あまねく電子ネットワークと、アマテラスの女神

眞田幸有

第1話

 汗ばむ両手が感圧式のサイドスティックとスロットルを握りしめていた。コントラストの強い鬱蒼うっそうと生い茂る木々が広い視界をさえぎっていた。

「ちいっ」

 ジェレミーは苦々しげに舌打ちした。フットバーを踏みこむ両足に力がこもる。

 気は張りつめ、あせりの気持ちが頂点にまでたっしているというのに、二足歩行の彼の愛機は、じれったげにのろのろとしかすすまなかった。


 コンソールの多目的パネルに表示された電力供給量をあらわす数字が少しもあがらない。

 機体の動きはまるでスローモーションだ。心臓の鼓動だけが早鐘のようにやたら強く打ちつける。


 付近のユビキタス・ネットワーク・データ融合レーダーの占有権の大部分は相手に握られてしまっていた。場所は特定できなかったが、間違いなく背後からリンクスとその仲間が接近してきているはずだった。

 今日のリンクスは、付近のネットワークから供給される情報と電力の両方を独占に近い状態にしている。どうやら、優秀なネットワーク・ナビゲーターをつれているようだ。


「どうしたんだそんな金……」

 ジェレミーは忌々いまいましい気持ちで吐き捨てた。


 ジェレミーの乗る機体につんでいるナビゲーターは、その操作を擬似的に行う演算機だ。ただでさえ旧式で低性能だったうえに、ナビゲーターの行為を疑似的に真似するプログラムでは、訓練された本物の人間にははるかにおよばない。一方的にユビキタス・ネットワークを掌握されてしまう。


 突然ネットワーク回線をとおして通信がはいってきた。リンクスだった。

「ジェレミー、殺してやる! 今日は必ず殺してやるぞ!」

 えらのはった筋肉質の十八歳の少年の顔が多目的パネルに映しだされ、毒々しい悪態をついた。


 一方的にはいってくるリンクスの映像と音声にジェレミーはひとりごちるように唇をかみしめた。

「リンクスに人殺しをする度胸なんてあるものか――」

 だが、つかまればひどく痛めつけられるのは間違いがなかった。


 下腹部に力がこもり胃液が逆流した。喉がかわくような不快感が全身を支配する。


『――たとえこわがるようなことがあったとしても、こわがったところで意味はない』

 犬儒的シニカルな笑いをうかべていたジェレミーの父親の言葉がふと頭にうかんだ。


 昔の哲人はそんな境地、いわゆる『悟り』に到達したのかもしれないが、残念ながら十七歳の少年、ジェレミーにはほどとおい。


 森林内の低湿地を超えたところで、いきなり前方に巨大な人影があらわれた。大きさは、だいたいジェレミーが乗っている機体と同じくらい。高さ八メートルはある。


 乗用二足歩行機アシモビールだ。

 リンクスではない。

 だが見覚えのある機体だった。


 たしか、リンクスの子分格の一人の乗用機だったはずだ。

(森の中でこんな奴にまわりこまれるなんて――)

 ジェレミーはリンクスの子分の操縦技量を思いやって無性に腹がたった。


(電力の供給量が十分ならば一〇機同時に襲いかかってきても、てんで問題になるような相手じゃないのに……)


 木々が林立する森の中を乗用二足歩行機アシモビールで高速ですりぬけるには相当なテクニックがいる。ジェレミーの愛機がまともに動くなら、かなり挑戦しがいのある場所であるにちがいなかった。しかし、今のジェレミーの愛機の動作はあまりにもにぶく遅かったので、ジェレミーがその技量を発揮する余地はまるでなかった。



 多目的パネルにデジタル画像として表示された電力計の上にはいつものように、忌々いまいましい赤い文字が浮かんでいる。


『状態:BEST EFFORT』


 日本語に訳せば、「最大限の努力」といったところだろうか。



 耳的には聞こえはいい。しかし、最大限にがんばるが、それでダメだったら仕方ないという意味が裏に隠されている。その結果、電力がまったく供給されなくなっても誰も保証してくれないし、文句を言いにいく場所もない。


 ジェレミーの愛機を完璧に動かすには約3000kwくらいの電力がいる。だが、この時間は都市部の電力の消費量が増えてくるため、ジェレミーの方に供給される量はいちじるしく減っていた。


 電力は太陽光発電衛星で発電される。各中継衛星や空中に空気とまじって浮かんでいるダスト・コンピューターをいくつも中継し、最終的に指向性の電磁波となって各機体に送られてくるのだ。その有限の送信帯域をリンクスは自分のほうで、ほぼ占領してしまっている。ジェレミーの機体に搭載している蓄電池(バッテリー)は古くなっており、すぐ放電しきってしまって、とっくに役立たずになっていた。


