第2話 いつだって心配

 翌朝。いつもとは寝心地の具合が段違いに良く、睡眠の質が向上したのか、アッシュは疲れがまったく無くなっているのを感じた。

「やっぱり野宿とは大違いだな」

 身体を伸ばしてベッドから出る。外じゃないからか、寒さもない。

「おはよう」

 テーブルの方で既に支度を終えたベネトが紅茶を淹れて新聞を読んでいた。


「おはよう、それどうしたの?」

「宿屋の主に借りたの。妖精郷を出てからこっち、まったく目を通せていなかったから。大事よ?あんたも読んでおかないと」

 ずいっと、アッシュの方へ差し出す。面倒そうにアッシュは突き返す。

「いいよ、難しいことはよく分かんないし。大切なことは、ちゃんとベネトが教えてくれるだろ?だからそういうのは任せるよ」

「まったく、楽観的なんだから」

 顔を膨らましてまた新聞を読み始めた。アッシュは妹を起こすことにした。


「シノン、起きて。そろそろ朝ご飯の時間だよ」

「…んぅ~。もう少し…」

「今日は宿のご飯だから、いつものよりも栄養が摂れるんだ。出来るだけ食べておかないと大きくなれないよ」

「…わかったぁ」

 まだ眠気に押しつぶされそうな目を開き切れないまま、ベッドから出て洗面所に向かうシノン。

「あ、ちょっと待ちなさい。まったく…」

 ベネトが後に付いていって支度を手伝ってあげるようだ。

「さて、僕も準備するかな」


「んむぅ…おいしい」

「そりゃ良かった。お代わりもあるからな。嬢ちゃん、いっぱい食って大きくなって、早く兄ちゃんのこと手伝ってやんな」

「あ、アハハ…」

 カウンターに座って朝食を摂る。栄養のある食事に満足げなシノン。宿屋の主もその様子を見て、嬉しくなっている様子だ。


「そう言えば、結構泊ってたんですね」

 辺りのテーブルを見回す。多くの客が皆、朝食を済ませに部屋から出てきていた。

「ん?そうだなぁ…まあ、一つのお祭りみてえなもんだしよ。周辺の国からの客が大半だ。たまに別の都市からの奴もいるけどな」

「やっぱり建国記念ともなると、それほど盛り上がるんだ…」

「お前さんらは、それ目当てじゃねえんだよな?何しに来たんだ?」

 純粋に疑問を投げかける主。


「少し人探しを。この国に居ると聞いたものですから」

「ふうん、なるほどね…」

「見た目も分からないので情報を頼りにするしかないんですが、最近この国を訪れた占い師って、ご存知だったりします?」

 その問いに少し考える素振りを見せて思い出した顔をする。


「ああ、そうだな。確かこの街に来てたぜ」

「本当に!?」

 ガタリ、とアッシュとベネトが立ち上がる。

「あ、ああ。何やら妖しげな雰囲気だったもんで、妙に頭に残ってんだよ。ウチに泊りに来たんだが、あいにくそん時ゃ部屋が空いてなくてな。名前と職業を聞いて、他の街の宿屋を紹介したんだ」


