第12話
「何かしら、アレ。」
最初に気付いたのは母親だった。
「どうしたの、ママ?」
「ほら見て、空に光が。」
「・・・うん?」
母が窓の外、空の一点を指さして眺めている。自分も窓に寄って空を眺める。
「本当。なにあれ。」
闇の中に不自然にぼんやりと、しかし明らかに丸い青緑色の光の球が空高く浮かんでいくのが見えた。
「凄い!全然雨が当たらない!凄いねクアラ!」
空の上、光球の中心には一匹の青い竜とそれに跨る配達員の少女、そしてその後ろに派手なドレスをはためかせて悠々と竜に乗る長身の光る女性が乗っている。
「クアラ!あなた本当にただのゴーストなの!?一体どんな魔法か妖精を吸い込むとそんな事できるのよ!」
クアラは目を閉じてまるで瞑想をしているように落ち着いた表情をしている。きっと何かに集中しているのだろう。彼女は不思議だらけだ。飛び立つ前、面倒臭そうに軽く踏ん張って抵抗するシエルの手綱を一生懸命引いて外に出したのに、光るクアラの姿を見た途端大人しく鞍に乗せてくれた。それにシエルを飛ばしてすぐに気付いたが、彼女は見かけの割に恐ろしく軽かった。ちょうど重めの小包1個分くらい。そして今更、あの気味の悪い小包が影響しているのかもと思い当たった。思えばアレは神棚のようにしてから変に部屋に馴染んで、すっかり存在感を消していた。
「もう、不思議な事ばっかり!でも今は、目の前のおっかない奴をなんとかしなきゃ!行くよ!シエル!目標は雲の上!」
言うや否やシエルは一際大きく肩甲骨を動かして加速してくれた。
高度を上げれば上げる程、雲に近付けば近付く程、光球の外の闇は濃く深くなっていく。
「シエル、方向を見失わないで。真っ直ぐ、真っ直ぐよ。」
跨る首の先、鼻の先端まで背骨を一直線に伸ばしたシエルはただ真っ直ぐ、正面の暗闇のその先を透かしているみたいに正視して羽を動かし続けている。
だんだん肌に纏わり付く湿気が冷たくなり、気付けばすっかり震えるような寒さになっていた。吐く息が白くなる。地上の季節感で着てくる服を間違えてしまった。しかし身体が冷えると同時に仄かに背後から熱が伝わっていることにも気付いた。おそらくクアラの発する熱のおかげで、私たちは今も飛び続けていられる。恐らくもう雲の中だろう。最早光球の外はどこまでも光を喰い尽くす永遠の漆黒のようだ。きっとここまで来ると魔法も殆ど薄まっていない。教科書の中でしか聞いた事の無い戦乱の歴史の恐怖を今、目撃している。そんな気がする。
視線を落とすと手綱を握る手が震えているのに気付いた。これはきっと、怖いから。怖い。暗い。怖い。
背後の温かさがまた強くなった。首を反らせて背後を見上げると、またクアラが両肩を大きな手で包み支えてくれていた。優しい笑顔を見せてくれる。
視線を真っ直ぐ正面に戻す。
突然視界が開けた。
今まで暗黒に沈んでいた視界に突然遮るもの1つ無い日差しの直撃を喰らrって、しばらく目が開けられなかった。しかし今は竜に乗っているのだ。それに高高度飛行の訓練は受けている。少しずつ、少しずつ瞼を開いて状況を把握しなければ。
真っ黒な雲の大地。遠くの水平線で大気が作る白い層に挟みを入れたように視界の真ん中を分かつラインの中央で、1つだけモクモクと雲から生えた黒いアリ塚のような山が立ち上がる。
「あれが、呪い・・・。」
呪いはたちまち黒いマントを羽織る老人のような姿になった。恐らく目があるらしい部分にはぽっかりと、今まで見たどんな闇よりも暗い穴が開いている。
飲み込まれそう。
「村に呪いを降らさないで!」
呼びかけなど通じないのは分かっていた。言葉は虚しく空の風に消え、目の前の呪いは何やら腕を振り回して上空に黒い雲の塊を集め、そしてこちらに振り落としてきた。
「いけない!」
竜はその形状や飛行方法から、その場で急旋回したりするのが苦手だ。特に人ほどの重量物を乗せた小型竜に急加速も合わせて行わせるなど、曲芸師でもなければ試そうとも思わない。それでもシエルは咄嗟に逃げようと身体を翻そうとしてくれた。でも、避けられない。
――ぶつかる!
そう思った瞬間、さっきまで背中を押していた力が抜けた。クアラが背後で飛んだのだ。
「クアラ!?」
シエルの鼻の先に光の速さで降り立った彼女は、手の先に集めた光の短冊の束のような、鞭のような武器を左右に大きく振った。
途端頭上に迫っていた雲の玉は光に霧散した。
「どういうこと・・・。」
呪いもどうやら標的をクアラに集中したらしい。すっかりこちらに向けられていた重い殺気は全てクアラに集められた。
「クアラ!気を付けて!」
言うより先にクアラが空いた片方の手を開いてこちらに向けた。制止にも似た手の平から広がった光に包まれたシエルと私は、押し返されるように勢いよく地上に落ちた。雲に飲まれる直前に覗けたクアラの横顔は、いつも通りの優しい笑みを浮かべているように見えた。
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