雪畑と云う男

這吹万理

葬誕女の箱

第1章 雪畑という男について

第1話 安い珈琲と数学書

 昭和34年のこと。正月の喧騒から1週間がたって、ようやく親戚連中から解放されたので、喫茶「カナリア」で安い珈琲を1杯頼んで、数学書を読んでいると、薄ら雪が積もった地面を踏みしめるようにして、1人の青年が店の中に入ってきた。銀色の頭髪が目立つ、異国風の青年で、マスターはその青年を見ると、「雪畑ゆきはた!」と嬉しそうに両腕をあげた。


「元気そうで何よりだよ、マスター。ところで、あなたはここらへんで上等なスーツを着た化学者を知らないか? どうも今回の怪異は化学物質を扱うものらしい」

「化学者なら、そこにいる……彼だ!」


 マスターは唐突に私の方を向くと、銀盆をこちらに向けた。それと同時にして、その雪畑という青年が此方を向いた。


「君、化学に詳しいのか」

「ああ。そうだが、君は……? 探偵の様な出で立ちだけど……」

「そうではない?」

「探偵は怪異なんて信じない」


 男は笑みを浮かべた。


「ともかく、その珈琲を喫み終えるか、本を読み終えたら、来てくれないか」

「何処に?」

「盛岡市城南大通り1丁目6-7」


 私の人生はこういう唐突に何かが起こると言う事の連続であり、そこに規則性という物があるようには思えなかった。第7章から第18章まで読みながら、自らの半生について考えてみる。遠野にある水底村みなそこむらの駄菓子屋に生まれ、16の頃に盛岡に出てきたが、道端で救った老婆の菓子屋で採用され、勉強をして大学を出て、近所の化学研究所の所長と酒場で意気投合をしてそこで拾われる事になったり、あらゆる事に運が傾いていた。


 あの奇妙な青年との出会いも、非常に愚かな運命であるのかもしれないと思うと、少しだけがっかりしたが、珈琲の最後の1杯を飲むところで、「そういえばあの青年は怪異と言っていたな」と思い出す。もし性格の悪い霊感商法だとすると、それに巻き込まれるというのは、非日常的なもので、面白いかもしれなかった。


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