第3話
「かりん……なのか?」
「そうですよ? ……分かりません?」
「……全然。変わりすぎだろ」
「えー、折角会えたのに気付かれないなんて、寂しいなー」
唇を尖らせ、くねくねと身体を揺らしながらそう言う燧華凛は、俺の知っている『かりん』とは全く別の人間だった。
あれから、5年は経ったか。5年もあれば人は変わる。男には頼りたくないとずっと女手一人で息子を育てていた母さんだってどっかの社長と結婚するし、俺は、――体は大きくなった。昔の方がコミュニケーション能力高かっただろうな。
――ともかく、あの子の面影一つない美少女がかりんだなんて、信じられなかった。
「待って、待って待って待って、二人知り合いだったのォ!?」
浦部が叫ぶと、困惑していたクラスがざわつき始める。「なんでオタクと」「釣り合わねえ」「前髪切れよ」なんて悪態が聞こえてきて、思わず溜息が漏れた。
「……隣人だった、たぶん」
「たぶんってなんですかー、幼馴染って言いましょうよー、先輩」
「そんな喋り方してなかったろ……」
というか、「ありがとうございます」以外の声、聞いたことすらないんだが。
「あ、当時は失語症だったんですよ」
「へぇー」
「うーわ興味なさそう」
「いやだって……。喋ってたろ、一応」
「あれでも数年ぶりに喋れたからビックリしてたんですよ?」
「……そうなのか」
そう言われると、そうかもしれない。いくら多感な小学生とはいえ学校で一言も発さないのに先生が怒らないとも思えないし、ならば理由があったと考えた方が納得できる。
しかし、――どうだろう。あの物静かで何にも興味がなさそうだった暗い子が、こうも変わる姿は想像出来たろうか。たった5年でそんな人間成長するっけ?
「そもそも、名前違ったろ。ひらがなだったし」
隣の部屋に掛かっていた表札は『石垣』だったし、ランドセルに書いてあった名前は『石垣かりん』だ。
俺だって親が結婚して(再婚かもしれない)一度姓が変わったが、名前が変わるなんて聞いたことない。
「再婚したんですよ。あっ、でもそこから離婚再婚2セットくらいしてるんですけど」
「波乱万丈人生だな」
「そーなんですよー、住む場所も1年おきに変わるし、結局仲良くなれたのは先輩だけでした」
「……なったか?」
「なってましたよ」
むすっと唇を尖らせるそんな姿を見ていても、可愛いとか、あざといとか、なんでこんなわざとらしい動作をしていてもムカつかないんだよとか、そんなもやもやが頭を駆け回る。
いま俺は、一生関わり合いを持てないレベルの美少女と話している。それがあまりに非現実的すぎて、自分の理解出来る範囲で思考を進めてしまうからだろう。
「あと、名前の方は変わってません」
「……ひらがなじゃなかったか?」
「小学生ってそんなもんですよ」
「…………そういえばそうか」
言われてみると、小学生のうちって自分の名前だろうが学校で習うまではひらがなで表記するのが当たり前だったような気がするな。丹下聖という自分の名だって、漢字で書けるようになったのは随分成長してからだった気もする。
なるほど、華(はな)に凛(りん)なんて難しい漢字、小学校で習わなかったのか。だからずっとひらがな表記だった、と。随分と
「こんな美少女と知り合いだったのに、忘れてたって……お前はそう言うのか!?」
わなわなと震える浦部に、「そうだな」と返すと、かりんは意地悪そうな顔を向ける。
「私だって、さっきまでここに先輩居ること気付きませんでしたもん」
「さっき?」
「私のクラス、見に来てましたよね?」
「……よく見てたな」
「分かりますって流石に」
何当たり前のことを、と言いたげな顔で返されたが、あの場、あの時間にかりんのクラス周辺に集まっていた男子は数十人居た。朝から考えるともっと多いだろう。
その中の全員の顔を見て、覚え、そして俺を見つけた、――と。いや、ありえるのか?
