第9話 恋人達の服毒心中

 



「なに、それ……。じゃあ、いつも戸惑ってるのに何も言わずににこにこしてたのは……」


「……引き受けるのはいいけど、用事は間に合うかな? とか、次の当番は誰に回せばいいんだっけ? とか、聞かなきゃいけないこと引っ括めて、どこから聞けばいいか悩んでたんだ」


「そんなん、わかりにくいってばぁ……」


「ごめん」


「いや、責めたい訳じゃなくて……。じゃあ、納涼祭の話の時は何を考えてたの?」


「あれは、やれる人が引き受けないと間に合わないから仕方ないし、僕は構わなかったんだけど……。流石に助っ人って僕一人じゃないよね? 他にも残ってく人はいるよね? もし他に誰も手伝ってくれる人がいなくて間に合わなかったら、僕が責任とることになるのかな? とか、そういうのを聞いておきたかったんだ」


 言葉を取り繕うことをやめて、思ったままに口に出す僕に、明穂がへなへなと地面に項垂れた。


「うっそ……。透真が嫌がってたわけじゃないのに代弁してるつもりで怒ってたとか、あたし、本当にずっと一人でから回ってただけじゃん……。やば、恥ずかしすぎる……」


 顔を手で覆う明穂を見つめると、耳まで真っ赤に染まっていった。


「そんなことないよ。不満が一つもなかったって言ったら嘘になるから……君が怒ってくれて、嬉しかった」


 僕の為に動いてくれたことを後悔して欲しくなくて、安心させたくて微笑んでみせると、明穂は潤んだ瞳で顔を赤らめた。


「……ばかみたい。透真も、あたしも……」


「そうかもしれないね。もっと早く、こうして伝わるまで話してみればよかった」


「戻りたくない……。せっかくの納涼祭なのに、あたし、皆の雰囲気悪くしちゃった……」


「大丈夫。明穂のあんな姿って見たことなかったから、きっと皆も心配してるよ。教室に戻ろう?」


「でも……」


「大丈夫、僕から皆に伝えるから。ね? 僕ももう、これからはちゃんと話そうって決めたから」


「……ん。わかった」


 渋る明穂を説得して教室に戻ると、クラスメイトの視線が僕たち二人に注がれた。気まずそうに謝る面々に、僕が慌てて弁解をすると、合わせたように明穂が誤解していたと皆に向かって頭を下げた。

 最初は腫れ物を扱うように遠巻きに様子を伺っていたクラスメイト達も、いつになく饒舌な僕を見てより良くしようと前向きな意見を出してくれるようになった。


「それじゃあ、美術部員の人の負担を減らせられるところは僕たちで補うってことで、納涼祭に間に合わせよう!」


 柄にもなく先導する言葉を述べるのが、少しだけ気恥ずかしくて心がくすぐったかった。


「よし、俺らも部活終わってから差し入れ買ってくるから宜しくな!」


 やっと、本当の意味で明るい空気を取り戻した教室に、僕はほっと胸をなで下ろした。ムードメーカーのはるではない。他でもない僕が、解決の糸口になれたことが誇らしかった。




 ◇ ◇ ◇




「おっ、何書いてるんだ? それ、噂の小説?」


「いや、これは交換日記だよ。納涼祭の準備で放課後ほとんど部室に顔を出せないから、先輩と始めたんだ」


 ホームルームの間に書いてしまおう、と交換日記の返事を書いていると、陽が物珍しいものでも見たようにまじまじと僕を見つめた。


「……本当に仲良いんだなぁ。交換日記って最初は楽しいけど、俺は飽き性だからすぐ面倒くさくなっちゃいそう」


「想像つく。けど、意外とやってみると楽しいよ。一人の日記と違って手紙みたいな感じだし、相手の内容は予想できないから飽きないし」


「そりゃあ、透真はマメだもんな。どんな内容を書いてるんだ?」


「その日にあった面白いこととか、小説の進捗や相談もするし、好きな小説の話とか、面と向かって質問しにくいこととかいろいろ。いつもは僕が質問されてばっかりだったから、毎日会ってた時より先輩のことがわかってきたかも」


