◇幸せに縛られる

‐‐‐‐‐-----―――

幸福というものは、

一人では決して味わえないものです。


アルブーゾー

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そういえば、いつか、君に“幸せ”はなにかと聞いたことがあった。

君がこの世界からいなくなって、もう三年が経つ。


僕は道しるべをなくし、太陽をなくし、幸せを無くした。

道を照らすものは何一つとしてなく、道も崩れ、唯一の光は僕の前を飛び立っていった。


幸せになってと残した君が、時にとても憎らしく思う。

どういう風に幸せになればいいかを、そんな大切な事を君は言い忘れて行ったのだから。


そして僕は毎日、昔の夢を見る。

遠い日々。

当たり前のように隣に君がいて、僕は君から視線を逸らして笑っている。

わざわざ君を視界におさめていなくたって、君はそばにいたから。


今になって思う。

とても惜しい事をしたと。




――明穂は僕の前を楽しげに歩く。

明穂は『幸せなら手をたたこう』という小学校で習った歌を歌いながら、手を軽快に叩いている。

僕はそれを後ろから見ながら、道のそばにいたカエルの跳ぶ様子にも気を取られていた。


「ほーらぁ。千里も手叩いてってば」

「幸せじゃないし」


僕は拗ねていた。

その時僕は、弟の万里がお父さんについてアメリカに旅行に行ってしまい、一人置いて行かれた気持ちで拗ねていた。


僕も行きたかったのに、向こうの家にベッドが一台しかないからという理由でおいてけぼりにされたんだ。

多分お母さん大好きなお父さんのことだ。

どうせお母さんを一人で置いて行くのが嫌で、息子一人を残しているに決まってる。

 

明穂はそんな僕の感情なんてお見通しの様子で、にんまりと笑う。

俯きながら分かりやすく石を蹴る僕の手が明穂に握られた。


「うそー。千里は幸せだよ!」

「なんで?」

「だって私がいるもん! 私は幸せだもん」


意味不明だ。

だけど、明穂は自信満々な様子でにこにこしている。


「…………うん。うん、そうだね」


だけど僕は、明穂の綺麗に揃えられた前髪が揺れるさまを見ながら頷いていた。


「明穂の幸せはどんなの?」

「うーん。お父さんとお母さんみたいに仲良しで結婚してー、家に帰ったらご飯の匂いで、いいにおーい! みたいな」

「結婚かー」

「千里は? 千里の幸せは?」


にかっと歯を出して笑う君の笑顔を見ながら、ランドセルの手綱をきゅっと両手で握りしめた。

夕日が君の髪を照らして、天使の輪っかをいくつも作った。

生え変わりで前歯が抜けているらしく、歯抜けのまま明穂は笑う。


心臓がドクドクとうるさい。

明穂が好きだ。結婚するなら明穂とがいい。明穂が結婚するなら僕とがいい。幸せになるなら君と一緒がいい。


夕日は涙を誘う。

田舎の小学校からの帰り道は、徒歩で三十分もかかる。

見慣れ過ぎたあぜ道を君と毎日歩く。

明穂は毎日飽きずに僕の影を踏みながら、音痴のくせに歌を歌う。


一緒に手を叩いて帰ったあの日の感情は、まぎれもなく“幸せ”だった。 

それなのに、君は早々と僕の前から飛び去り、千里の幸せは? と聞いた明穂の笑顔を、僕はもう思い出せなくなってしまった。

声を忘れて、笑顔を忘れて、思い出を忘れていく。


きっととてもかわいかった。

とてもかわいかったんだ。

僕は君の笑顔を見て、涙が出そうなほど好きだって思ったのに。


僕にはもう道しるべがない。

太陽がない。

君がいない。

だけど、君の言霊(ことだま)が、ひとりぼっちの僕に語りかける。


幸せな人生を、と、うるさいくらいにこだまする。

分かっている。

君の言いたい事なんて分かっているんだ。


試しに手を叩いてみた。

パンパン。

軽い音は、僕の目から涙を零しただけだった。


君のいない世界で幸せが存在するとすれば。


それは。

……君が思い描いた幸せを叶える事だ。

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