「でも先輩、いつの間に名字変わってたんですか?」
「中学ん時だ」
「なるほどー、気付かないわけだ」
「というか、……高校は偶然か?」
「偶然ですよ? 先輩の性格だし、電車通学嫌って地元の公立高校に通ってる可能性はあるよなー、くらいには思ってましたけど」
「正解だよワトソン君……」
「ワトソン?」
疑問を浮かべられ、滑ったな、と後悔した。浦部笑うな。普段オタクとしか喋ってないから出ちゃうんだよこういうの。
かりんも浦部に釣られて笑ってるが、何に笑ってるかも分かっていない――なんというか、陽の笑いだ。あぁ、5年で俺達の世界は変わっちまったな。昔からだいぶ世界観違ったけど……。
話がひと段落したのを察したか、いつの間にか集まっていた男子(他クラスの男子も含む)が俺達の周りをぐるりと囲うように集まった。
浦部が「ひっ」と声を漏らすほど、強い圧を掛けて。
「あのさ、ちょっといい?」
「はい?」
中で最初に声を上げたのは、同じクラスの日下部――所謂イケメンクソ野郎だ。クラスカースト上位、つまりオタクの敵である。
「燧さんだったよね。オタクと何の関係?」
「幼馴染ですよ。話聞いてませんでした? っていうか人のことオタクとか呼ぶの失礼だと思いません?」
明らかに機嫌悪そうに目元に皺を寄せて返すかりんを見、男子の一人が舌打ちをする。
日下部は舌打ちした男子の方を睨んだが、――一瞬で表情をにこやかな、女子が好みそうな正統派イケメンのそれに変え、「まぁまぁまぁ、」と俺の肩を抱く。うわぁ陽キャ怖い。なにこの距離感。俺こいつに肩抱かれたことなんてねえよ。肩をグーで叩かれたことは何度もあるけど……。
「仲良しの証だよ」
「そうは見えませんけど」
「仲良しだよなぁ?」
「……ハイ」
怖いぜ陽キャ。ここで否定したら後日社会的な死を迎えそうなので、機械のように頷いた。
「はぁ、まぁ良いんですけど、なんの用ですか? 見ての通りお話し中なんですけど、人の話遮ってまで話したいことがあるんですよね?」
「んー、話したいことを見つけたいだけなんだけど……」
明らかに不機嫌そうなかりんを真正面から見ているにも関わらず全くブレない日下部が一歩前に出ると、――かりんが一歩下がり、俺の机に座るような姿勢になる。
「私はあなたと話したいことなんて全くありません」
「オタク君よりは面白い話が出来ると思うんだけどなー」
「は?」
眉をひそめ、かりんは低い声を漏らした。
――不機嫌なんてもんじゃない。明らかに、怒っている。
日下部も怖いし囲む男子も怖いが、俺はかりんが一番怖い。
この状況で男子、それも先輩数人に囲まれてこの態度、強すぎんだろメンタルが。浦部なんて我関せずといった顔でスマホゲーム始めちゃったぞ。逃げるな。俺を助けろ。
「そもそも、失礼じゃないですか? どう見ても話し中って分かりますよね。それもこっちは5年ぶりに再会してるんですよ。無個性な雑草みたいな頭したあなた方には分からないでしょうけど、私にとっては大事な話をしてるんです。用がないなら帰って下さい。あなた方と話すことは何もありません」
無個性な雑草と表現された彼らのワックスまみれのツンツンヘアーを直視してしまい、思わず吹き出すと男子数名に睨まれた。すまん雑草。
日下部はにこやかなイケメンスマイルを崩し、――すっ、と表情を失くす。
あぁ、日下部が男子、――それもカースト底辺の俺達に向けるのは、いつもこの目だ。
道端の吐瀉物でも見るかのような、冷たい目。同種の生物とすら思っていない、興味のない瞳。
ガンッ、と椅子を蹴飛ばされる。
想像していなかった衝撃に、転倒しそうになり――、
驚異的な瞬発力で、倒れかけた俺の椅子を後ろから抑えるため手を伸ばした浦部の手から滑り落ちたスマホが、宙を舞う。
――ゴン、とスマホが床に落ちる。
こちらをひと睨みすると、日下部は黙って下がっていった。
「ありえねえ」「冷めたわ」なんて名も知らぬ他クラスの男子が呟き、取り巻きを引き連れ日下部が教室を出ていった。
全員が教室から出るまでそちらをじっと見ていたかりんは、大きな溜息を吐くと浦部のスマホを拾い、画面が割れてないか光を当てチェック。――「うん」と呟くと、浦部に手渡した。
浦部はキョドりながら「あ、ありありありがとう」なんて返すが、かりんは不機嫌さなんてどこへいったか、にこやかな笑顔を向けると、それが致命傷になったか浦部は突っ伏した。
「……殺す」
そのまましばらく震えていた浦部がそんなことを呟くので、思わず俺とかりんがそちらを見た。
「いきなりなんだ物騒だな」
「こんな可愛い後輩ちゃんに好かれるお前の息の根を止めるッ!!!!」
「えっ、俺ぇ!? 殺されるの俺なの!?」
「当たり前だろうがぁああああああ!!!!」
叫びながら顔を上げた浦部が、俺の胸倉を掴み大きく揺らす。かりんはあははとお腹を抱えて笑っているので、不機嫌なのはもう終わったようだ。一安心。
「じゃあ先輩、行きましょっか」
「え? どこに?」
「夕飯、もう奢ってくれないんですか?」
「…………いやもう要らないだろ」
素で返すと、浦部が後ろの席から俺の背中を強打した。
「痛ぇ! 何だよ!」
「クソ馬鹿野郎がよぉッ!!」
「叩くな! 叩くな! なんだよマジで!!」
「男だろ! 行けよ!!」
これ明らかに周囲から恨み買う奴だよね!? 日下部と取り巻きは出てったけど、絶対ここでの話後で聞いて俺恨まれるやつだよね!?
