65.リーセと彼女を見守る世界

「デートしましょう」


 部屋の中に散乱したカークの羽毛と、デンメルングの体毛を見てリーセは言った。

 その言葉を聞いたノノが大きく目を見開く。そして、その頬に朱が点(とも)った。

 そして、ベッドの上で半身を起き上がらせているリーセの元に駆け寄ってくると、彼女の手を両手で包むように握りしめた。


「リーセ様、恋をされたのですね!」

「してない!」

「またまた~、リーセ様、恋することは恥ずかしいことではないのですよ。誰にでもあることなのです」


 ノノの食いつきがすごい。リーセは顔を逸らして彼女の視線から逃れようとしたが、ノノは回り込むようにしてリーセの顔を覗き込む。


「それで、お相手はどちら様なのでしょうか? このノノがしっかりと見極めさせていただきますっ」

「ノノは私のお母さんじゃない!」


 リーセは不貞腐ふてくされたように頬を膨らませる。そして、無造作にベッドのそばで犬のように四つん這いにさせられているデンメルングを指さした。


「ななななんとっ! 以前より、デンメルング様のお毛並みをいたく気に入られていることは存じていましたが、リーセ様の想いはそこまでだったのですねっ! ノノは……、ノノは……」


 ノノが胸元で手を組み感無量になって天井を見上げようとしている所、リーセは指先を滑らせて、扉の前に立たされているカークを指した。


「ええっ、カークさまもですか? リーセ様は毛深い殿方が……」


 ノノが言い終わる前にリーセは真面目な顔をして天井に貼りついているツヴィーリヒトを指さした。


「……リーセ様……、いくらなんでも多すぎませんか? ノノの身体が持ちません」


 どうして、リーセのデートの話にノノが自分の身体の心配を始めるのか分からなかったが、彼女は気にしないことにする。


「あと、ここにいないけどラメールとも」

「ええ……? リーセ様は本当に皆さんのことが好きなのですか?」


 先ほどまでノノの瞳の中にちりばめられていた星は消えていた。


「うん? 好きだと聞かれたら、もちろん好きだけど?」

「好きだけど?」

「だから、ノノが考えているようなことじゃないからっ!」


 リーセの言葉にノノが姿勢をただして立つ。そして小さく咳払いをした。


「リーセ様。デートとはお心に決められたたった一人の異性の方と共に一日を過ごすのです。リーセ様は勘違いをしています」


 ノノの言葉をリーセはぽかんと口を開けて聞いた。自分の言っているデートとノノが言っているデートに違いはないだろうかと不安になる。


「そこまでの思いはないのだけど……」


 リーセは言い淀む。元のリーセが覚醒しこの体にいる時間が徐々に長くなっているように思えた。その間の彼女の記憶は全くない。ただ眠っていて目が覚めただけの感覚なのだ。軽くとらえることは出来なかった。やがて元のリーセが完全にこの体へ戻ってきて、この体に転移してきたリーセは眠りにつくように消えてしまう。

 それが恐ろしかった。リーセの考えるデートは、この異世界で一緒に暮らしてきた者たちとの思い出作りでしかなかった。

 彼女がそのようなことを考えている間、ノノはノノで小首をかしげて思い悩んでいる様子だった。


「ノノ、どうしたの?」

「いいえ、もしかすれば、今回のデートでリーセ様が本当に恋に落ちるかもしれません。しっかりとついて行ってサポートさせていただかないと。そして、また相手の方に気に入って頂くためにリーセ様にどのような衣装を着ていただければ……」

「ちょっと待って、ノノはデートについて来るつもりなの?」

「もちろんです! 何かあれば、キャーっ! あっ、いいえ、いくら恋人同士となるとはいえ、リーセ様のお体は結婚までお守りしなくてはなりませんっ」


 ノノは一人で興奮して騒いでいたが、それを見る周囲の目は冷ややかだった。


「……安心して。ラメールは違うけど、相手の方は今この部屋で無茶をさせられている人たちだから。私のことなんか好きになるはずないから」


 その言葉にノノはハッと何かを思い出したように目を見開く。


「リーセ様、このノノがリーセ様の服を決めさせて頂いてもよろしいでしょうか!」

「服は法衣でいい! それよりも、みんなを解放して日課をすませてしまいましょう」


 

 朝食のあと、リーセは執務室のライティングデスクに腰を下ろしていた。象嵌細工で幾つもの花が咲き誇る様子が描かれていた。リーセはその上に紙を置き、引き出しから鳥の羽のペン先とインクを取り出す。そして、ペン先をインクに浸しながら窓から見える景色を眺めた。街の外には相変わらず活発に人の行きかう姿が見え、川向うには畑が延々と広がっている。

