学校で人気の美少女ギャル2人に弱みを握られた僕は優しくされたり追い詰められたりしながら今日も謎を解かされます。ただのぼっちオタクなのに!

赤月鵯

安住友那の忘れ物忘れ

 男ならば、泣いていいときは3回だけとはよく聞く話だ。

 1つ目、生まれたとき。

 2つ目、親が死んだとき。

 そして3つ目。推しの3Dお披露目配信だ。


 かくいう僕も、熱い雫が頬を伝っていた。

 スマホの画面には推しの一人であるVtuber、徒花ヘーゼルちゃんが3Dモデルで降臨し歌とダンスを披露している。一挙手一投足から喜びが湧き、心に浸透していく。

 昨晩から何回再生したかわからない。でも何度だって感動する。推しの晴れ舞台はそれくらいに嬉しい。

 画面をタップして、再びお気に入りのシーンへと移る。


「あぁ……」


 放課後まで時間を置いた分、一層身に染みた。

 ここは古い空き教室で、放課後になって時間も経つ。


 わざわざこんなところまで来る人なんているわけないし、今日限りは僕だけの楽園だ。


「幸せになってくれッ!」


 祈願が口からこぼれ出た瞬間。

 ガララと後ろから音がした。

 それは楽園が崩壊する音だった。


 涙を拭うのも忘れて振り返ると、一人の女子生徒が教室に入って来ようとしているところだった。


「…………」


 時間が止まった。

 僕が振り向いたまま止まっているように、彼女も扉に手を掛けた姿で固定されている。


『みんな、今日は来てくれてありがとう……!』


 いや、時間は止まっていなかった。ヘーゼルちゃんは今も動き、今まで応援してくれたみんなへの熱い想いを語っている。

 ヘーゼルちゃんの声で我に返った僕は、まずは動画を停止した。

 なんでこんなところに人が!?

 慌てて涙を拭う。

 なんで油断してイヤホンを付けなかったのか。おかげでバッチリ聴こえてたはずだよ!

 それなのに彼女は教室へと踏み入って来たかと思うと、やがて僕より二つ空けた席へと腰を下ろす。

 教室の奥、一番窓側に並ぶ。

 彼女は、微笑をたたえていた。


「好きなんだ? そういうの」


 からかうような声が切れ味鋭く心を抉る。

 あぁ、あああ。やっぱり聴こえてたんだ。

 恥ずかしいよりも、苦しい。もう逃げ出してしまいたい。

 いや、待てよ。まだ画面は見られていない。何を見ていたのかまではわからないはず。


「……そういうの?」

「さっき見てたやつ。アニメのライブ?」


 ダメだった。完全に一人教室でVtuberを見て泣いている姿を目撃されている。

 そんなのどう考えたってやばい人だ。噂が回れば、明日から学校に来れなくなる可能性もある。

 まだ入学して3か月も経っていないのに。それだけは阻止しないと。

 心に決めて、僕は全力でごまかす。


「あーこれね。たまたま見つけて、いいなって」

「嘘。だったら泣かないでしょ」

「うぐ」


 即断され、喉の奥を絞ったような声が出た。

 うなだれる僕に、彼女は視線で、僕が机に置いたスマホを指し示す。

 スマホには何も映っていない。けれど何を示しているかは歴然だ。


「好きなんでしょ」

「…………はい」


 否定はしない。今まで熱心に追ってきて、好きじゃないなんて嘘でも言えなかった。


「へー、そっか」


 聞いたわりに起伏なく言うと、彼女は窓枠を後ろにして寄りかかった。

 タイツで隠した脚を交差させる。

 無表情がちで横顔からは表情がわからない。

 肩下まで伸ばされたウルフカットと整った目鼻立ちが印象的な人だ。見麗しさと同時に、人を寄せ付けない独特の空気もある。 

 それで思い出した。

 A組の山井霞(やまいかすみ)さんだ。


 山井さんは僕に横顔を見せたまま、


「まぁ、秘密にしたいのはわかるけど」


 と言った。

 もしかして、そういう趣味に理解があるタイプの人か!


