無名のバレエダンサー2 ~眠れる森の美女~

陽麻

第1話

「ねえ、早苗、帰りにケーキ食べてかない」


 学校が終わった放課後、ともだちの真理に三村早苗は呼び止められた。

 高校二年生の女子にとってケーキは大の魅力がある。

 思わず頷きそうになるのを必死でこらえる。


「今日はバレエのレッスンの日なの。悪いけどまた今度ね」


 そう言ってにっこり笑って帰り支度をする。


 今度、なんてきっとない。早苗は太るのが怖い。それはバレエダンサーにとってかなり致命的な欠点となってしまうからだ。

 実際、早苗は細い方だ。151センチの体に43キロである。

 ウエストも細いが、変わりに胸もなかったりする。

 それが女子としてはコンプレックスになったりもするが、実際バレエを踊る時はあまり大きい胸だと邪魔になるのでこれでいいと思っている。

 そんな早苗が、


「太るのがいやだから」

 なんて誘いを断ったら、なんだか友達の反感を買いそうだと思うのでうまく口実をみつけてやり過ごす。


 早苗はバレエが好きだ。それは曲に合わせて体を動かすのが、とても気持ちがよくて、気分が高揚するからだ。


 自分ではなく、「別のもの」になったような感覚がある。

 たとえば、雪の精の役なら雪の精に。村娘なら村娘に。

 それを音楽にのせて体で表現することが、面白いのだ。


 そう、早苗は舞台に立つのが好きだった。

 といってもまだ高校生だし、スクールの発表会くらいしか舞台はないのだか。

 早苗が通っている「西野バレエスクール」は年に一度の発表会がある。それは早苗にとって好都合だった。


 早苗の親などは「お金がかかってしょうがないわ」など、毎年言うのだが、まだ高校生の早苗には実感がなかった。

 そして、今年もまた、発表会の季節がめぐってきたのだ。

 春の発表会に向けて四ヶ月前から発表会用のレッスンを始める。

 早苗は教室に行くとレオタードに着替え、シューズをはき、レッスンが始まるのをまっていると同じスクールの舞子が来た。


「今日から発表会のレッスンだね」

「そうだね。なんだか楽しみ。どんな踊りなんだろう」


 舞子は早苗よりもだいぶ後に入った生徒だが、同じ年である。だから一緒に踊ることが多かった。

 このクラスの生徒は高校生と中学生で構成されている。他に大人のクラスとか幼児クラスとか小学生のクラスなんかも「西野バレエスクール」にはある。

 レッスンが始まるまで舞子とストレッチをしながら玉枝先生が来るのをまつ。教室はバーが壁に取り付けられていて、その前に大きな一面の鏡がある。ホール練習の姿を確認するためだ。

 西野玉枝先生はこの教室のオーナーだ。そしてたぶん三十代後半ながら、厳しくもやり手の先生だった。

 先生が教室にはいってくる。

 みんなから「こんにちは」とあいさつを受け、先生は返事をしながら鏡の前にたった。


「今日から来年の三月に開催する発表会のレッスンを始めます」


 みんながかたずを飲んで先生の言葉をまっている。


「公演は「眠れる森の美女」です。みなんさん内容は知っていると思います。ディズニーでも有名なあれです」


 そこで少し生徒に笑みが漏れた。


「今回は一人ひとりソロで踊ってもらいます。この教室はみんなで六人なので「眠れる森の美女」序章の序盤をやりたいと思います」


 今度はどんな踊りなのだろう、と早苗は期待でドキドキした。多少難しくても練習してちゃんと踊れるようになろう、と思う。なんて言ってもソロだ。

 でも早苗は「眠れる森の美女」がどういう構成でバレエになっているか知らなかった。


 (先生の言うとおりに踊っていれば踊れるわ)


 その時、早苗は楽観的に考えていた。

 玉枝先生は一人ひとりに少しずつの振付を覚えさせていき、それを何回も踊らせた。

 早苗の踊りは一分くらいの短い踊りだった。音楽に合わせて、優雅に気品を備えて踊れと先生に言われ、早苗はそれを頭に入れて踊った。


 長く遠くに伸ばす腕、、指先まで優雅に、神経を巡らせる。

 つま先で立っている苦労なんて感じさせないように、少しほほ笑みを浮かべる。ソロの部分は一分ということもあってなんとか踊りの振り付けは覚えられた。

 しかし、六人で踊る最後のコーダで問題がおきた。


 早苗はみんなの最後に出てきてピルエット(一本足の回転)とシュス(つま先立ち)を何回も繰り返すという振付だった。

 一回ならまだしも8回繰り返すのは早苗にとっては苦労だ。

 それなのに。


「違う! 音をもっとよく聞いて! それじゃあ裏の音で踊ってるのよ!」


 先生の檄が飛んだ。

 早苗はそこを何度もやり直したが、どうしても感覚として音楽と踊りが合わないのだ。こんなことは初めてだ。


「いい? 音楽をかけるから良く聞くのよ」


 玉枝先生はコーダの音楽をかける。コーダの音楽だって二分しかない。早苗は真剣になって音楽を聞いた。それこそ一回で全部覚える気構えだ。

 音楽を覚えるには少しコツがある。

 大体、クラシック、それもバレエ音楽は何回も同じフレーズが繰り返されていたりする。

 何回同じフレーズが繰り返されているか、数えていくのだ。


 今回は六人で踊るのだが、最初に二人、次に三人ずつ登場して早苗は最後の一番おいしいところを踊る。

 曲の最後の三十秒くらいのところで、あきらかにいままでと違う優美なフレーズが流れる。


「ここよ。ここでシュスとピルエットを繰り返すの」

「わかりました」


 もう一回全員で初めからやり直す。

 みんなはちゃんと踊れている。

 今度はちゃんと踊れる。そう思って早苗は踊っている自分をイメージした。

 さっきの優美なフレーズが流れる前に早苗は自分の立ち位置へスタンバイする。


 (ここだ)


 そう思ってシュスをするが、玉枝先生は手をたたいて曲を途中で止めた。


「今日はもうコーダの練習はやめましょう。じゃあ、もう一度ソロの練習を一人一人やって今日のレッスンは終わりにするわ」


 早苗はみんなに小さく「ごめんなさい」と言う。

 しかし誰も答えてくれなかった。

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