第4話『日常』


 そして、弥生さんが来てから、私の生活は少しずつ変わって行った。

 諸々の手続きを市役所で済ませた私は、社会復帰支援センター「未来」の支援もあって、なんとか工場勤務の仕事を貰うことが出来た。

 私が新卒で入った企業と比べると、決して給料は高く無いけど……でも、とりあえずホッとした。

 工場での仕事も、初めは周りの目が怖かったけど、仕事をするうちに気づいたことがある。ここで働く人たちも、皆それぞれに抱えるものがあるということ――。


 私の事情を知っているのかは分からない。でも、みんな優しく私を迎えてくれた。それが、とても嬉しかった。


 ◇


 業務後、弥生さんと駅で待ち合わせをして、ジムで体を動かした後、ジムの浴場で弥生さんと体を温めていた。


「詩月ちゃん、最近はどう?♡ みんなと上手く行ってる?」


 頭を上に巻き上げて、優しく微笑む弥生さん……弥生さんと出会ってからの3ヶ月はあっという間だった。

 本当に弥生さんには感謝してもしきれない。


「……えっと、はい、うまくいってます」

「ふふ……それは良かった。 ねぇ、詩月ちゃん、最近本当によく頑張ってるね♡ 私、本当に嬉しい」

「弥生さん……みんなのおかげです……あの時の私、こんな風に生活出来るなんて思いませんでした」


 本当に感謝しかない。工場の人も市役所でアドバイスをくれた職員も、「未来」の職員の方々……特に、弥生さんには。


「龍一……」


 私、これでいいのかな……? 私だけこんな未来に進んで良いのかな? もしあの日、一緒に死ぬって決めなかったら、今……もっと幸せだったのかな……?

 泣いちゃいけないって、自分で決めたはずなのに、なぜだか涙が止まらない。

 順調な日々を送るほど……辛くなる。


「詩月ちゃん……」


 弥生さんが、優しく肩を抱き寄せてくれる。なんだか一気に胸の苦しみが解けていく気がした。


「……大丈夫だからね」

 


 ◇


 そして、私の二十四歳の誕生日になった。

 実を言うと、誕生日なんて微塵も頭になかったけど、夜中にインターフォンが鳴って、玄関を見ると弥生さんがわざわざ、ケーキまで買ってきてくれていた。


「ふふ、誕生日おめでとうございます♡ もう二十四歳ですか♡ 羨ましいなぁ……私もう三十二になっちゃったんですよ?」


 弥生さんは嬉しそうにそう言う……ふわっと微笑んで、その言葉を素直に受け取る。

 私のためにこうして来てくれることが嬉しくてたまらない。


「弥生さん……! ありがとうございます……でも、弥生さんが三十二だなんて、信じられません。 私も、弥生さんのような三十二歳になれたら良いなって思います……」


 うん、本当に……私もいつか、弥生さんみたいな女性になりたい。少し言うのは照れくさいけど……


「ふふ、嬉しいなぁ……♡ きっとなれるわよ……私なんかよりもっと素敵な女性に♡」


 弥生さんは少しスーツを着崩すと、「ほら、お酒もあるわよ!」と、グラスにワインを注ぐ。

 こんなに楽しい気分でお酒だなんて……いつぶりだろう。


「ありがとうございます……ふふ、でも、飲みすぎちゃダメですよ?」

「大丈夫よ♡ 私こう見えて、お酒結構強いの……そう、詩月ちゃん、少し話があるんだけど……」


 なんだろう、弥生さんの話って……私はグラスをテーブルに置くと、少し緊張して弥生さんの瞳を見つめる。


「私たち、一緒に住まないかしら?」


 えっ……一緒に住む……?

 弥生さんの美しい微笑みに少し戸惑いながらも、その言葉が何度も響く。


「……う、嬉しいです……でも、どうして? 私なんかと住んなんて、きっとご迷惑じゃ……」


 弥生さんと住むことになれば、私の毎日は、もっと変わるかもしれない。弥生さんと暮らすことで……また新しい一歩が……


「ふふ……そんな事ないわよ♡ 前も話したけど、あなたに昔の私を重ねちゃうの……それに、前を向いて歩いてるあなたをもっと応援したくて♡」


 いつものおっとりした口調だけど、弥生さんは本気で考えてくれている。


「……弥生さん。 そういってもらえて本当に嬉しいです。わかりました……考えてみます」


 正直、自分が一緒に住むなんて……まだ迷いはあるけど、弥生さんとの生活……してみたい。

 

「ふふ、待ってるわよ……♡ ね、今日は少し映画でもみて楽しみませんか? 折角の誕生日ですし、明日休みでしょ? お酒も飲んで騒ぎましょ♡」


 ◇


 その後は、本当に幸せな時間だった。

 弥生さんと映画を見て、感想を言い合ったり、酔っ払った弥生さんに振り回されたり。


「詩月さぁん〜♡ もっと飲みましょうよ〜♡」

「弥生さんっ! 酔いすぎですよ」


 弥生さんに抱きつかれながら、必死にお酒のグラスを遠ざける。でも、この瞬間がとても楽しくて笑みが止まらない。


「弥生さん……でも、こんなふうに笑って過ごせる誕生日が来るなんて、思っても見ませんでした……本当にありがとうございます」


 ふと真面目に呟くと、弥生さんはふにゃっと笑って「よかったぁ〜♡」とさらに抱きしめてくる。

 龍一の事は……ずっと忘れないし、今も何度も思い出すけど、今この瞬間がすごく「幸せ」だと感じる。新しい毎日の中で、少しずつだけど未来に希望を持てるようになって来た。

 

「もぉ〜♡ ほんっとかわいい〜♡」


 弥生さんは私の頭をなでなでしてくる。思わず顔が熱くなる。驚いて、弥生さんを見ると、べろべろに酔っ払って、楽しそうに微笑んでいる……


「もぅ……そんなことないですよっ」

「そんなこと言わないの、もっと自信持ちなさいよっ♡ 」


 心の奥では嬉しい自分もいるけど、ムッとしてみる、けど、弥生さんの無邪気な笑顔に心が緩んでゆく。


「……頑張ってみます」

「ふふっ、その粋よ♡ あ、そうだ、写真とりましよぉ〜♡」


 弥生さんは私の肩を抱き寄せると「いえーい」と手を伸ばしてパシャリと一枚。


「明日起きたら……送りますからねぇ〜♡」


 弥生さんは微笑むと、そのままうとうとして眠ってしまった。少し戸惑いながらも、今撮ったのは大切な写真になったような気がする。

 

 そうして、私の二十四の誕生日は幕を閉じた。

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