「本当に!?」

「私は別にいいと思うし」


 これがオタクに優しいギャルってやつか。

 見た目から怖いイメージを持っていたけど寛大な心の持ち主だ。

 これがもしうちのクラスの――想像するのも恐ろしい。やめよう。


「山井さんが良い人で助かったよ」


 山井さんは不思議な顔をする。


「私の名前知ってるんだ。……あなたは? どこのクラス?」

「C組の染森流依そめやるい。同じ一年生だよ」

「うん。一年生だろうなとは思ってた」


 なんか同意された。

 こうやって改めて自己紹介するなんて少し恥ずかしいな。

 男友達ですら少ないのに相手が女の子だなんて。しかもあの山井さんだなんて。


「C組?」

「そうだけど……」


 山井さんが質問してくる。心あたりがあるのかな。


「安住友那(あずみゆうな)って、知ってる?」


 その名前に、どきりとしてしまった。知らないわけがなかった。

 山井さんと同じく目立つ人なのはもちろん、僕が密かに気になっている人だったから。

 まさか繋がりがあったとは。努めて平静を装って言う。


「うん。目立つ人だし」

「そっか」


 話は続かない。何かあるわけではないらしい。

 かと思うと、山井さんは再び口を開いた。


「染森君ね。覚えたから」


 そうして口元にスマホを寄せる。

 そういうクセに見えたけれど、微笑んだ口元を隠しているようにも思える。

 妖しく細められた目からは何か企みの気配を感じた。

 もしかしていつでも言いふらす準備はできているからなってこと!?

 僕が震えていると、山井さんは何やらスマホをぽちぽちやり始めていた。

 教室には二人きりでやけに広く感じる。

 こうなったら、山井さんの本心を探るしかない。


「山井さんは部活とかやってないの? それかバイトとか」

「……特にやってない」

「もしかしてこの教室に何か用があった?」

「……別に」

「えーと……」


 独特のテンポと簡潔な返答に、もしかしなくてもあまりよく思われていない気がする。


「すみませんでした!」

「?」

「あ、いや」


 不思議そうにチラ見された。

 教えたくないとかではなく本当に特に用事はなかったらしい。それがデフォなんだね。難しい。

 山井さんはスマホをしまうと、窓の外に視線を巡らせる。


「この教室、眺めがいいんだよね。人も来ないし」


 釣られて外を見る。

 山井さんの言うように、グラウンドから体育館まで、敷地内で主要なところを全て一望することができるから眺めはいい。階段から遠くアクセスが悪いけど、その分人が来なくていいスポットなんだろうな。


 空き教室を探してここに辿り着いただけだったけど、立ち寄るのもわかる気がする。

 そんなことを考えていると、山井さんがおもむろに口を開いた。


「さっきのやつさ『徒花ヘーゼル』でしょ」

「知ってるの!?」


 まさか山井さんの口からその名前が出るなんて。


「見たことある。なんだっけ、叫んでる動画の」

「どれだろ。ゲームに遊ばれてるやつかな。ホラーゲームで絶叫してるやつかな。大体叫んでるからなぁ」


 バズった動画で見かけたのかな。最近のやつか?

 僕が頭を悩ませていると、気づけば、山井さんは僕の顔を凝視していた。

 目が合うと、にんやりと笑われた。


「やっぱ好きなんじゃん」

「は、嵌められた……!」

「嵌めてない。話す方が悪いでしょ」

「うぐっ」


 後悔するももう遅い。

 今ので確信した。弱みを握られた。もう生殺与奪の権利は山井さんに握られている。

 こうなったら――僕も山井さんの弱みを握るしかない。

 僕も山井さんの秘密を知ることで思い通りにはさせない!

