番外編:吉村の遠い日

◇吉村side


久しぶりに部屋の整理をすると、小学校の時使っていた消しゴムが転がり出てきた。

故意にほじられた跡のあるその消しゴムを手に取る。

ぼんやりと昔を思い出した。


小学校の頃、明穂は俺の前の席の時があった。

今から思えば、俺は好きな子には意地悪したくなるという典型のような奴だった。

当時も前の席の明穂に向かって、買ってもらってすぐの消しゴムの角をちぎって明穂に投げつけていた。


無造作に切り揃えられた黒髪の隙間に消しゴムが挟まって、うししと笑っていると、明穂が振り返って怒ってきた。


「吉村! やめてよ!」

「はぁ? なんのこと? 俺じゃねぇし」

「そんな事するの吉村しかいないんだよ!」

「俺じゃないからー。城山だろ」


俺の隣の席の城山千里を指差す。

城山は俺の方をチラリと見て、それから興味なさげに明穂へと視線を移した。


そんな反応もイラッとする。

幼馴染だからって自分が一番親しいとでも勘違いしている。


「千里がそんな事するわけないでしょ! バカ吉村」


明穂が千里の顔も見ずにそんな事を言う。よっぽど信頼関係があるらしい。隣の千里をチラリと見ると、誇らしそうな顔をして明穂を見ていた。

なんとなくイライラ来て、大きめにちぎった消しゴムを全力で投げつけてやる。

見事こっちを振り向いていた明穂のでこに命中した。


「いったーーーい!」


明穂は叫んで、俺は爆笑する。

怒った明穂が俺に向かって鉛筆を投げつけてきて思わず避ける。

そんな事ばかりを繰り返して、俺たちは最後には笑いあうのだった。

そして、少し俺はうぬぼれていたんだ。

じっと黙ってばっかりの千里より、俺の方がきっと明穂と仲がいいだろうと。

勝手に根拠のない自信を持っていたんだ。



その日の夕方、俺は家に帰ってから駄菓子屋に行こうと、自転車を走らせていると、前方に明穂と千里が見えた。

二人はゆっくり学校から下校しているようで、明穂が前を歩いている。

千里は後ろからランドセルを背負いながらとぼとぼと歩いていた。


まだ明穂の方が少し背が高い。

千里は軟弱だし、友達も少ないし、体育だって得意じゃない。

俺の方がイケてる。

自転車のスピードを少し遅らせて二人の様子を後ろから見た。

 

「千里。影踏みしようよ!」

「いいよ」


千里はこくんと頷く。

明穂は楽しそうな顔をしながら、「じゃあ千里が鬼ね!」と勝手に告げる。千里はまた頷くと、全速力で駆けていく明穂を必死で追いかけている。


……ああ。

走りが遅いくせに、クラスでも走りの一番早い明穂に勝てるはずがないのに。

それでも必死に明穂を追いかける千里は、諦めずに明穂に向かっている。明穂はきゃーきゃー言いながら走っていたけど、そのうち追いつかれないから飽きはじめて千里の元に戻って行った。


「やっぱり千里弱いねっ」


屈託のない笑顔で笑う。悪気はないんだろうけど、俺なら殴ってる。


「ごめんね、もっと速かったら明穂も楽しめたのに」

「んーん。いいよ! 明穂ね、千里といるのが一番楽しいから!」


その言葉に、ぽかんとなる。

千里は嬉しそうに、しししと笑い、明穂も満足そうに笑っている。


なんで、なんでなんでなんで。


「千里といると心がぽかぽかするの。なんでかなー」

「なんでかな。へへ」


千里は照れくさそうにそっぽをむいた。

その瞬間、後ろで自転車を停めていた俺と目が合った。

千里はその瞬間、俺を一瞬だけ見て、すぐにふいっと視線を逸らした。

まるで俺なんて最初からいなかったように。

 

「明穂は今日の夜何食べたい?」

「ハンバーグ! 千里は?」

「僕もハンバーグかな」

「えー、一緒? 一緒なのぉ?」


明穂がけらけらと笑う。

千里も一緒になって小さく笑って、明穂の手を引いて歩いた。

明穂はずるずると千里に引っ張られている。


ああ、そうか。

千里にとって明穂が世界のすべてなんだろう。


他は俺であろうが、誰であろうが、例えそれが走りの速さであろうが、関係ないんだ。

明穂と一緒にいられればそれで、千里は満足なんだろう。


……勝てるはずがない。

駄菓子屋に行くには、のろのろと歩くあいつらを越えないと行けなかった。俺は自転車を黙って引き返してまっすぐ家に帰った。



――――そんな、夏の日の想い出。


懐かしいそれは妙に哀愁たっぷりで、俺は何度小さな頃、そんな思いを味わったんだろうと思う。

俺も家が隣ならあいつのポジションになれたのにと思っていた。

今魔法が使えるなら、千里の家と俺の家の場所を交換するのに、なんてくだらない事を考えていた。


幼かったあの頃。

懐かしい消しゴムを転がしながら、不自然に角のとれたそれを指で蹴飛ばした。


時計を見ると、夜の六時。

慌てて支度をして家を飛び出た。

駅前の居酒屋に入って、見慣れた顔がいるテーブルに着いた。


「吉村くん、遅刻だよ」

「うっせぇな。ちょっとだけだろ」

「もうー」


目の前で当たり前のように千里が笑う。

俺を見て。


「明穂は?」

「んー、まだ。美亜も遅れてる」

「あいつもかよ」


千里がまた笑う。優しげに。

あ、今度は明穂の事を考えてだろう。

俺はなんだか照れくさくなって、乱暴にメニューを広げた。


「そういえば小学校の時、お酒を飲む人は悪人だって思ってたなぁ」

「いきなりなんだよ」


千里の突然の言葉に思わず突っ込む。

「なんとなく思い出しただけ」とまた意味の分からん事を言い出した千里に首を傾げる。


「俺は小学校の時、お前が嫌いだった」


にやりと笑って言うと、千里が一瞬目を見開いて、そして珍しく噴き出すように笑った。


「僕も嫌いだった。吉村くんの足の速さが憎たらしかったし、社交性も、男らしさも、全部欲しかった」


初めて聞くその言葉に目を見開く。

「知らなかった?」と勝ち誇ったような顔を見せる千里を思わずメニューで叩く。


「お前はでも、明穂に好かれてただろ」

「どうかな。運命ってちょっとした差で変わっていたような気がするんだよね」


そういって千里が考え込む。

それは、俺にもチャンスがあったということか。喉元までその言葉が出かかったけど、それはやめにしておいた。


「あ、美亜」


千里がふんわりと優しげに笑う。

大事なものを愛でるように。

心の底から慈しんでいるような顔に、思わず見とれる。


……いいや。違う。

千里。

俺は思うぞ。

どんな差があったって、明穂はお前にいずれ惚れてたよ。

だってお前の愛は普通じゃなかった。並大抵のものじゃなかった。目に見えないから俺の量と比べられるものではないけど、それでもそこに明確な差はあった。


あの頃も今も、千里の世界のすべては明穂一色だ。

惚れない方がおかしいんだよ。

俺はそう思うよ。



おわり

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