姫子ときょん 【完】
屋上への階段を上って、扉を開けると、もうミチさんはいなかった。ただ、きょんが屋上のど真ん中で寝転がっていた。
ああ、気まずい。
「…………きょん」
きょんを呼ぶと、驚いたように体をビクつかせてから、目をすっと開けて私を視界に入れた。
「何しに来たの? さっきの見たんでしょ? 扉が音立ててたから知ってる」
さっきのはわざと私に見せたんだね。どうして?
私からもう離れたかった? 前からうっとうしかった? きょんの冷たい視線が痛い。
「あのさ、きょんに伝えたいことがある」
「伝えたいこと? 北井とのノロケならいらないけど?」
「そうじゃないよ」
「……じゃあ、なに!」
いきなり怒鳴りつけてきたきょんに体がビクッと跳ね上がる。
きょんが怒ってる。こんなきょん、初めて見た。きょんのそばにしゃがみ込んで話をしているのに、寝転んでいるきょんの視線は私にはむけられない。ただ宙をずっと見続けている。
「そんな怒らないで……」
「なに姫ちゃん。北井と付き合ってんならあいつの傍にいなさいよ。屋上にももう来ちゃダメ! ふらふらすんな!」
そんな寂しい事言わないでよ。きょんはもう私の事どうでもいい?
むしろうっとうしい?
もうここは、きょんとミチさんの場所になっちゃった?
でも、私は……。
「コウとは別れた」
「…………はぁ?」
きょんはいきなりバッと起き上がって私の顔をまじまじ見ると、大きな目をさらに大きくしながら様子をうかがってるようだった。びっくりした?
ごめんね、今までたくさん協力してくれたのに、一日で別れちゃった。
「コウとは別れたの」
「…………どうして」
きょんの手が頭に乗る。そして、そよそよと撫でられる。
もう私はそれを振り払わない。きょんがそれを驚いた目で見つめてきた。
「どうした? 北井に振られた? 遊ばれた? 嫌なことでもされた?」
質問攻めしてくるきょんに、ぶんぶんと首を振る。
「じゃあ、どうしてっ……」
切なく吐息を吐くように言いながら、頭を撫でていた手をするすると滑らせてくる。
「……どうしてか分かんない?」
私がほのかに微笑んでそう言うと、きょんは髪の毛を滑らせていた手を私の頬へするすると移動させた。頬に手を添えられて、確かめるように撫でられる。その言葉にきょんはカッと眉を歪ませた。
「なに、姫ちゃん。俺をおちょくってんの」
心底冷たい声でそうやって言う。そのくせに頬を撫でる手は止まる気配すらない。どういうつもり?
でも、まだ信じてもらえない。
「きょんが好きだよ。だから会いに来た」
率直な言葉を言うと、頬を撫でていた手を後頭部にすっと移動されて、ぐっと引き寄せられた。
え?
きょんの大きな目がすごい速さで近付いてくるのを確認すると、そっと目を閉じた。すぐに重なった唇は熱くて、切なくて、泣きそうだ。
きょんが好き。
こんなにも自覚する。嬉しくてしかたない。頭が真っ白で、体中が熱くて、涙がこぼれそう。繰り返されるキスに、息が上がる。同じようにきょんの荒くなっている息に、どうしようもなくドキドキする。きょんの息全てを取り込みたい。
きょん。好き。大好き。
「んっ……きょん…………好き」
「姫ちゃんっ…………」
そう囁くのを耳にすると、さっきミチさんとしていたキスが思い出されて思わずきょんの胸を突き返した。
「痛っ…………なに?」
なにって……。なにって、ひどい。さっきのキスを見たの分かってるくせに。涙がぽろぽろと零れる。
それをきょんが見つけて、ぎょっとすると、私の涙を柔らかく親指で拭ってくれた。
「ごめんね。姫ちゃん、意地悪して。許してよ」
ばか。きょんのばか。きょんのくせにむかつく。
「……許さない」
「ごめん。姫ちゃん。泣かないで……」
「姫ちゃん。ミッション1は?」
「え?」
涙でにじむ視界をぐいっと拭いながら、きょんの顔を見つめる
きょんは泣きそうな顔で私を見ていて、そのままにこっと笑った。
「ほら、ミッション1。言ってみて」
「え、あ。好きな人はいるんですか?」
「……いるよ。好きな人、……いるよ」
そう言って、また私の頬を包むように片手が頬に触れる。その仕草に心臓が痛いくらいに収縮する。ドキドキうるさい。
きょん、何がしたいの?
「ミッション2は?」
「えっと、好きなタイプ、は?」
「可愛いくせに、無愛想で、Sっ気があって、……むかつく子」
「え、……えと、あの……」
もうどうしていいのか分かんない。
手だけはするすると頬を撫でられていて、小指が私の唇を押し割って口の中に入ってくる。
「最後。ミッション3は?」
「え、…………言えない」
「それは言ってよ。俺に言ってよ、姫ちゃん」
「でも…………」
「俺、姫ちゃんの口から聞きたい。聞くまで離さない」
「あ、あの……ーーーーっ……私じゃ、だめ?」
その言葉を恥ずかしがりながら呟くと、目の前できょんの綺麗な瞳から大きな涙がぼろりと零れおちた。
え? なんで?