 となれば、他の人のいない今この瞬間がチャンスだ。僕は愛想の良い笑顔を作った。

 ヘーゼルちゃんを知ってるなら、もしや似たような趣味をしているかもしれない。


「山井さんは普段配信とか見る?」

「たまに」

「どんな配信を見るの?」

「……色々。そのときやってて良さげなの」


 色々とな。壁を感じる。けれど負けてはいられない。


「そっか、それでVtuberも見るんだ」


 こくり。小さく頷いた。

 案外性質は仲間寄りだ。

 よし。この路線で攻めよう。


「他には? 好きなYoutuberとかいる?」


 と、そこで山井さんの回答が止まった。

 身を捩ったかと思うと、冷たい眼差しが僕を貫く。


「なに、急に」 


 僕は大袈裟に手を振って否定する。


「いや大したことはないよ! ただ山井さんのことも知りたいなって!」


 弁明するも、山井さんはさらに怪訝な顔をする。かと思うと、別の方向を向いた。そちらには教室の扉がある。

 勢い良く扉が開けられた。


「なになにどしたの? 恋バナ!?」


 入って来た人物が明るい声色で話す。

 その声には聞き覚えがある。いや、声よりも風貌にもっと覚えがある。

 最悪のタイミングで最もお呼びでない人物がやって来た。


「安住さん……!」

「ん? 染森くんじゃん!」


 僕のことはそれきりに、安住さんは扉を閉めると山井さんの前の椅子を引いた。


「今のって染森くん? 山井さんのことが知りたいってなに? 二人ってそういう?」


 僕と山井さんの間で、亜麻色の長い髪を揺らし、両方を見渡しながら尋ねる。


「いやいやいや違うよ!」


 目をキラキラ、いやギラギラと輝かせる安住さんに僕は全速力で腕を振る。

 安住さんに知られるのが一番まずい。

 安住さんは垢抜けた見た目通りに人当たりが良く、学校でも目立つ人だ。同じクラスだし、噂を広められるのは間違いないけど、それより。

 もし変な人だって思われて距離を置かれたら立ち直れない!


 けれど安住さんの詮索は続く。


「クラスじゃ女子に興味ないですみたいな顔してさ。かすみ目当てとかやるじゃん、この〜」


 間の机一つ越えて肩を小突かれる。

 気軽に触らないでほしい。身体以上に心が揺れる。

 けど次の山井さんの言葉はさらに僕を揺さぶった。


「さっき初めて会った。染森君が教室で――」

「あああ!」

「なになになに!?」


 安住さんの肩が跳ねた。

 僕が何かと思ったよ! 

 普通に言われるところだった。山井さんもびっくりした顔をしているけど、全く油断ならない。怖い。


 一度額を拭う。流れを変えないといけない。

 

「なんで安住さんはここに?」

「ん? かすみに呼ばれたから。『見せたいものがあるから来て』って」


 安住さんはスマホをふりふりと見せ、山井さんもそれには頷く。


「そうなんだ……」


 僕はうまく笑えているだろうか。

 もう全部山井さんの差し金だった。僕に恨みがあるのかな?


 それで思い出したらしい。山井さんに体を寄せる。


「見せたいものってさっきの染森くん? おもしろかったけどさ」


 けどさってなんだ。けどさって。


「友那と同じクラスって言うから。呼んだら嬉しいかなって」


 少し恥ずかしそうに山井さんはそう口にする。

 嬉しいけども。このタイミングだとキューピットじゃなくて悪魔なんだよね。


「それに、いきなり二人っきりは……ちょっとしんどかった」

「しんどい!?」


 悪魔だった。おかげで僕は今がしんどいけどね。

 安住さんは目線だけをこちらに向ける。


「まんまと口説かれてたしね」

「いやだからそれは口説いてたわけじゃ……」

「いいよ嘘つかなくて。かすみ、かわいいもんね」


 しみじみと言う安住さんに言い返せない。本人目の前にいるし!

 そりゃ山井さんもかわいいには違いない。

 当の山井さんはスマホに夢中で聞いていないっぽいけど。


「大丈夫。言わないどいてあげるから。そんなに」

「違うし、少しも言わないでくださいお願いします」


 自分の影響力を舐めないでほしい。瞬く間に広がること間違いなしだ。


「しかたないなぁ」


 何とか許された。

 幸か不幸か、僕と山井さんとの関係に興味がいって僕の痴態もバレていない。

 ほっと一息がついて出た。どうなることかと思ったけど、考えると逆にチャンスだ。

 安住さんが山井さんの秘密を話す可能性がある。どうにかして弱みを引き出すぞ。


「ん? あれ?」


 なんて僕の企みは、戸惑う声にかき消された。 山井さんが顔を上げる。


「何?」

「やー、いや」


 安住さんは机に置いた鞄をゴソゴソとやっている。

 鏡。櫛。ペンケース。ポーチ。

 様々なものが机に置かれていく。

 なんだ? 探し物?


「あったあった」


 かと思うと、手のひらサイズの筒を取り出した。

 見つかったようなので、僕が話かけようとするも、タイミングが悪い。


 安住さんはスマホと取り出したそれとを見比べ、首を傾げる。


「なんだったっけな」

「なに? それになんかあるの?」

「なんかあったような気もするし、なかったような気もする……」

「なにそれ」


 山井さんが苦笑を浮かべると、安住さんはわたわたと手を振る。


「ちがうよ。メモもあるんだって! ……ちょっとわからないけど」


 メモとはスマホのメモらしい。なおも訝しげに、山井さんがスマホを覗き込む。

 そして未知の呪文を唱えるように言った。


「『あした もってく ぬれる リップ』……なにこれ」


 山井さんが筒を指して、問う。


「塗れないの? それ」

「塗れるよ! だからわかんなくて。大事なことだった気がするのに悔しい〜」


 そうして、足をばたつかせ机に倒れ込んだ。

 山井さんはお手上げと小さく鼻を鳴らす。

 よくあるよね。案外忘れたことも忘れたような頃に思い出して、そのときには大抵もう遅いんだ。

 同調して眺めていると、安住さんががばっと態勢を起こした。


「染森くん、わかったりしない!?」

「僕!?」


 予想だにしない指名に驚く。

 前のめりになった拍子に、胸元の何かも質量を伴って動き、その存在を感じた。リボンかな?

