第2話 水上です


「うおおおん……何故……何故なの……! いや、他のメンバーも可愛いけども! でも、メンバー五人で三枚購入したんだから確率的にみうが出てもいいじゃないの」


 直筆サイン入りはかなり運が良くなければ当たらないが、通常トレカであれば五分の一で出てくる。それなので、三枚買えば一枚は出ると思っていた。


「しかも、推しメン出なくてはずれって思う自分にも嫌悪感……この人たちだって誰かの推しなのに申し訳なさすぎる」


 真湖はSNSを開き、トレカの交換つぶやきをチェックし始めた。推しが出なかったとしても、こうして交換がネット上で頻繁に行われているのが救いだ。無事、みうトレカを交換に出しているつぶやきを発見し、メッセージを送りその場で交換が成立した。あとは郵送し合えば完了だ。


「でも、握手会行きたかったよぉ!」


 とりあえず一週間以内にみうトレカをゲットできることになったが、それでも握手会を諦めきれなかった。財布の中を確認してみる。


「五千円はある。けど、これは次のバイト代が入るまでのつなぎだから無理……」


 しかも、あと一枚買ったところで当たる可能性は限りなく低い。これも試練か。


「うう、次回がいつあるかも分からないのに辛すぎる。新しいリリイベのお知らせとか出ないかな」


 スマートフォンでみうが所属するFIVVEN《フィヴェン》の公式アカウントを事細かくチェックする。公式サイトに載っておらずとも、SNSではいち早く知らせている場合もあるのだ。


「各店舗の宣伝のみかぁ。いや、夜にアップされるかも。希望は捨てちゃダメ」


 CDを再生させ、美原パートをメモし、昼までリピートで練習を続けた。公式が配信しているサビ部分の振り付けも復習する。これでいつか来るイベントでも完璧だ。


「さすがFIVVEN、前回の神曲を超える程の神曲。神オブ神、これを生で聴けるまで私生きる」


 スピーカーの前で五体投地する。彼らは真湖の生きる糧だ。何もなく過ごしていた以前の記憶はすでに薄れている。それまで何を楽しんで生きてきたのか自分でもよく分からない。


「はあ、もう十一時過ぎてる。お昼どうしようかな」


 立ち上がったところで、遠くでゴトンと鈍い音がした。思わずそちらを振り向く。


 ここはオートロックで、わりと壁も厚いと思っている。築年数が経っているのと駅から徒歩八分かかるので格安ではあるが。それなのに音が聞こえたということは、大きな音だったということだ。


「お隣さん大丈夫かな。倒れたとか……?」


 音の鈍さ的に数キロの軽いものではない。心配になって玄関に向かうと、インターフォンが鳴った。彼が立っていた。


「はい」


 彼が危険ではないことは今朝の出来事で分かっていたので、インターフォン越しではなく直接ドアを開ける。やはり、帽子にサングラスにマスクで顔は窺えない。


──この背格好、やっぱりみうに似てる。さっきはあまり見なかったから気付かなかったけど。


 あり得ないところから美原風供給を感じて思わずじっと見つめてしまう。お隣さんがおどおどしながら口を開いた。


「先ほどは有難う御座いました。改めまして、隣に越してきた水上です。よろしくお願いします」


「どうも、こちらこそよろしくお願いします。海道です」

「あの、これつまらないものですが」

「あ、すみません」


 ぺこぺこして引っ越しの挨拶の菓子折りを受け取る。お隣への挨拶にしてはずっしり重い箱だ。五千円以上する気がする。その時、水上のサングラスが地面に落ちた。


「あ、あ」


 慌てて拾おうとする水上が頭を下げたところで帽子も落ちた。真湖は眼を見開いて固まった。


「み、み、みうぽ、ぽぽ」

「すみませんすみません!」


 何故か謝り倒す水上に日本語が不自由になってしまった真湖。一ミリだけ残っていた理性で、水上を玄関内に引っ張り、開いていたドアを閉めた。


 お互い俯き、もじもじと相手の出方を待つ。先に動いたのは真湖だった。


「あああああの、もしも違っていたら申し訳ないのですが、美原叶さん、でいらっしゃいますか……?」


 疑問文であったが、真湖には確信があった。何故ならブルーグレーの髪の毛も濃い睫毛の瞳も美原叶と完全一致だったからだ。水上の顔がさあっと色を無くす。


「これは二人だけの秘密にしてください!」


 水上が玄関先で綺麗な土下座をキめた。

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