「どの街に?」

 食い気味で質問する。

「まあ落ち着けって。たぶんその街にはもういないぜ?一泊で良いって言ってたもんだからよ。おそらくもう出てる」

「そうですか…」

 しょんぼりとした様子に頭を掻く主。話すか悩んだ様子だったが、思い切って口に出した。


「一応、サザンカの街に行ったはずだ。わりぃが俺が知ってるのはここまで。これ以上は力になれそうにねえな」

「いえ、ありがとうございます。前に進むことが出来ます」

 代金を置いて店を後にしようとする。

「おい、兄ちゃん。代金は要らねえよ」

「しかし…」

「何やら大変そうだからな、この金は別で使いな。そうだな、探しモンが見つかって嬢ちゃんが大きくなったら、また店に顔出しに来てくれや」

 主の言葉に目頭を熱くする。

「はい、必ず」


「それで、サザンカに向かうの?」

 宿屋を出た後に、ベネトが次の行き先を尋ねる。

「…そうだね。居るか分からなくても、行ってみないことには。主さんの計らいも無下にできないし」

「そういうところ、しっかりしてるわよね」

「ん、お兄ちゃんは、えらい」

「ベネトが教えてくれたんじゃないか」

 ふん、と首を逸らす。

「私は人間たちの義理について教えただけです~。そうしろとは言ってません~」

「そうだね、じゃあ僕の判断だ」

 笑って流す。ベネトも笑う。


「先に買い物を済ませても良いかな。暗くなると店が閉まっちゃうから」

「ええ、いいわよ。分担しましょ」

「大丈夫だよ。ベネト、その姿じゃ無理だろう?」

「今日は調子いいから、変身できるわよ」

 そう言うと、ベネトの周りを淡い光が包み込み、みるみるうちに体が大きくなっていく。骨格から何まで変わり、あっという間に人間の姿へと変化した。


「これならいいでしょ?」

 フフン、と得意げになる。普段でも綺麗に見える銀髪が、人間サイズに大きくなったことでより光を反射して、キラキラと映えていた。

「ベネト、無理は良くない」

 シノンが突っ込む。

「無理してないわよ!」

「わかった、じゃあお願いするよ」

 半ば嬉しそうに、また、半ば呆れながらアッシュは返事をした。


 食糧、石鹸、安めの服と軽めの靴、ロープ、ランタンの燃料に、新しい食器…必要なものはおおよそ買い揃え終わった。

「これで必要なものは大体買えたかな…シノン、大丈夫かい?」

「ん、平気。昨日たくさん寝たから」

 そっか、と返事をする。ふと、すれ違った人と少しぶつかった。

「すみません」

 一つ言葉を残し、先へ進もうとするアッシュを荒っぽい声が呼び止める。

「おう、兄ちゃん。ぶつかっといて詫びの一つもねえとは、どういうこった?」

「いえ、だから『すみません』と…」

 ハッと鼻で笑う。


「おいおい、常識がなってねえなぁ。詫びっつったらよぉ…やっぱ金だろうがよ、ああ!?持ち金全部置いていけや」

 なかなかに典型的な当たり屋の男が、ものすごい剣幕でアッシュを威圧する。周りがいっとうざわつき始めた。


「いえ、それは困ります。申し訳ない、それでは」

 アッシュはその場を淡々と言葉を並べて足早に去る。

「おい!」

 咄嗟にシノンの手を掴み二人を引き留める暴漢。

「お前、舐めてるだろ?ああ?この女がどうなっても…」

 瞬間、刃が彼の首を捉えていた。


「妹から手を放せ、下衆が。お前のようなゴミが触っていい人間じゃないんだよ」

 静かに怒りを露わにするアッシュ。

「ヒッ…お、おい。何のつもりだ…」

「口を閉じろ、臭い息がシノンに付いたらどうする」

 シノンを引き離し、剣を振り抜こうとする。

「ちょちょちょ、ちょっと待った~!!!」

 間に割って入ったのは人間態のベネト。その姿を見てアッシュも我に返る。


「喧嘩はダメっていつも言っているでしょう!?」

「ベ、ベネト…いや、僕らは直ぐに去ろうとしたんだよ。そうしたらこいつが、シノンの腕を掴んだんだ」

 アッシュが弁明しているところに、暴漢が口を挟む。


「な、なんだぁ?お前が保護者か?ガキの躾がなってねえようだな。よし、お前が金を払え。払えねえんだったらその身体でもいいんだぜ?」