 僕は何も見ていないと大きめに首を振った。


「申し訳ないけど……」

「あ、ごめん見えないよね」 


 安住さんは立ち上がり、1つ手前の席へと座る。

 同じ机の長辺に相対し、スマホとリップが向けられる。やだ全然話聞いてない……

 前のめりになっている安住さんが近くて、その分僕は後ろへと身を引いた。背中に軽く机が当たった。

 ち、近い。柑橘系のいい匂いがする。

 持っているのもどうかと思ったのか、安住さんはそれぞれを机に置く。


「リップがこれでメモがこれね!」


 僕にわかることなんて……

 だが安住さんはそうとは微塵も思っていない様子。整った顔立ちと眩しい表情を直視することができず、自然と目が逸れる。

 安住さんの向こうで、頬杖をつく山井さんが目に入った。

 興味がないのか、手元のスマホを操作している様子。そんな。

 縋るような視線を向けていると、僕の願いが通じたのか山井さんがふと顔を上げた。

 山井さんは、しばしの間をおいて小さく頷く。そしてまたスマホに意識を向いたようだった。

 頑張れってことかな。助けてくれはしないらしい。

 気落ちして視線を戻すと、安住さんは未だに僕の答えを待っている。


 うん。この状況で逃げるのは無理だ。

 背中にダラダラの汗を感じるし、気が気じゃない。けどやるしかない。頼られて嬉しいし。


「……考えてみるね」 

「うん!」


 元気な返事を受け、観察を始める。

 まずはスマホだ。新しめの機種なんだろうけど、目立つ特徴はない。メモ画面には数語書かれている。

 発音からはわからなかったけど、『明日』『もってく』『ぬれる』『リップ』の四語がそれぞれ改行して書かれている。これなら区切って読むだろうな。

 その横にはリップクリームらしい、手のひらサイズでスティックタイプのもの。


「リップってのは、これ?」

「多分。最近買ったオキニのやつ!」


 返事は曖昧だが元気はいい。かわいい。

 安住さんはリップを手に取ると蓋を外す。

 桜色をしていて、角の丸みからそれが普段使いされているものだとわかる。


「いつもと違うところとかはないんだよね?」

「うん」


 なら、リップに怪しくないはず。


「メモをそのまま読み取るなら、明日それを持って行って塗ろうって覚えておきたかったんだろうけど……」


 安住さんは首を捻って天井を見上げる。そして難しい顔をする。


「ちがう気がするなぁ。いつも使ってるし」

「そうだよね」


 普段から使ってるのに改めてリマインドする意味は薄いだろうし。


「うーん。もっと大事なことだったような……」


 思い当たることは未だ浮かばないようで、頭を反対側に傾けた。


「急いでメモったから。かすみが呼んでたし」


 山井さんがスマホを触ってからすぐに来たもんなぁ。


「どこかの教室にいたの?」

「ううん。体育館の前」

「部活か何かやってたんだっけ?」

「や、部活行く千沙に会って、ついていってちょっと話してただけ」

「ちさ、さん?」


 誰だろう。覚えがない。


「A組の羽岡千沙。バスケ部の。ね、かすみ」


 同意を求めて山井さんに話を向ける。


「あー、うん。いたかも」


 が、山井さんの反応はうっすらとしたものだった。


「いるって! もー」


 興味がないことにはとことん興味がないタイプなのかな。

 山井さんが話を再開させる。


「で、羽岡さんとリップの話をしたの?」

「してなーい」

「明日の約束をしたとかは? 何かを持って行くって」

「……なかった、と思うなぁ」

「……何の話をしてたの?」

「色々?」


 人差し指を口に当て、安住さんは思い出すように話す。


「クラスの誰がいい感じになってるとか、部活ですぐ怒る先輩がいるからみんなで近づかないようにしてる、とか」


 女子社会の恐ろしさを垣間見えた。なんとしても今日の失態は隠さないと!


