彼らの幸せは…2【完】

あ、と声を上げてしまいそうになって、思わず私も口を手で塞ぐ。

嗚咽が喉元まで込み上げて、必死に噛み殺した。

和志が空を見上げて、両手を口元に当てた。


ん……?

すぅっと息を吸い込むのを感じて、それをじっと見つめる。


「姉ちゃん!! 最高の誕生日プレゼントありがとう! 寿司も必ず食いに行こう!」


和志が空に向かって大声を張り上げた。

涙を豪快に流しながら、和志は天にまで届くような声で叫ぶ。

鼓膜を刺激する大声は、心臓に柔らかく突き刺さる。


ぼろぼろと涙が流れる。

そうだ。今日は和志の誕生日なんだ。

和志は、おめでとうと家族に言ってもらっただろうか。

私が亡くなった日になってから、家族はおめでとうと言ってくれなくなったんじゃないか。

大好きだったお寿司も嫌いになってはないだろうか。

一年で一番めでたい日を悲しい日にしてしまってごめんね。


自分の誕生日が姉の命日になって、とても皮肉な日になっただろう。私が亡くなった日に、十一歳になった和志。

小さな体で背負うのはとてもしんどいものがあっただろう。


ごめんね、ごめんね。

ごめんね。

そして、出会ってくれて、心からありがとう。

 

「和志この野郎! うるせぇ!」


家の中からお父さんの怒鳴り声が聞こえて、それに「ははっ」と千里が笑う。


「千里兄と美亜ちゃん。また来てよ。今度は俺がおしゃれに散髪するからさ」


ありがとうと言って背を向けた。

きっと和志に髪を切ってもらったら、私泣いちゃうんだろうな。

和志が明穂だと分かったのか、分からなかったのかは、はっきりとは分からない。


和志は空に向かって「姉ちゃん」と叫んだ可能性もわずかにあるし。でも多分気付いてくれたんだと思いたい。


だけど思い出した事がある。

当時、家族みんなでスイカを食べた時も、「お父さんスイカ畑できちゃうよ」と言ったのは私だった。

和志、覚えてたんだろうなぁ。

そんな小さな事、覚えてたんだなぁ。 


千里が黙って私の手を引いて歩く。

家から近くのお墓と言えば、一つしかない。私も場所は分かるけど、千里に手を引かれるままに歩いた。


「千里、ありがとう」

「会ってよかった?」

「うん。でも、行く前と考えが変わっちゃった」


千里がこっちを見て首を傾げる。

ゆったりと歩きながら、私はゆっくりと噛み砕くようにしてさっきのお父さんや和志の言葉を思い出していた。


「多分ね、あの家族は、私が今違う家族の元にいたって、姿かたちが違ったって、いいんだと思うんだよね。私が生まれ変わってたら喜んでくれるんだと思う」

「うん」

「千里と吉村がそうだったみたいに」

 「うん。明穂の魂がこの世に存在するなら、地球の裏側にいたって、明穂がたとえ男の子になっていたって、嬉しいよ。愛するってそういう事だよ」

「だからね、いつかあの家族には言いたいなと思う。夢じゃなくたって、会えるよって。へへ、お父さん泣いちゃうかな」

「ふふ、おじさん、明穂の事大好きだからなぁ」

「……うん」

「美亜なら、そう言うと思ったよ。そう思ってるんだろうなって思ってた」


千里が微笑む。

だから、さっき和志にああいう風に意味深な事を言ったんだね。

私がいつか言うときに、言いやすくなるように手助けをしてくれたんだろう。


「でも、あの家族なら言わなくたって気付きそうだな」

「そうかな? 和志はなんとなく気付いてたっぽいけど」

「魂って目にはみえないけど、ちゃんと形があるんだよ。だからあの家族はきっと明穂の魂に触れると気付くよ」

「……うん。そうなら、いいな」

 