 本当に戦争が起るのだろうか。信じられない思いで眺めていると、ペン先をインクに浸し過ぎたことに気づき眉をしかめる。


「何を書こうとしている?」


 左側からツヴィーリヒト、その反対からデンメルング、正面からはノノがライティングデスクを取り囲んでいた。


「デートのお願い。恥ずかしいから見ないでっ」

「それは誘う本人の前で書くものなのか?」

「護衛を常につけろというから仕方がないでしょ?」


 リーセは紙の上にペン先を落とす。

 口頭で誘えば良かったのだが、何か形として残しておきたいと思った。だが、全員に見られながら文言を考えるのはなかなか苦しく、ペンも一向に進まない。


「リーセ様、もっと大好きですとか、愛していますとか、お慕いしますとか、お気持ちを伝えないと。ノノならもっと愛をいっぱいにちりばめます」

「そんなの振りまいてどうするのよ? そこまで好きじゃないし……」

「おい、好きでもない相手をデートに誘ってどうするんだ?」


 リーセは顔を上げてツヴィーリヒトを見つめる。


「もしかして、ツヴィーリヒトは私が誘ったら断るつもりなの?」

「いや……、返答には困るが私はお前のことは嫌いではない」


 リーセのペンの動きが完全に止まる。


「そうだったの? てっきり……」


 リーセはそう言いかけて慌てて口をつぐむ。顔は真っ赤に染まり頬が火照っていく。その動揺を隠すようにデンメルングに向き直る。


「私はリーセ様のご命令なら何処にでも行きますし、何でも従いますぜ!!」


 ハァハァと息を吐き、尻尾を振った。


「……これは命令じゃないの。お願いなの。私のことが好きなら一日、お付き合いして欲しいの」

「お任せを。一日中共に過ごせるというのなら、私の忠義心を見せる良い機会です。至上の幸せです!」


 デンメルングはそう言って、やはり、ハァハァと息を吐き尻尾を振った。リーセは一抹の不安を感じながら、別のライティングデスクに腰を下ろすカークに視線を向けた。彼はリーセになど興味がないように、机の上に並べられた紙を取り上げては睨みつけている。


「カークはどうなの?」

「なにがだ?」

「私がデートに誘っても嫌いにならない?」

「そのために手紙を書いているのだろ? 返事は受け取ってからするのが順序というものではないのか?」

「それは、そうだけど……。誘うにはすごく勇気がいるの。断られるのが怖いの」


 リーセの目に不安の影が落ちる。

 カークは顔を上げた。


「まずは帝国と王国の軍をどうするかだ。その後なら考えてやる」

「それは関係ないでしょ!」

「関係あるだろ! 軍を演習ばかりやらしてないで、どうやって迎え撃つか大方針を決めろ。それと、戦いが終わったあとのこともだ。どう関係性を保っていくのか考えているのか?」

「そんなの関係ないっ! カークは私がデートに誘えば付き合ってくれるのっ?」


 リーセの言葉にカークは顔をぷいっと背けた。そして、羽根先で頬をかくような仕草をする。


「……もちろん、付き合う」


 リーセの顔がじわりとほころんでいく。

 胸に手を当てて、ほっとため息をついた。


「うん。よかった」

「ったく、これだから小娘は……」


 カークは再び机の上の資料に目を落とした。

 その様子をリーセは微笑みを浮かべながら眺めたあと、手紙の続きを書こうと思いペン先に視線を移そうとして、目の前でノノがふくれっ面をしていることに気がついた。


「どうしたの、ノノ?」

「みんなずるいです」

「なにがずるいの?」

「ノノだって、リーセ様のことが大好きなのに。私だけ……」

「……いや。私とノノは女の子同士だからっ」

「わかっています。でも、リーセ様に仲間外れにされたみたいで、嫌なんです!」


 ノノはリーセから背を向けた。

 その肩が微かに震えているように思えた。リーセはそれを見つめながら小さなため息をつく。思えば、ノノこそリーセを支えた大きな存在だった。それに、これは思い出作りなのだ。彼女と一緒に過ごす日があっていいのではないかと考える。

 ただ、元のリーセが帰って来ることを一番に願っているのも彼女だった。リーセはノノの本当の気持ちだけは聞きたくなかった。


「ノノ、私はノノ宛の手紙も書こうと思っている。もし、受けとったらノノは私とデートしてくれる?」


 ノノがさっと振り返った。


「はいっ、もちろんです!」


 元気のいいノノの声が執務室に響き渡った。

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