「そう。リップは関係なさそうね」


 どれも空振りに終わり山井さんは途端に匙を投げてしまった。

 会話内容は置いておこう。

 もう一度、メモに目を落とす。

 メモの意味から考えると、


「最初の二つ『明日』と『もってく』は、明日に持っていくって考えていいはず。やっぱり『ぬれる』ってのが気になるね。『ぬれる』って、可能性を含めた言い方だし。漢字じゃないのも理由があるのかも」


 山井さんがすかさずつっこむ。


「多分そこまで考えてないと思うけどね」

「そんなことないよ!」


 安住さんがたまらず声を上げるも、山井さんは温度の低い目で安住さんを見つめる。


「どんな意味があるの?」

「え、へへへ」


 頭に手を当てて照れ照れしている。考えてはいなかったらしい。

 けど、あどけない誤魔化し笑いの表情がやけに似合っていて許したくなってしまう。ずるい。

 いけないいけない。咳払いをする。

 視点を変えよう。


「ここに来る直前に慌てて打ったってことだよね? それなら最初に打った文字の方が重要度が高いんじゃないかな?」


 安住さんが目を輝かせる。


「それっぽいかも! ……明日に塗れるリップを持って行くのが大事ってこと? それならさっきと変わらなくない?」


 少し考えてから言う。


「なら、『塗れる』でも区切れると思う」

「うん?」

「『塗ることができるから』?」

「それかな」


 代わりに山井さんが答えた。なおも眉を顰めている。


「なんで明日持っていくのかって理由だね。補足、的な」

「明日に塗ることができるから持っていく、ってこと?」


 僕は頷く。


「後に続くのが『リップ』だから、やっぱり塗るのはリップなんだろうけど。明日絶対に使う予定とかはないよね?」

「そりゃ、うん」


 そうだよね。当たり前すぎた。リップを使うのに予定なんてないだろう。

 リップが鬼門だなぁ。

 もういっそ発想を変えてみよう。


「重要度からするとリップは最後――後から付け足すように書いた場合なら、塗れる対象はリップではない、とか?」

「じゃあ何を塗るの?」


 僕の口から代わりのものが出て来なかった。

 打ち間違いだとしても、リップに似ている単語は思いつかないし。

 いたたまれなくなり、窓の外に視線を逃がす。


 すっかり日も暮れ始めて、夕焼けがまだ部活動で賑わうグラウンドを、僕らが過ごす教室を赤く染めている。

 昨日降った雨の影響はまだ残っていて、グラウンドの隅に水溜りが形作られている。

 と、一つの可能性が頭に浮かんだ。か細くて、でもあり得なくはない道筋。


 スマホを取り出す。一時停止していたヘーゼルちゃんは慌ててスワイプして、別のアプリを開く。それとさっきまで安住さんが座っていた席を確認する。ふむ。

 机の上には安住さんの鞄が置かれていた。

 チャックは開けられているけど、広げられていた中身は今は鞄の中だ。

 ペンケースと櫛と、鏡なんてのも出ていたっけ。

 やっぱり、あり得る。心に決めて、僕は努めて自然に言う。


「安住さん、明日は雨だから傘を持って行くといいよ」

「え? うん」


 突然の話題に、安住さんは怪訝な顔をした。

 やがて、目をまんまるにさせて、


「あ、あああー!」


 と驚いてみせた。

 合っていたみたいだ。僕は机の下で拳を握った。


「びっくりした。なに? 急に」


 山井さんが、文句半分に尋ねる。


「思い出した! 明日、傘持って行こうと思ってた!」

「え? 傘?」

「なんでわかったの!?」


 安住さんが身を乗り出す。

 二人の注目を肌で感じて、僕は話す。


「『塗れる』のを全く別で考えてみたんだ。『ぬれる』って、一番使うのは『雨に濡れる』かなって。見たら、ちょうど明日は雨らしいし」

「それだけで?」

「あと、安住さんは多分傘を持っていないんじゃないかなって」 


 山井さんが机の側まで行って、神妙な顔付きで鞄を覗き込んだ。ゆっくりと振り返る。


「たしかに折り畳み傘は入ってないみたい。けど何でわかったの? ……見た?」

「え?」


 安住さんが聞いたことないくらい冷えた声色をして身を遠ざける。


「見てない見てない!」


 僕は全力で否定した。そして、付け足す。


「思い出しだんだ。安住さんがリップを取り出すときに、色々机に出すくらいには探していたのを。リップってメモに残していたはずなのに。なら、メモした意味自体は薄いのかなって」


