第5話『別れ』


 翌日、私は目を覚ました。弥生さんは隣で静かに眠っていた。

 私は、起こさないようにベットから出ようとする。


「はやと……」


 弥生さんが無意識に呟いたその名前……そして穏やかでどこか寂しげな表情。

 ……いつも、明るく振る舞ってくれているけど。

 手を伸ばしかけるが、一瞬ためらう。触れるべきじゃない気がして、静かに手を引っ込める。

 私も、いつか、弥生さんの力に少しでもなれたら……そんなふうに思いながら、そっと布団を整えてあげる。



 ◇


 

「うぅ……飲みすぎちゃった……」


 弥生さんは目を覚まして、背伸びすると、優しく微笑む。


「おはようございます、弥生さん。 ふふ、本当に昨日は飲んじゃいしたね? でも、楽しかったです……」

「あら……♡ 私もよ……私も楽しかった♡ これからは、毎週金曜日は飲んじゃいます?」


 弥生さんは目を細めて微笑むと、ベットから立ち上がる。


「あの……弥生さん、さっき寝てる時……はやとって、言ってましたよ……? そ、その、私、弥生さんにたくさん支えてもらってるので……もし何かあれば、話して欲しいです……」


 言うか迷ったけど……でも、いつも弥生さんに支えてばっかりじゃ嫌だ……少しでも私も役に立ちたい。


「……そんなこと言ってたのね、勇人……」


 弥生さんは私の頭を優しく撫でてくれた。

「勇人」弥生さんの優しい呼び方、どれだけ大切に思っている人かが伝わって来た気がする。


「乗り越えたって思っても……やっぱり忘れられないものなのよね。 十年前に彼と行った旅行のパンフレット、まだ捨てられないの」


 弥生さんは眉を下げて「……ふぅ」と息を吐くと、優しく微笑む。けど、どこか悲しげだった。


「私……弥生さん含めて、みんなに支えられて生きれてます。 だから、弥生さんも、少しでも頼りたいって思ったら……私にも出来ることがあるかもしれないので……」


 弥生さんは目を丸くして少し恥ずかしそうに「ありがとう……詩月ちゃん……」と優しく微笑んでくれた。

 弥生さんの初めてみる表情だった。

 でも、これで良かった気がする。

 私も、いつかきっと……弥生さんみたいな人になりたい。私は心の中でそう強く決める。

 

「じゃあ、ハグさせてちょうだい♡」


 すると、ドヤ顔で両手を広げる。

 思わず拍子抜けしたけど……でも、それでもいいかも。

 

「っ! そ、そんな……でも、はぃ……」


 顔が熱くなりながらも、おとなしく弥生さんに抱きつく。弥生さんはくすくすと笑うと、私を静かに抱きしめてくれた。


「ねぇ、詩月ちゃん……これからも頑張ろうね♡」



 ◇

 


 そして、正式に弥生さんの家に引っ越すことが決まって、仕事も順調に進み、転職も視野に入れて来た日のことだった。


「つかれたー」

 

 私は家着に着替えて、夕飯の準備をする前に、テレビをつけてみる。


「あの番組、録画しないと……」


 すると、近所ほ交通事故で一名が亡くなったと言うニュースが飛び込んできた。


――夜月弥生――


「え……?」


 テレビの画面に映るその名前を見た瞬間、心臓が止まるような感覚に襲われる。

 うそ……うそだ……

 私は、震える手で弥生さんに電話を何度もかけるけど、繋がらない。


「どうして……」


 これから、引っ越す準備だってして、これから一緒に……

 息が苦しくなって、地面に崩れ落ちる。頭の中で弥生さんの笑顔が何度も蘇る。


「……私を……置いていくなんて……いや……いやだ……」


 嗚咽が漏れる、心が引き裂かれるような痛み。

 画面の名前を何度も見返すが、現実は変わらない。涙が止まらない。

 私は涙が止まらなくなり、声を出して泣いた。

 その夜、社会復帰センター「未来」から電話がかかって来た。


 ◇


 弥生さんの通夜……私はいくのが怖かった……でも、行かないと一生後悔するって、震える足で向かった。


 弥生さんの遺影はとても素敵だった。

 向日葵みたいな優しい微笑み、私が知っている弥生さんの笑顔。

 涙が止まらない……

 そばには棺桶があって、弥生さんの死が現実なんだって……


「弥生さん……きたよ………」


 震える声で話しかける……綺麗に化粧をされて、とっても綺麗だった。

 眠るように……安らかで……名前を呼んだら目を覚まして、いつもみたいに返事をしてくれそうで……。

 私は、弥生さんの頬にそっと触れる。

 冷たくて……ああ、もう、戻って来ないんだなって……


 その後の記憶はない。未来の職員さんが車で家まで送ってくれて。

 玄関で膝を抱えていた。

 あんなに、綺麗な顔で眠ってるみたいなのに……二度と私を励ましてくれたり、ジムに一緒に行ったり、酔っ払って頬にキスしてくれたり、抱きしめたり、撫でてくれたりしない……


「もう無理だよっ……弥生さん……」


 全身が震えて、涙が止まらない。

 でも、どんなに泣いても、インターフォンが鳴って、弥生さんはまた元気な顔で会いに来てくれない。

 その事実だけで、もう辛い……

 涙で滲む視界の中、弥生さんがあの誕生日の後、送ってくれた写真を見る。

 酔っ払って顔を赤くしながら幸せそうに笑う弥生さんと、少し困り顔の私……


『これからも頑張ろうね♡』


 あの時……一緒に頑張ろうって。

 でも、弥生さん、私……弥生さんがいないのに頑張れるかわからなくなっちゃった……


『詩月ちゃん、泣かないで』


 その時、耳元で弥生さんの声とふわっと香水の匂い……いつも、弥生さんが使っていた香水……


「弥生さん……」


 あなたがいない生活なんて……考えられないです。ねぇ、弥生さん、死んだら会えるのかな?

 ……けど、私……怖いんです……死んだら……弥生さんや龍一との思い出も全部消えちゃったらって……私怖いんです。


『ずっとそばにいるからね……』


 思わず辺りを見る、誰もいない、いないはず……だけど、確かに、弥生さんがいるような気がする。

 ……っ、弥生さん……はぃ、私……あなたに会いたいです、でも、弥生さんが生きれなかった分、龍一が生きれなかった分……生きてみます……



 ◇


 そして、出棺の当日。

 私は、弥生さんと永遠のお別れをした。

 

 

 

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