 動かなくてはしょうがないから、機体制御用の電子機器に優先して電力を供給する。すると、駆動系にまわせる電力はほんのちょっぴりしか残っていないというわけだ。


 ジェレミーは前方にあらわれた灰色の機体をさけようと横に機体を移動させた。

 そこに、あらたに別の人形の乗用二足歩行機アシモビールが二機、つづいてあらわれた。一機はみなれたリンクスの黄色い乗用機だった。

 ジェレミーの行く手をさえぎるように立ちふさがる。


 機体の拡声器を通じて大きな声が聞こえた。リンクスの声だ。

「ジェレミー、追いつめたぞ。もう逃げられない」

 恐怖心が心臓の鼓動のはやさを、さらに加速させていた。ジェレミーは気持ちをしずめようと大きく深呼吸してから、愛機を停止させた。


 装甲板が追加されたコクピットのキャノピーをあげる。

 このまま乗っていたら彼の愛機を壊されてしまうだろう。それだけは避けなければならなかった。


 地面に降りたち、両手をあげる。

 リンクスとその子分たち二人がつづいて乗用二足歩行機アシモビールのコクピットから降りてくるのがみえた。すばやくジェレミーに近づいてきて、取り囲むようにして立つ。


「ジェレミー、とうとう捕まえたぞ」

 リンクスがしてやったりという顔つきで下唇をなめた。


 さっと近づいてきてジェレミーの腰へと手をのばす。ホルスターに入れられていたジェレミーの拳銃トカレフが抜きとられ、後方の地面へとなげすてられた。


「ジェレミー、おまえのやり方は目にあまるんだ。この俺を無視して勝手に商売しやがって。殺してやる」

 リンクスは鼻の先がくっつかんばかりに顔を近づけて怒鳴りつけてきた。


「やれるもんならやってみろ」

 つよがって、ジェレミーが言った瞬間だった。

 リンクスの身体がすばやく動いた。

 スナップのきいた右ストレートがジェレミーの頬を打ちつけた。かぶっていた赤い野球帽が空中を回転してとんでいった。噛みしめた歯がきしり音をあげ、口の中に血の味がひろがった。


「このクソ野郎。死ぬのがこわくないのか?」

「リンクス、おまえに人殺しをするだけの甲斐性なんて、あるもんか」

 中国マフィアなら気にせずやるだろうが、日本人のほうはなかなかそう簡単に人殺しをするわけにはいかない。


 リンクスは今でも非合法なことに少しは手を染めているだろう。しかし完全に裏稼業の人間になる気はないはずだ。そうなれば逮捕される可能性ははねあがるし、やれる商売は限られてくる。


 リンクスのフックが今度はみぞおちに食い込んだ。体格のいいリンクスの攻撃はやたらと身体にこたえた。

「甲斐性とかそんなのは関係ない。俺が殺すといったら、殺すんだ」

 嗜虐的しぎゃくてきに舌なめずりをしながらリンクスはジェレミーをにらみつけた。両手で襟首えりくびをつかんで強引に揺さぶりつけてくる。


「おまえ、作業場の人夫や操縦者マニピュレーターたちに、乗用二足歩行機アシモビールの条件が互角なら、俺に負けないって吹いてるらしいな」

「本当のことだ。条件が互角ならおまえなんかに負けない」

 リンクスの操縦技術はたしかにとびぬけていた。乗用二足歩行機(アシモビール)のプロリーグがいまだに存在していたなら、間違いなくドラフト上位で指名されていただろう。


 しかし、ジェレミーは、同じ条件でたたかえば負けるとは思えなかった。ジェレミーは自分の操縦技術に絶対的な自負を持っていた。それは幼い頃から父に徹底的に叩き込まれた技術だった。


「だったら、おまえのオンボロ機に乗れよ。乗用二足歩行機アシモビールごと、お前をスクラップにしてやるぜ」

「おまえの機体とはナビゲーター用演算機のエミュレート能力が違う。電力の供給量で差があるんだ」


「口の減らない野郎だな。運び屋の仕事は機体やナビも含め、総合的なパッケージングの勝負なんだよ。おまえみたいに条件が同じなら勝てるってのは意味がないんだ。わかってるのか? このクソ野郎!」

 リンクスの膝蹴りがとんできた。もろに腹にくらって、ジェレミーはうめき声をあげた。


「殺してやる。絶対に今日は生かしちゃおかねえからな」

 もともとげきしやすいリンクスは、過度に興奮していた。狂気じみた瞳でジェレミーをにらみつけてくる。


 まずい状態だった。


 リンクスの言うことはたんなるはったりにすぎないとわかっていたが、今日の彼はひどく感情に支配されているようだった。ともすれば、かっとなって、後先考えずに殺人に手を染めかねない様子だ。


 リンクスと子分たち二人のパンチや蹴りが容赦ようしゃなくジェレミーを襲った。鈍い音が森林に響きわたる。


(リンクスめ、この借りはかならず返してやるぞ)