 山井さんは頬に指先を当て、呟くように言う。


「なるほどね。メモを真に受けすぎたってこと」

「でも逆に、最後に書くくらいには意味があったんじゃないかなって」

「というと?」


 いつも使うものを探してた理由。それは普段ある場所にしまっていないから。


「たとえば、いつもは他のものが入っている場所、とか」


 安住さんは不思議そうな顔をして手にしたリップと鞄を見比べる。

 そして、手を打った。


「傘の場所に入ってた!」

「リップを入れ替えたことも忘れたってこと? ……はぁ」


 山井さんがやれやれと深い溜め息をついた。

 けれどこれで、メモとリップの謎は明らかになった。


「すっきりした〜」


 安住さんは脱力し椅子にもたれかかる。


「けどほんとにわかると思わなかった。名探偵じゃん!」

「たまたまだよ」


 実際こじ付けにも程があるし。

 そのこじ付けも、友達が少ないからあれやこれやを一人で推測するのが癖付いているだけで。

 あれ。褒められて嬉しかったはずなのに。

 安住さんが勢い良く飛び起きる。


「かすみ、甘いもの食べに行こ! がんばったし!」

「あんたは何を頑張ったのよ……」


 安住さんは外へと向かい、後を追うように山井さんも立ち上がった。


「染森くんも行く?」

「えっと、また今度で」


 安住さんの誘いはありがたいけど、とても着いていく勇気はない。


「そっか。んじゃまたね!」

「じゃあね」


 2人が教室から出て行こうとする。

 ……何か大事なことを忘れているような。

 まずい。山井さんのことを何も知れていない!


「あ、そうだ」


 安住さんは山井さんを庇うように立ち、胸を張る。

 何だか嫌な予感がする。そしてそれは的中した。


「これからかすみと会うには、あたしを通さないとだからね! 変な骨をかすみに近づけたくないし!」


 言うなり、山井さんに抱きついた。


「重い」


 山井さんは平坦に不満を漏らすと、安住さんを引っ剥がして鞄を背負い直した。


「は、はは……」


 思わず出た笑いは乾きに乾いていた。

 山井さんと話すのに安住さんもセットってこと!? どっちか一人でも手に余るのに?


「んじゃね〜」


 僕が驚きから立ち直れずにいると、ひらひらと手を振って安住さんが今度こそ教室を後にした。

 安住さんと話せるのは嬉しいけど、山井さんの秘密なんて知ることができるのか? そっちの方が心配だ。

 山井さんも続いて教室の扉へと向かっていく。

 そもそも、山井さんが本当に僕の痴態を話さないのかもわからない。

 引き留めないといけない。けど言葉が出てこない。


「えっと、その」


 続く言葉はない。代わりにガタッと大きく音がしたのは僕が席を立ったからだ。

 山井さんが振り返る。


「あの、今日のこと!」


 山井さんは柔らかい笑みを浮かべる。


「推理、楽しかった。また見せてよ」

「え、あ、うん。あれは偶然だからまたできるかわからないけど。そうじゃなくて!」


 山井さんはこてんと首を傾げた。


「徒花ヘーゼルのこと?」

「えっと、うん」

「泣いてたことは誰にも言わないよ。……友那、おしゃべりだからすぐ噂になるだろうし」


 秘密めかした様子でウインクして、薄い唇に白魚のような人差し指が当てられる。

 人形みたいな顔の人間らしい仕草に、つい反応が遅れる。


「……そっか、ありがとう」


 安心して胸を撫で下ろしていると、山井さんが一歩近づいてきた。

 そして、囁くように、


「また楽しませてくれたら教えてあげる。――私のことも」


 と言った。


「……え?」

「だから、またね」


 あっけに取られた僕を置いて行きぼりに、山井さんは教室から出て行った。扉が閉まる。

 そうして、静かになった教室に僕だけが残った。


 なんだか山井さんにも誤解されているような気がするのは気になる。

 けれどそれ以上に去り際の表情が目に焼き付いて離れない。

 直前までの穏やかな表情とは反対に、逃げることはできないと悟らせる、嗜虐的でちょっとの執着を感じさせる笑みだった。

 彼女は内側にとんでもないものを飼っている。そんな気がした。

 手を当てて変な胸の高鳴りを抑える。

 とりあえずわかったことがある。これからは、安住さんの目を掻い潜りながら山井さんを楽しませないといけない。

 一体何をどうすれば……

 今度こそ誰もいない教室で僕は一人頭を抱えた。

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