「あ゛?」

 凄まじい威圧感を見せるベネト。辺りの空気が凍り付いた。

「誰に向かって口きいてんの?殺されたくなけりゃさっさと失せろ」

「な、なんだとてめえ!!!」

 男が殴り掛かろうとした時、

「そこまでだ」

 と、制止する声が鳴り響いた。


「次から次に…て、げぇ!?」

 そこには、シルヴィアの姿があった。

「あ、シルヴィアさん」

「やあ、アッシュ。昨晩ぶりだね」

 気さくに挨拶をするシルヴィア。直ぐに暴漢へと向き直る。

「なんで、知事様がこんなとこに居やがんだぁ!?」

「なんでも何も、これだけ騒がしければそれは出てくるだろう。君はもう少し頭を使った方が良い。ああ、もうブタ箱に入るから、そこでね」

 にこやかに警官らしき人物たちに指示をしてあっという間に暴漢を抑えつけた。その手さばきは目を見張るものがあった。


「すまないね、アッシュ。旅の者に迷惑をかけてしまった」

「いや、シルヴィアさんが謝ることじゃないです。それに、済んだことですし」

 頭を上げてほしいと述べるアッシュに、二人が問いかける。

「お兄ちゃん、この人は?」

「なんだか知り合いのようだけれど」

「ああ、こちらはシルヴィアさん。昨日の夜、街を散策していた時に会ったんだ…そうだ、僕も聞きたいことがあるんですが、彼の言っていた知事っていうのは?」

 アッシュの問いに少し複雑そうな顔をする。


「私の事だ。それに関しても、すまない。隠すつもりもなかったんだが、あのタイミングで言っても仕方がないだろうと考えた。申し訳ない」

「いえ、驚きましたが、おかげで助かりましたし。ベネトが怒ると、正直手が付けられませんから」

 笑って言うアッシュにベネトが突っ込んだ。


「ちょっと、あんたも大概でしょうよ!私が止めなかったらどうなってたか…」

「二人とも、メッ」

 シノンが仲裁に入ってポスっと小突く。二人はシュンとした。

「アハハッ、君たち面白いんだね」

 シルヴィアが笑顔を見せる。そののち、提案をする。

「どうだろう、聴取もあるけれど、私が勤めている庁舎に来ないかい?詫びも兼ねて少しでも、もてなしたいんだ」

「庁舎、ですか」

「都合が合えば、だが」

 お言葉に甘えるように三人は付いていくことにした。


 道中、すれ違う人々に挨拶を欠かさないシルヴィア。

「まめなのね、シルヴィアって」

「こら、ベネト。失礼だろ」

 アッシュが窘める。

「ハハッ、いいさ。そうだね、自分でもそうだと思うよ」

「元々、私は知事になれるような人間ではないんだ。だから、こうやって自分から民の皆に寄り添っていかなければ、慕われることは無いからね」

「そんなことは…」

「それは失礼よ、アッシュ」

アッシュの訂正にベネトが口を挟む。

「…分かったよ」

「ええ」


「おっきい、お屋敷?」

 歩いていると見えてきた大きな建物を見てシノンが問う。

「あれが庁舎さ。普段は関係者以外は入れないんだが、君たちは特別だ。ささ、上がっていってくれ」

 シルヴィアが中へ入るのを促し、三人ともそれに賛同した。


 出された紅茶に口を付ける。淹れたてだからか、まだ熱い。

「うん、美味しい。ベネトのといい勝負だ」

「私の方が美味しく淹れられますけどぉ~!?!?」

 無為に張り合うベネトをよそに、シルヴィアは話し始める。

「もう一度、先程の件を謝らせてほしい。この街の汚濁おじょくを、旅の者に味わせてしまった事、本当に申し訳ない」

 テーブルを挟んで対面に座るシルヴィアが頭を下げる。

「すでに過ぎたことだとしても、この街の頭として出来る事ならなんでもしよう」

 その言葉にアッシュは一つ要望を投げる。


「でしたら、欲しい情報があるのですが」

「何でも言ってくれ。答えられる範囲で答えよう」

「先日この街を訪れた、占い師について知っていますか?」

 シルヴィアの眉が一つ、ピクリと動いた。

「ああ、知っているよ。珍しい客人だったからね」

「ホントですか!?」

 思わず立ち上がるアッシュをベネトが宥める。

「落ち着きなさい、アッシュ。それでシルヴィア…珍しいと言ったけれど、その占い師はどんな人だったの?」

