に帰すように。すべてを、日暮れが如く炎で呑み込むように――。


「――『フレイム』」


 轟ッッッ!!

 目を刺すような光と熱波と共に、世界が灼けた。三百六十度、炎咲を除く全てが炎の柱に包まれる。

 すべてを灼く炎。すべてを灼き壊す炎。

 さながら近づくものすら熱波で灼き溶かす太陽の熱のようなそれが、300平方キロメートルの世界を容易く灼く。


「……ま、これの欠点は、オレも空気がなきゃ死ぬってことだな」


 だから炎咲の周囲のみは、炎がない。それでもそう長く持つわけではないが、敵が喰らうであろう炎の中よりマシである。炎の中で防御魔術陣を張っても、空気がなければ精々3~5分で死ぬ。

 炎咲はただそれを待つか、運よく炎咲の周囲に這い出て来た場合は瀕死に近い敵を追撃するだけである。


 だから、予想などしていなかったのだ。


 その炎すべてが、一瞬で両断され霧散するなどとは。


「…………は?」


 うっかり、呆けた声を出した。

 天極(上級魔術)なのかと思った。それならば可能性はある。けれども、違った。違ったのだ。

 はるか下方。金色の髪の少女を守るように立つ少女の手には、一本の剣だけがあった。おそらくはその魔術武器に纏わせた魔術だけで、撫で斬り、炎ごと一瞬で鎮火させた――。

 スッと。少女は剣を持たない手――片方だけ黒い手袋に覆われた手を大きく上方へ振り上げた。

 そしてただ一言、強く、その一言で日暮れの炎ごと喰い尽くしてしまうほど眩く。


「『水聖剣』」


 バキバキバキッと瞬時に少女の手を軸として、巨大な水剣が生み出され、息つく暇もなく一直線に炎咲へ襲いかかる。

 おそらくは地極――中級魔術だが、ここまで巨大なものを詠唱破棄で、魔術式の構築なしで行うなどやはりSランク魔術師以外に考えられない。


(しかもよりにもよって相性の悪い水魔術かよ)


 そう頭の片隅で思いながら彼女は咄嗟に防御に全ての神経を集中させたが……無意味だった。

 もうずっと誰にも割られることなどなかった炎咲の防御魔術が。前面に浮かびあがった魔術陣が、巨木を粉砕するかの如く、盛大な音を立てて砕け散る。


 ――ああ、これは刺さるな。


 そう思った瞬間――彼女の意識はぱっくりと、容易くそこで途切れた。

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