そりゃかりんと再会出来たのは好ましいことではあるしあの暗い子がここまで美少女に育ったなんてすごいとは思うのだがそれでも人間には自分の立場ってもんがあってだなぁ!
「じゃあ、私が奢りますね」
「待てそれは流石に駄目だ」
久し振りにあった後輩の女子に飯奢らせるって、割と鬼畜野郎じゃないのかそいつは。
助けを求めて浦部の方を見ると、――「よし俺は帰る」と立ち上がる。
「待て共闘は!?」
「一人でやってろバーカ! バーーーカ!!」
いつもこの時間は浦部と二人で残ってスマホゲームの共闘プレイをしていたのだ。
荷物を爆速でまとめダッシュで教室を去っていく浦部の背中を見送り、かりんを見た。
――間近で見ると、やっぱりとんでもない美少女だ。
そりゃこんなの街歩いてたら読者モデルにスカウトされるだろ。されなかったらスカウトの目がおかしい。いやどういう仕組みか知らねえけど。
「行きましょっか」
「あぁ。……待て部活あるだろ」
「あ、辞めてきました。さっき」
「さっき!?」
「大会終わったら先輩がうるさくてですね、ちょっと可愛いからって調子乗ってんじゃねーぞとか言われるようになったので、もう良いやー、と」
「そんな軽い気持ちで!?」
「めんどいんですよ女子。これでチームの輪崩したら折角の強豪バレー部弱くなっちゃいますし、それなら私が抜けた方が丸いかなーと」
「エースなんじゃ……なかったのか?」
「まだ卒業してない前エースの上級生を押しのけて先生に任命されたポジションでも、先輩は素直にエースを名乗れます?」
「…………ちょっと気まずいな」
「そうなんですよねー、まぁ大会終わるまではギクシャクしつつもなんとかなってたんですけど、終わってだいぶ雰囲気悪くなっちゃってたので、もう未練もなくなりました」
「そ、そうか……」
部活という閉じられた世界、女子の部活という陰湿サークルの合わせ技――それがどのような世界なのか、俺には想像すら出来ない。
しかし、男子に囲まれてもあぁも強気に出れたかりんがそう言うのだから、よほど居心地が悪かったのだろう。
「だから私はフリーですよ?」
教室がざわつく。いや今のフリーは意味が違うだろ落ち着け男子。
「あー、何考えたんですかー、先輩」
嫌味っぽく口角を上げたかりんが、挑発するような目を向けてきて――
いたたまれなくて、立ち上がった。
「……行くぞ」
「はーい」
俺の後ろをぴったり着いてくるかりんは、廊下を歩くだけで周囲の視線を奪っていく。
「なんで」とか「嘘だろ」とか聞こえてきて、どんどんと早歩きになってしまう。
そう、釣り合っているはずがない。
誰がどう見てもカースト底辺のオタクと、最上位に位置するようなかりんが、一緒に歩いているだけで意味が分からないのだ。俺だってそう思う。
でも、それでも。
――かりんを悪く言われるのは、嫌だった。
でもそれは、俺が一緒に居るからで。
釣り合わないとか、そんな当たり前のことを、言わないで欲しい。
俺だって、かりんが飽きたらすぐに離れるから。こんなの、かりんの気の迷いだ。
だからお願いだから、今は彼女を憐れまないでくれ。
あんな男と一緒に居るなんてと、かりんを見ないでやってくれ。
――頼むから。
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