なんとなく、空を見上げると、綺麗な水色で、雲一つなくて。

未来が無限に広がっているような、そんな気がした。

砂利だらけのあぜ道だったのに、すっかりコンクリートに変わっている道を歩く。やっぱりどことなく変わっていて、だけど全体的には変わらない。

大好きだった町。

この町しか知らなかったけれど、十分幸せだったな、あの頃。



墓地に近付いてきて、緊張してきた私は千里の手をきつく握る。

さっきの水野家を訪問するほどの緊張は全然ないけど、やっぱりなんだか変な感じがする。自分のお墓に行く気分を味わっているのって、きっと世界で私だけだろう。


勇気を出して、自分のお墓に近づいていく。千里が隣で励ますように手を握ってくれている。

たくさんのお墓が見えてきて、心臓が跳ね上がる。変な気分だ。

自分のお墓を見るだけなのに、なんでこんなにもドキドキするんだろう。


「美亜。明穂はね、本当に人気者だよ」

「え? いきなり何?」

「見ればわかるよ」


墓地に足を踏み入れる。

千里がスムーズに歩いていくから、それに従ってお墓の間を通り抜けた。

静かな墓地で、一角だけ。

ものすごくにぎやかな場所があった。

そこが私のお墓だと気付いたのは、見慣れた長身が見えた時だった。


 「吉村ぁ! この前、私が紹介してやった子振ったでしょ」

「あぁ? それはな、みっちゃんの人選が悪い! 俺は巨乳がいいって何度言ったと思ってんだ」

「三十路男が偉そうなんだよ! ねー! 明穂もそう思うよね? ……ほら、偉そうだって怒ってるよ、明穂が」

「何勝手に交信してんだよ!」


みっちゃんと吉村の会話に、周りにいた何人かが一斉に笑う。

懐かしすぎる光景。

みっちゃんは、小学校からの同級生で、……というか、あそこにいる誰もが私の知っている顔だった。

みんな小学校や幼稚園から一緒のメンバーだ。

いつも一緒に死ぬほど馬鹿やって、一緒に怒られて、笑って、泣いた、かつての友達。


「桃香、お前仏花買ってきた?」

「はーい、フラワーショップ茅野はそんな事忘れたりしませーん」

「お、偉いぞ、桃香。俺が褒めてやる」

「えぇー、吉村に褒められるくらいなら千里くんに褒められたいし」 


花屋の桃ちゃん。

見たこともないくらい豪華な仏花。黄色を基盤に作られた花束に近いそれを、ぎゅうぎゅうに墓の花立てに供えていく。


その時、初めてお墓を見た。

水野家之墓と書かれた言葉に、じわりと涙がにじむ。

みんなから離れた場所で私は千里に手を握られたまま、じっと立ち尽くしていた。


「美亜、あそこに交じる?」

「ううん。ここでいい」


笑って言う。

千里はそれ以上何も言わなかった。

そこにいる十人に近い人たちが、一斉にしんと静まり返って私のお墓に向かって手を合わせた。

お線香の煙がふわふわと空に立ち上ってゆく。


胸が震えた。

ぶるぶると体が震えて、みんなに感謝した。

こうして私が亡くなって十八年が経った今も、命日になれば手を合わせに来てくれる。

みんな、結婚していたり、仕事をしていたり、この田舎からは離れていたり、色々と事情はあるのに、日曜日でもないこんな日に集まってくれているんだ。


「吉村。お前はいつもいつも手を合わせる時間が短いのよ」

「はぁ? だってなんかなぁ」

「あぁー、明穂がここにいないような気がするんでしょ。私もそんな気する」

「そこにぃ、私はーいません。眠ってなんかいませんーー、って感じ?」


合唱部だった女の子、さっちゃんがいい声で歌って見せる。

それに緊張していた頬がゆるゆると緩むのを感じて、千里の手を握りなおした。


「みんなさ、お墓の前で一時間くらいいつも喋っていくんだ」

「一時間も? なんで?」

「なんか明穂は騒がしいのが好きだったからって。泣くくらいなら俺たちがいつもこんな風に騒いでんだって見せてやろうって。吉村くんが提案したんだ」

「……そっか。嬉しいね」


みんなは七月後半の真夏日の中、たっぷり一時間ほど話に花を咲かしてくれた。

その後、どこかにご飯に行く?と話し合うみんながこっちに向かって歩いてくる。

千里のファンだったみっちゃんがいち早く気付いて、千里に手を振る。