 心で誓ったジェレミーだったが、今日の彼は無力にひとしかった。リンクスたちのはげしい暴力がつづく。


 ジェレミーが、さらに痛みを覚えたそのときだった。


「リンクス、もう、そのへんにしとけよ」

 ジェレミーの横手から不意に拡声器の声がした。声のしたほうに視線を向ける。見なれない黒い乗用二足歩行機アシモビールが一〇メートル足らずのところに停止していた。


 キャノピーがひらくと、ゆっくりとした動作で一人の人物が地面に降りたった。三〇代前半の目つきのするどい男だった。

 派手な色のネクタイに、キザな高級ブランド物のストライプ柄のスーツ。中折れ帽をかぶっていた。薄い唇には人を見下すようなニヒルな笑いが張りついている。


 ジェレミーはその顔に見覚えがあった。このあたりの「顔きき」だ。このあたりでは有望とされていた若手のヤクザだった。

 見あげた黒い機体の後部座席にネットワーク・ナビゲーターらしき人物の姿がちらっと見えた。


 ようやくジェレミーは納得がいった。

 ナビをつれていたのはこの男だったのだ。この男が周りの味方に電力がいくように制御していたのだ。

 リンクスにナビを雇う金があるわけがない。たまに危ない仕事をやって、あぶく銭がはいることがあったとしても、そんな金が少しでもあれば酒や博打に派手に使ってしまって残らないだろう。


「タカハタさん……。こいつは俺の縄張りをあらしているんですよ。手ぬるいことをすれば他の奴等からめられる」

 リンクスの眼は鬱血うっけつして赤くなっていた。


「たしかに、お前の仕事をじゃまする生意気な小僧がいると聞いた。痛めつけるのに付きあうと、俺は言った。だが殺しまで見逃すとは言ってない」

「でも……」

「でももなにもない」

 リンクスが不満そうな顔を浮かべるのをタカハタはぴしゃりと制した。「そりゃ、必要なら俺たちは殺しをする。だが殺しの対価は安くない。警察サツや平和党幹部に半端にならない賄賂わいろをださないといけないんだ。闇商売や、ちょっとした喧嘩沙汰をみのがしてもらうのにかかる額とは桁がちがう」


「俺一人でやりますよ。うすのろの警官マッポなんかに、みつかりなんてしない」

「それはおまえの勝手だ。だがな、お前一人でやったところで、警察サツからすれば俺たちは一味として、ひとまとめで扱われてしまうんだ。おまえがこいつをどうするのも俺の知ったことじゃない。だが、この20km圏内は俺の縄張りだ。そこでの殺しは絶対にゆるさない」


「いっただろう」

 ジェレミーは力をふりしぼって叫んだ。「お前なんかに俺を殺せるもんか!」


「おまえも依怙地いこじな野郎だな」

 タカハタは無慈悲な表情でジェレミーをみつめた。よくみがかれた革靴の先がジェレミーの右わき腹にくいこんだ。


 肝臓を直撃されたとき特有の全身を裂くような激痛がジェレミーにおそいかかった。唇の端から鮮血がもれ、顎つたって地面に落ちる。

「とりあえず、今日のところは利き腕を折っとけ。そうすればしばらく仕事はできないだろう」

 タカハタが命じた。


 よく教育が行きとどいているのか、リンクスの子分たちはすばやく反応した。きびきびとした動作でジェレミーの両脇からせまる。ジェレミーの腕を強引につかんで、地面の石と石の間に固定する。


(――腕を折られる)

 いやがおうにもその痛みが頭の中に想像されて、ジェレミーは恐怖した。しかし、愛機の二足歩行機アシモビールをこわされるよりはましだ。自分にそう言い聞かせる。


「ジェレミー、腕を折る前にいいことを教えてやろう」

 地面に押し倒されたジェレミーのまえに、かがみこむようにリンクスの顔がせまった。あてつけるような微笑を口元に浮かべていた。

「俺は平和党に入党するぜ」


 ジェレミーの表情が変化した。ジェレミーはいためつけられてふらふらする意識のまま、けわしい顔つきになってリンクスを見かえした。

「悪魔に魂を売る気か?」


「そのとおりさ。俺のアシモビールの操縦技術が評価された。おおっぴらに反平和党活動をしたこともないし、軍に編入してもらえるのは、ほぼ確実だ」

 リンクスはおもしろそうにジェレミーを見おろしている。

「そうなれば、ためらいなくおまえを殺してやれることになる」


 ――リンクスならやるだろう。

 ジェレミーは確信した。


 平和党員の兵士なら、本来違法のはずのことも『反平和的活動を鎮圧するため』という名目さえたてば強引にやってしまうことができる。

「お前を殺すまえおきとして、まず今日のところは、腕をくだいといてやる」

 リンクスの足がジェレミーの押さえつけられた右腕の上にのしかかった。

 いつも飄々ひょうひょうとしていた父の言葉がまたもや頭に浮かんだ。


『――たとえ痛がるようなことがあったとしても、痛がったところで意味はない』


 腕にかかるリンクスの足の圧力がいっきにたかまった。

 腕の砕ける不気味な音がジェレミーの耳にもはっきりと聞こえた。

 爆発するような激痛がジェレミーにおそいかかった。痛みはなだれのような勢いでジェレミーをうちのめし、耐えがたい苦痛をもたらしていた。

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