第5話
それから平穏な三日があった。風の無い丘の風景は、自分の中に確信していた春の到来を不安にさせるような冷気を漂わせて、いつも通りの薄暗がりの地平にはいつも通りの寂しさがあった。しかしそこには、その先には、顔も思い出せない父の墓があるらしい。全く驚くべきことなんだろうが、その驚きを感じさせないのは、やはりこの丘の景色のどことない、長年僕の肩を大きな両手で押さえつけてくるような重々しさのせいに違いなかった。
背後の町では朝に教会の鐘が響いた。あの辺境の町に赴任する司祭というのは、大抵都市ではいまいちな調子なのを穴埋めの為に派遣されるような人だと相場が決まっていて、今回も気前は良いけれど酒飲みな奴が寄越されたのだと、町に降りた時に耳に入っていた。彼は別に礼拝の日でも祭の日でも無いのにしょっちゅう鐘を鳴らすから、肉屋の奥さんは青ざめた顔で耳に大きな手の平で蓋をしていたけれど、僕はそんな風に気持ち一杯に叩かれた鐘の音が少し面白くて好きだった。あの鐘は、まるで司祭のおじさんから僕達への日記のメッセージみたいだと思うからだ。嵐の前には急かし立てるように鳴らしまくって、二日酔いの日は馬鹿みたいに弱々しくて、最近みたいによく晴れの日にはとても嬉しそうに気味の良い轟音が谷の底から響いてくる。
「びっくりした?僕は結構好きなんだけど。でもたしかに、町の中だとうるさくて堪らないかもね。」
「ん~ん!」
彼女の名前は「ニーナ」になった。相変わらずこうして腕に抱いて午前の散歩をしているのだ。この環境にも慣れて来たのか、最近は時折覗き上げた表情にも仄かな笑顔の色が伺えるようになった。翼の泥シミもイェルダが毎日水で洗ったおかげでどんどん元の白を取り戻してきている。ニーナというのは「小さな少女」という意味らしい。どうしてもこの少女の存在が家にあることに馴染めないらしいイェルダがやっと許してくれた名前だった。中々苦心して考えたが、結局、いつも読んでいる勇者の物語に登場する、勇者の故郷の幼馴染の女の子から取った。あまり名前の由来をいちいち考えた事はなかったから、後からイェルダに意味を聞いてそんな事務的な名付けなのかと少し迷ったけれど、僕にとっては好きな響きに違いはなかったから。
「ニーナ、ここ3日は風が無いね。」
「ん~?」
「君の傷がちゃんと治ったら、また飛べるようにリハビリをしないとね。」
「ん~!」
「どれくらいかかるかな。」
「・・・。」
「ニーナは父さんの墓参りに付いてくるかい?」
「ん~。」
「あ、でもイェルダが家で安静にしろって言うかもね。でも1日はかかりそうだし、町には下ろせないし・・・。まぁ、その時に考えよう。」
「ん~!」
「家に戻ろうか。」
「ん~!」
丘の風景は、少しずつ咲き始めた花の色が小さな点描となって彩りと明るさを増してきている。長い冬の間にうんと寂しい場所だと思い込んで凍り付いていた脳みそが、本来この丘に色づいていた色彩の温かさと一緒に溶けてきたような、そんな気分だ。春が来た。
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