「おーい、千里くん。来てたんだ」

「みんなも来てくれてありがとう」


みんなが千里の隣にいる私を見て不思議そうにする。

千里の奥さんでもないし、やたら若いし誰だこいつって感じだろうな。


「あ、紹介するね。僕の恋人の佐々木美亜さん。前の奥さんとはダメになったんだ、言ってなかったけど」


千里がそういうと、辺りがざわつく。

そりゃ奥さんと離婚してすぐに若い子と付き合ってたらびっくりするよね。気まずい気持ちになって苦笑する。

ぺこっと頭を下げると、みんながよろしくねと笑顔で言ってくれた。


「こんな田舎まで来てくれてありがとう。色真っ白なのにシミになっちゃうよ?」

「ほんとだよー。帽子かぶってこなきゃ。基本だよー?」


みんなに口々に声をかけられて、温かい気分になる。

そのうちみんなは千里と私に別れを告げて、わいわいと歩いて行った。


最後に吉村だけが残る。

吉村は妙に大人びた表情で私たちを見ると、眉をほんの少し上げてみせた。

 

「お前がここに来るって変な感じだな」

「あはは、自分でもそう思ってたけど、そうでもなかった。来てよかったよ」

「そうか」


優しげに笑う。

吉村はもう一度、私たちと一緒にお墓の前まで来てくれた。

三人並んで一緒に手を合わせる。


手を合わせる意味がないとは思わない。

明穂はここでも眠っているんだ。

しんとした墓地で、一匹だけ蝉の鳴き声だけがする。早くに生まれた子だろう。

その蝉は、東京のそれとは少し違う鳴き声で、懐かしさに目を細めた。

三人で墓地から出て、懐かしい通学路を歩きながらきょろきょろとよそ見をする。


蝉の抜け殻が道路の端っこに落ちている。

相変わらず輝く田んぼが辺り一面に広がっている。

千里と雨宿りをした大きな木。

吉村と鬼ごっこをした公園。

町の景色は少しずつ変わりながら、だけどまだまだ思い出はたくさん残っていた。


みんな一言も喋らない。

なにか思いながら歩いているんだろう。


「ねぇ、千里」

「ん?」

「今幸せ?」

「……うん。すごく幸せだよ」


千里が少し前を歩く私を見下ろして、相変わらず綺麗な顔で笑う。

私も一緒になって笑った。

吉村を見る。

三十三にもなったくせに、半パンにTシャツ姿の彼は、私を見て笑う。


「吉村は幸せ?」

「おう。お前らが笑ってるからな」


嬉しくなって俯いた。

照りつける太陽が痛くて、走り出したくてたまらなくなった。

 

「じゃあ、あの曲がり角までよーいどん!」


いきなり声を出した私に、吉村と千里が意外そうでもなく、またかと言う顔をする。私はいち早く走り出して、吉村が後ろから走ってきて、私を追い抜いて行く。

相変わらず綺麗な走りに安心しながら、私も必死で追いかける。


「ちょっと手加減しなさいよー! って、千里走って」

「むり」


後ろの方で走る気も見せない千里が、暑さがうっとうしそうに眉をひそめる。相変わらずな千里に笑みが零れる。


「ほらっ」


私は仕方なく方向転換して千里の元へ戻ってから、彼の手を掴んで走り出した。


「ちょ、美亜。早い早い、手加減してって」

「明穂ぉぉぉぉ! おっせぇぞー」

「あはは、吉村もうちょっとゆっくりー!」

「こんな暑い日に全力で走る気持ちが全く理解できない」

「千里ぃぃぃ! ぶつぶつ言ってねぇで走れー」

「って、えぇ! 吉村もう曲がり角越えてるんだけど」

「ははっ、相変わらずだなぁ、吉村くんって」

「明穂ぉぉぉ、千里ぃぃぃ~! 早く来い! って、いってぇ」

「あははっ、こけてるんだけどぉ」

「ぶふっ、吉村くん。前見て走らないからだよ」

「ふはははは、いってぇー。コンクリート恐ろしいー」


大好きな人がすぐそばで笑っていること。

それが彼らの、幸せ。



【完】





‐‐‐‐‐-----―――

毎朝私はこう言って目を覚ます。

まだ生きているぞ。

奇跡だ。

そして頑張るのだ。


ジャック・イヴ・クストー

‐‐‐‐‐-----―――

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