番外編:七夕の魔法

◇美亜side


小学校一年生の時、七夕の短冊に願い事を書いた。

小学校六年生の時、七夕の短冊に願い事を書いた。

六年間、同じことを書いた。


「千里の一番の幼馴染でいられますように」


幼馴染なんてどうせ私しかいなかったのに。

幼馴染であれば、いつまでだって一緒にいられるなんて、そんな事を小学生の私は思っていた。


千里があの時書いた願い事は知らない。

いつだって見えないところでこっそり書いて、こっそり吊るしていたのだから。

中三まで毎年恒例の学校行事だったそれは、確か七夕が終われば一人ずつ短冊を返却されていた。

それを見つけてしまったのだ。

今日千里の家で。



一人暮らしの千里の家。

合鍵でいつものように入って、クローゼットの中からばんそうこうを取り出そうとしたとき、見慣れない段ボールが目に入った。

そこを開けてみると、それは目がちかちかするほどの幼い思い出たちで、私と千里の青春が詰まっているような宝箱だった。


二人で遊んだ怪獣のおもちゃや、小学校の時に使っていたものさし、色んなものが入っている中で、少ししおれた画用紙の短冊が九枚。

一番下の方にあったそれを引っ張り出す。


一番上は小学一年生のものであるらしかった。


「1-1 しろやませんり」と拙い字で書かれている。


そこには『あきほとずっといっしょにいられますように』とひらがなで書かれてあった。

微笑ましいそれに、千里らしいなと思いながら、一枚下を見る。

それも同じことが書いてあって、小学校の間の六枚とも、同じことだ。


『明穂とずっと一緒に 6-2城山千里』と綺麗な字で書かれたそれは、随分時の経過を感じさせるけど、千里の想いは変わらないらしかった。

私も同じこと六年間書いたんだよなぁ。

でも中学で陸上を始めてからは、陸上の事を短冊に書いたんだ。


千里はどうなんだろう。

中一の短冊。


『明穂が遠くに行きませんように』


その言葉は今までと少し違っていて、何となく切ない気分になる。

千里とクラスが離れて、私はたくさん友達もできて、陸上部での付き合いも盛んになって、千里と少し距離ができた頃だった。


そんな風に思ってたんだなぁ……。

短冊をじっと見つめながらしばらくの間じっとしていた。


中二の短冊を見る。

あまりに衝撃的な事が書かれていて、思わずぽろりと涙がこぼれる。


『天の川が見えますように。見えたら告白する』


中二の頃からそんな風に思ってくれていたのか。

私は鈍くて、何も気づかなくて、千里の想い一つ汲んでやることができなかった。

確か中二のあの日は雨が降っていて、天の川を見る事は叶わなかったんだ。


中三の七夕。

短冊を見る前にどんな日だったかを思い出す。

私が亡くなったのは七月二十一日。


その月の七夕。

千里と過ごした最後の七夕。

そうだった。

あの日は晴れていて、私たちが住んでいた田舎は星がよく見えたから、小高い丘に千里と一緒に見に行ったんだった。


「――明穂。天の川見に行かない?」

「えー、宿題できてないもん」

「後で手伝ってあげるから行こ。一年に一回だし」

「なに、見たいの?」

「見たい。明穂は見たくないの?」

「千里はロマンチストだなー。いいけどぉ」


私は渋々家から千里に連れ出された。

二人で自転車を漕いで、近くの丘に登る。

芝生のそこで、千里と一緒に丘のてっぺんに登るまでは星を見ない事! と約束を交わして、俯きながら自転車で駆けあがった。


自転車をがしゃんと倒して、芝生に寝転ぶ。

二人で一緒に空を見上げると、綺麗な天の川。

どうでもいいと思っていた私も思わず感動して、「うわあ」と声を上げる。


千里は隣で座りこんでじっと目を凝らすように天の川を見ていた。

寝転びながら星空を見る。

中三の夏。


願うことと言えば陸上のことしかなくて、私は単純にもそれだけを頭の中にいっぱいにした。

その時、千里が何を考えていたかも知らずに。


「彦星と織姫は出会えたかな」


千里がロマンチックな事を言う。

それに首を傾げて、「さぁ会えたかもね」と適当な事を言った私に千里はうなずいた。


「でも私は一年に一回会うんだったら多分忘れちゃうなー。ていうか恋愛とかまだ分かんないし」

「そっか。明穂の頭の中は何があるの?」

「んー、陸上百パーセント!」

「百パーセントか。明穂はほんと陸上ばっかりだな」


千里が呆れたように言う。ため息を吐きながら。


「千里は? あー、あれか。読書とか、そういう系?」


何気なく千里に尋ねた。

千里はあぐらをかいて座り込んだまま、少しの間黙る。


「どうかな。でも僕は明穂との時間が好きだよ。ていうか明穂の事ばっかり考えてるよ」

「えー、ほんと? 私も千里の事は考えるよ? ちゃんとクラスで仲良くできてるかなぁとか」

「ありがとう。……僕、明穂が好きだよ」

「えー、なに今更。恥ずかしいわ! ばか!」


ペシンと結構強めの力で千里を叩くと、千里は小さく笑って空を見上げた。