「なるほどな。聞いてる感じだけどその先輩って、よく喋るタイプっぽいもんな。それで、こうやって昼休みのうちに書いて置いてきてるのか」


「うん。最初はわざわざ部室の中に置いておかなくても、ドアの外に簡易ポストでもつけたらどうだろうって提案してみたんだけど、なんでか先輩が部室の外には置かないでって言うから、昼休みに置きに行きながら部室の鍵を開けておくんだ」


「ふーん、変わってるなー。やっぱ日記みたいなもんだから、一応他のやつに見られたくないってことなのかな」


「まぁ、凄く見られたくないようなことは書いてないけど、他の人に読まれるのは少し嫌だよね」


 陽と話しながら、僕は納涼祭の準備が順調に進んでいること、この調子なら明日は部活に顔を出せそうだということをつづった。


「なぁ、やっぱり文芸部に入るくらいになると何でも読むのか?」


「何でもって?」


「ほら、ファンタジーとかSFとか、恋愛とかそういうジャンル。やっぱり先輩と小説の趣味とかも合うのか?」


「前にオススメしてもらった本は僕も好きだったよ。……そういえば、先輩が救われたって言っていた本ってなんていうタイトルなんだろう? 僕も読んでみたいし、聞いてみようかな」


「好きな物、共有できる相手が見つかってよかったな! 読んでやりたくても俺は寝ちゃうからなー」


「ははっ、無理しなくていいよ。陽は陽なんだから」


「あっ、やべっ。ホームルーム始まっちまう!」


 あれから、これといった問題も起こることなく、このままなら無事に納涼祭を迎えられる。

 そう思った矢先の出来事だった。


「ここまで沢山の練習と準備を頑張っていたのを知っているから、こんなことを言うのは心苦しいんだが……このクラスの劇は中止だ」


 ホームルームで、言いづらそうに切り出された先生の言葉に教室中で困惑の声が上がった。


「なんでだよ! 意味わかんねぇよ!」


「本当にすまない! 皆に落ち度はないんだ! 正確にはこのクラスの劇、ではなくて、ロミオとジュリエットが駄目だと判断されたんだ……」


 何度も頭を下げる先生に、ざわざわと教室中がどよめいた。明穂が生徒を代表するように理由の説明を求めると、先生は困ったように話し始めた。


「今朝のニュースだから皆はまだ知らないかもしれないが、うちの市内で恋人同士の無理心中……服毒自殺の事件が起こったんだ。それを受けて、まだ記憶に新しい事件のあとでそれを思い起こすような劇は不適切ではないかと職員の間で話が上がったんだ」


「そんなのっ、あたし達はずっと前から準備してきてたのに!」


「あぁ。だから君達に落ち度はない。それでも、納涼祭という学外の来客の目にも触れる場である以上、学校側は考慮しなければいけないんだ。それで……PTAと校長での協議の結果、ロミオとジュリエットは中止との決定が出てしまったんだ」


 中止の可能性、ではなく中止の決定という重い響きに教室が静まりかえる。

 子供の努力次第でどうにかなる問題でも、くつがえせる決定でもないことは僕たちにもわかっていた。


「なんで……なんで、今なのよ! あと一週間だったんだよ!? 準備だって、やっと落ち着いてきて、問題なく間に合いそうだってなってきたところだったのに……っ」


「……すまない。先生も君達がどれだけ頑張っていたか、事件と劇は関係ないと伝えたんだが……決定は覆らなかったんだ。力になれなくて、すまない」


 明穂の悲痛な叫びに、先生はただ深々と頭を下げ続けた。それが、もうどうにもならないということを、僕たちに強く印象づけた。


「……もう、無理だよ。先生が頼んでも駄目だったんだよ……?」


 誰かが小さな声で呟いた。

 それを合図にして、僕たちの間に『諦め』の四文字がよぎった。それ以上は誰も口を開かずに、沈んだ気持ちのまま、長い一日が始まった。


 その日の放課後は誰が言うわけでもなく、納涼祭の準備はなくなって、誰もいないがらんとした教室に隙間風が吹いていた。


 僕たちは無言のまま、それぞれが帰路へとついた。

 どうにもならない虚無感がまとわりついて、帰り道の足取りを重たくした。


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