「ああ、珍しい…というより失礼な方だったね。庁舎を尋ねてきて、私に対面した途端に、勝手に占いを始めて、適当な事を言って帰っていったんだ」

「サザンカに行く前に此処に寄ったのか…」

「彼女はサザンカに行ったのか?」

 不思議そうな顔をして聞いてきた。


「はい、宿屋の主が言ってたんです。部屋がないからサザンカを紹介したって」

「なるほど、それではおそらく彼女は、もうこの国には居ないかもしれないな」

 急な言葉に、アッシュは驚きを隠せない。

「どうして?」と、シノンが問う。

「彼女がダリアを目指していたからだよ」

 シルヴィアは地図を広げた。

「サザンカは此処より南西にあるんだ。距離の事を考えると、首都ダリアの方が近いいんだが、おそらく宿屋の者も首都の現状を知っていたんだろうね。現在、泊ることの出来る場所はダリアには無い。だから、彼女がダリアに長期で滞在することはかなり困難だ。当てがあるならいいが、宿屋の紹介を受けたならそれも無いんだろう」


「街同士の区間は結構時間かかるから、まだ国内にはいるんじゃないんです?」

「それは、君達のように移動手段が徒歩の場合のみだ。彼女は、地竜を使役していたから、おそらくそれで移動しているんだろう。彼女が此処に来て、サザンカに行ったのが三日前だから、既に国境は越えているだろうね」

 アッシュは情報を咀嚼して、ため息をつく。


「また振り出しかあ~」

「いつものことでしょう」

 ベネトが呆れた声で慰める。

「うん、お兄ちゃん。次またがんばろ」

「ありがとう、二人とも…そうだよね。でも、どうするかなあ~」


 そんな三人を見て、シルヴィアが口を開く。

「差し出がましいようだけども、建国記念式典に参加してみないか?ダリアに行く口実にもなるし、私の推薦で出せば宿も用意できる。彼女が何の用事で首都を訪れたのかを調べることもできるだろう」

「いいんですか!?」

「もちろん、君達が良ければの話だけどな」

 その言葉にベネトがアッシュへと耳打ちする。


「大丈夫なの?それならもう妖精郷に帰ってもう一度、大叔母様に視てもらった方が良い気もするんだけど」

「いや、ダリアに居れるならそれよりも手っ取り早い方法がある」

 何よ、とアッシュに問う。

「この国の王に会うんだ」

 アッシュの提案に思わず大きな声を出すベネト。

「会ってどうするのよ!」

「話をするんだ。王は常に国を視ている。だったら、占い師がどこへと向かったのかも知っているだろうから」

「王に会うって、そんなことできると思ってるの!?」

「不可能じゃないでしょ、式典の内に顕現するんだし」

 それでも、とシルヴィアの方を見る。


「…確かに、不可能じゃない。私もできるだけ王と話せるように取り持つが…おそらくそこまで君達の力にはなれない。ダリアにおいては私の権限はそこまで強くないからな」

「大丈夫です。ほんの数分もらえれば」

「危険よ!あんな高次元の存在!近づくだけでも危ないわ。シノンもそう思うでしょう!?」

 そう言って少しうとうとしているシノンに促す。

「んぅ、お兄ちゃんがそうしたいなら、止めない」

「まったく!!!」

 怒ってしまった。


「ごめん、ベネト。だけど、これが一番の近道かもしれないんだ。可能性があるなら僕はそこに賭けてみたい」

「…どうしても?」

 泣き出しそうな声で問いかける。

「どうしても」

「そこまで言われたら、私は止められないじゃない」

「だから、ごめんね」

「危ないかどうかは、私が判断するから」

「うん、ありがとう」

 そう告げてから、シルヴィアへと向き直る。


「というわけで、シルヴィアさん。ダリアへの推薦状をお願いしても良いですか?」

「もちろんだとも」

 シルヴィアは快く承諾した。

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七つ国 かふぇ猫。 @cat8_cafe

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