帰ろっかと言ったのは千里だった。


私はそれに頷いて、「宿題手伝ってよね!」と言うと、千里は困ったように笑って「うん」と言った。



――懐かしい日々が走馬灯のように思い出された。


千里のあれはきっと告白だったのだろう。

私がさらっと冗談みたいに流しちゃったから、まさか告白だったなんて思いもしなかったんだ。

好きだと言っても冗談にしかならなかった、あの頃。

私が死ぬ時になってようやく告白ができた千里はどれほど辛かったか、今になって本当の意味で理解する。


ずっとずっと温めてきた思いを、ちゃんと受け止めてやることさえできなかった。

ずずっと鼻をすすって、最後の短冊をめくる。


中三のそれ。

見た瞬間、さっきの比じゃないほどの涙が溢れて、ぼろぼろと容赦なく零れ落ちる。

千里の綺麗な心の中を土足で覗き込んだような、そんな気分になった。


見るんじゃなかった。

これは千里の想いの結晶たち。

キラキラ輝いた千里の綺麗な想いの宝物。


『明穂が陸上大会で優勝しますように 3-2城山千里』


達筆な字で書かれたそれに込められた意味を知る。

自分の事じゃなくて、私のことばかりだった千里。

自分の事は二の次で、私のことばっかり考えて、応援して、好きでいてくれた。

私はこの人に人生でこれだけの想いの分、お返しができるだろうか。


確かに今は大好きだけど、もっともっと好きになって、これくらい相手を思いやれる愛情を注いであげたいと思う。

ちょうどガチャッと玄関で音がして、慌てて段ボールをクローゼットの奥に直す。

玄関に小走りで向かうと、千里が私を見つけてふにゃりと笑う。


「美亜。ただいま」

「おかえり!」


ぎゅっと抱き着くと、びっくりしたように千里は反射的に私を受け止める。


「美亜? どうした?」

「うん。千里さ、私の走ったところ見たことないよね。見てよ、久しぶりに」


そういうと千里から一瞬返事が途切れた。

ゆっくりと「うん」と返ってきて、思わず顔を見上げる。

泣きそうになっている千里が目に入って、目を見開く。


「ど、どしたの」

「いや多分走っているとこ見たら泣いちゃうだろうなと思って」

「泣いちゃう?」

「うん。なんか色々思い出しそうで」

「……やめとく?」

「いや、ハードル走走ってよ。優勝、僕があげるから」


その言葉にまた千里の愛の深さを知る。


中三の夏。

転んでしまったハードル走。

死のきっかけとなったそれは無念しか残っていないけど、あの時千里がトラックのすぐそばでどんな気持ちで私を見ていたか、それを今日ちゃんと初めて知れたような気がする。

優勝させてあげたかったんだよね、私に。


「千里、好きだよ。一年に一回しか会えなくたって忘れたりなんかしないよ。十八年間離れててもちゃんと覚えていたし、千里の事、今では頭の中でいっぱいだよ」


頭上に顔がある千里がぼろっと大粒の涙を一つ零した。

ふーっと大きく息を吐いて、涙を落ちつけようとしている千里の頬を優しく撫でる。


「どうしたの、急に」

「ううん。言いたくなっただけ」

「そう」


千里が嬉しそうに笑う。

その顔が見れて嬉しく思う。

千里が私の頬を撫でて、感触を確かめるようにちゅっとキスを落とした。

私はそれに身を任せるようにして千里の胸板にくっつく。


「ベッド行く?」


私が言うと、千里が「うん」と子供みたいに頷く。

手を引いて寝室のベッドまで行く。キスを交わして、ベッドに倒れ込む。千里が私の柔らかい体に手を伸ばす。

それを受け止めながら、私は千里の首に腕を回した。


「千里、好きだよ」

「うん、僕も」


千里と抱き合いながら、思う。今なら何を願うだろうかと。

しばらく考えていると、私は行為に集中しきれていなかったようで、千里がじっと私を見下ろしていた。

不思議そうに。


「どうかした?」

「千里、今一つお願いするなら何にする?」


私の言葉に虚を突かれたらしく、しばらく考えていた千里は、考えがまとまったのかいつもみたいに柔らかく笑う。


「そうだな。美亜とずっと一緒にいられますように、かな」

「……私も同じだなぁ」


結局小学生の時の願い事に戻るらしい。

今はもちろん陸上よりも、これから大切な事がもしできたとしても、きっと私は間違えないだろう。


『千里が幸せになりますように』だとなんか嘘っぽいから、『千里と一緒に幸せになれますように』ってわがままな事を願い事に決めた。


「なに? 美亜ちゃん、七夕は一ヶ月前に過ぎたよ?」

「ふふ、うん。いいのー!」

「そっか」


千里が私の首筋にキスを落とす。

身体をビクンと跳ねさせた私は、千里に包まれながら、死ぬ前に見た天の川を思い出していた。

あんなに綺麗なものは、一生のうちに一度きりだろう。

そんなものをこれからも千里と見ていきたい。



おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る