瞬きもしていないのに、目から大粒の涙がぼろぼろと零れていて、それだけで理由も分からず胸が締め付けられる。
なんで泣くの?
なにがそんなに悲しいの?
ああ、もう、この人は……。どうしてっ。
すごく抱きしめたい。ふわっときょんの背中に腕を回すと、きょんはそのままじっとされるがままにしていた。
泣かないで。
「……きょん?」
「全部。俺が全部。最初に聞きたかったっ! そうしたらこんなに苦しくならなかった……」
「きょん……」
「まじで苦しいっ。苦しいよぉ、姫ちゃん。俺死ぬかもしれない。もうやだ……死ぬ……」
そう言いながらも、涙をぽろぽろと零しているきょん。そんなに泣かないでよ……。私まで、なんだかつられて涙が込みあがってくるよ。
「……泣かないで」
「ねぇ分かってる? 俺の方が絶対! 姫ちゃんの事好きだよ。北井なんかに負けるはずないんだよっ」
「……きょん。どうして」
「なにがっ」
「どうして、……私の事そんなに好きなの。だって最近まで話したことなかった」
「……そんなの。ずっと見てたんだから。もう一年も前からずっと姫ちゃんをグラウンドから見てたんだから」
一年も前から?
私が合鍵を手に入れたのは、一年と二ヵ月ほど前。そんなに前からきょんは私の事知ってたの。
「初めは、屋上の風にあたってなびく長い髪が綺麗で、それでずっと見てた。そしたらいつもいるから気になって、しまいにはいつの間にか好きになってた。なんであそこにいるんだろって気になって、でも、どうやったら屋上に入れるのか分かんなかった」
「…………うん」
「あの女の子は屋上にしか存在しないのかもしれないとか妖精かもとか、馬鹿な事考えたりして探さなかった。それに会うなら屋上で会いたいってずっと思ってたから」
「そうなんだ……」
「で、たまたま移動教室の鍵を職員室に返しに行った時に、屋上の鍵がかかってるのを見つけて、思わずポケットの中に入れてた。これであの子に会えるって思ったんだ」
ああ、なんて残酷。初めて出会った時を思い出すだけでも、胸が痛む。
私、きょんの前で何言ってた?
…………苦しくなる。
「でも、君の一言目が俺の親友の名前だった。その時はもう、屋上なんて来なきゃよかったって思ったね。あのまま、妖精みたいに一生会えない存在のままにしとけばよかったって」
「……それなのに、協力してくれたの?」
だって、きょんはほんとに一生懸命コウとの橋渡しをしてくれて、コウと昨日話した事も楽しそうに聞いてくれて、次に喋る話題なんかまで教えてくれた。
どうして。
どうして。
どうして私は、あの時きょんの手を拒んだんだろう。初めて会った屋上できょんは私の手を握ってきたのに、私は平気で振り払った。
その後も何度も、何度も。
あの時は、コウしか見えてなかったし当たり前なんだけど、なんかいたたまれない。その時のきょんの感情を想像すると、切なさではちきれそうになった。
「最初は君と北井がうまくいけばいいと思ったんだよ。ほんとに思ったんだよ」
「どうして?」
「さぁ。姫ちゃんの事も北井の事も好きだからかな。くっつけばいいってその時は簡単に思った」
「…………そう」
「でも、いざ姫ちゃんと北井が接近するとイライラして、どうにかなりそうだと思った。今日なんて、心底頭がおかしくなるかと思ったね。だから、あんな事した。ごめんね。君から嫌われて、もう君の中から消えたいと思ったんだ」
あんな事って言うのは、きっとミチさんとのキスの事。やっぱりあれは私に見せるためにしてたんだね。きょんの小指がさっきからずっと口の中を自由に動き回っている。
どういうつもり?
「きょん。指離して」
「だって、姫ちゃん。振り払わないから嬉しくて。なんかもうめちゃくちゃにしたい」
「…………してもいいよ」
「……姫ちゃん。君は、ほんとにもう」
「その代わり他の人にしたら殺すからね」
「ははっ頼もしい。今なんかキュンときた。…………姫ちゃんが好きだ。やっと君が手に入った」
そう言って、きょんは熱いキスを繰り返した。そのまま、屋上で二人して転げ合いながら、何度も何度もキスを繰り返した。
「きょん大好き」
END?
◇おまけ
「姫ちゃん。昨日北井とどこまでしたの?」
「え? ああー……キス? かな?」
「何それ。聞いてないけど」
「だって今初めて言ったもん」
「むかつく。むかつくむかつくむかつくっ。まじでむかつく。姫ちゃんのばか」
「……? どうしたの? きょん」
「……姫ちゃんって……ほんと」
「なに?」
「…………何でもない。ちゅーして」
「うん。……ちゅう」
「もうっ……可愛いな」
END
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