第4話 旅立ち

 稲葉山城の大広間に戻ると、斎藤家の家臣が一堂に平伏していた。光秀も叔父とともに最後列へ腰を下ろした。

 するとちょうど利政が上座に現れ、声を掛けた。


「皆、面を上げよ。此度こたびの活躍、誠に大儀であった。この美濃が守られたのは、ひとえに皆の働きによるものである。」

「ははぁ!」


 斎藤家家臣が上げた顔をもう一度下げる。光秀は戦のあとの論功行賞がこれほどまでに緊張感を持ったものだとは知らなかった。


「皆の働きをしかと吟味した上で、追って褒美をつかわす。」

「有難き幸せにございまする。」


 家臣達は声を揃え、一斉に平伏する。その様子を満足そうに見ると、利政は早々に広間から出ていった。しばらくして、家臣達もその場を辞す。

 光秀達も稲葉山城を後にし、本拠・明智城へと帰還した。


「おかえりなさいませ。」

「うむうむ。十兵衛がよく働いてくれたと御屋形様からお褒めの言葉を頂いた。此度の恩賞は弾むぞ。」

「まあ、本当かね?」


 光秀の母・牧が嬉しそうに訊く。光秀自身が言うのもなんだか恥ずかしいので黙っていると、光安が言った。


「勿論、本当じゃ。のう、十兵衛?」

「まあ、……はい、御屋形様に……。」

「ははは。十兵衛、そう照れるな。」

「照れてなどおりませぬ。」


 集まった人々は皆笑い声を上げる。このままでは、いつまでも光秀をからかい続けるに違いない。話題を変えるため、光秀が話し始めることにした。


「そういえば、途中で斎藤右衛門尉殿のご嫡男に会いましたぞ。」

「まあ! 内蔵助かい?」


 光安の妻、つまり利三の叔母にあたる女性が真っ先に反応した。


「はい。内蔵助利三殿と。」

「内蔵助殿はまだ幼いのでは無かったか?」

「十三だと申しておりました。」


 そう言うと、皆が感嘆の声を漏らす。ただ、一人だけ異なる者がいた。岩千代である。


「父上、次は某も連れて行ってくだされ!」

「いやいや、そなたはまだ早いだろう。」

「内蔵助殿は十三で戦に出ているのです! 次の戦が起こる頃には、某も同じくらいの歳になっているはず。早くはありませぬ!」

「右衛門尉殿には右衛門尉殿のやり方があるのだろう。わしにもわしのやり方がある。」

「一家の跡継ぎであられる内蔵助殿でさえ、戦に出ているのです! 分家である某を過保護にする必要はございますまい!」


 これは光安の逆鱗に触れた。


「何を申すか、岩千代! 跡継ぎかどうかなど関係無く、我が子を思う気持ちに変わり無かろうが!」


 光安の妻が慌てて間を取りなそうとするも、岩千代は黙り込み、にわかに城の中へ走り込んでしまった。


(わしの勝手で、叔父上達を困らせてしまった……。)


 明智家を束ねる身として、もっと周りへの気配りをすべきだったと、反省する光秀だった。



 ※ ※ ※



 それからは、しばらく平穏な日々が続いた。

 光秀は馬で領内を見て回り、行く先々で民と言葉を交わす。そして、相変わらず岩千代も付いてくる。

 何度か、織田方の小隊が略奪を行っていると隣村から急報が入ったことはある。そのときは毎度光秀が明智党五十人ばかりを率いて撃退したため、その功で若干の加増があった。このときに岩千代が敵と組み合っていたことは、光秀以外誰にも知られていない。

 しかし、斎藤利政と織田信秀が正式に和睦したため、そのような衝突も終わった。利政の娘・帰蝶が、信秀の嫡男・信長に嫁いだのである。

 変わって光秀が精を出したのは、領内の治水だった。これは明智領だけで出来るものでも無いので、隣の岩村城主・遠山景前とも協力した。それなりに成果を上げたので、利政が直々に視察に来たりもした。

 そのような生活をするうちに、光秀が二十二歳になる年が明けたある日、利政に呼び出された。


「兵庫頭、十兵衛、少し話がある。」


 光秀は不安を感じた。利政がこう言う時は大抵ろくな話ではないのだということを聞いていたからだ。


「十兵衛にやってもらいたいことがある。が、その前に兵庫頭よ。」

「はっ。」

「一昨年の戦から今日こんにちまでの十兵衛の働き、見事であったな。亡き光綱も喜んでいるであろう。十兵衛をここまで育てたのはお主のおかげじゃ、礼を申すぞ。」

「誠にかたじけなきお言葉、ありがたき幸せに存じます。」


 利政と叔父の会話を聞きつつ、光秀は警戒している。


(何が言いたいのだ? 叔父を登用するつもりなのか? それならばなぜ私に職務があるなどと……)


 そう思った時だ。


「十兵衛」


 不意に利政の声が飛んだ。慌てて首を垂れる。


「戦の前にした鉄砲の話を覚えておるか?」

「はっ。」


 ますます何をしたいのかわからなくなりつつ、光秀は答えた。


「よし。鉄砲は南蛮から種子島に伝わったのち、摂津の堺で主に取引されておるらしいのじゃ。」


 摂津とは、今の大阪府北部から兵庫県にかけてのことだ。


「十兵衛には、その鉄砲を手に入れてきてもらいたい。」

「はぁ。」


 光秀にもようやく利政が何を言っているのかが分かってきた。摂津まで行って鉄砲を買ってこいということなのだろう。

 だが、この美濃から摂津まで行くには莫大な金がかかる。各荘園に設けられた関所の通行料、宿屋の宿泊代もろもろだ。おまけに鉄砲はとても光秀のような小者に出せる金額ではない。


「御屋形様、その際の銭は…」


 不躾だとは思ったが尋ねると


「無論わしが出す」


 と不機嫌だが返答が返ってきた。


(当然のことだよな、公用だから)


 そう思って安心したのも束の間、利政の笑い声が聞こえた。


「顔に出ておるぞ十兵衛」

「も、申し訳ございませぬ」

「それに何を勘違いしておる。わしが出すと申したのは鉄砲の金だけじゃ。他は自腹だ」


 光秀はこの瞬間、なぜ利政が世間から吝嗇けちと言われるかが身に染みて理解できた。





「では、行って参る」

「いってらっしゃいませ。お体を大切に!」


 明智家の郎党に見送られて光秀は旅に出る。岩千代改め明智弥平次秀満が供としてつき従った。

 秀満は今年で十四歳。念願の元服も叶って、今まで以上に光秀を主と慕ってやまない。


「御屋形様直々の命とは、御屋形様も十兵衛様の力量をお認めくださったのですなぁ。」

(それほどの大任なのだろうか)


 興奮している秀満の言葉を聞き流しながら、光秀は考えている。鉄砲がどれほどのものか知らないが、たかが武器を買いに行かせるのに光秀が行く必要があるのか。足軽にでも命じれば良いものではないか。


(御屋形様のお考えは誠にわからぬ)


 だが、光秀にとって初めて美濃国外へ出る旅になるのだ。高揚の気持ちがやはり最も強かった。

 秀満と二人、仲良く話しながら歩くこと三日。ようやく京に入った。人生初の入洛である。これ以後、光秀は京という地と密接に関わっていくことになるのだが、このときの光秀はまだ知る由もない。


「しかしひどいものだな」


 光秀は初めにそんな印象を受けた。いたるところに乞食や餓死者の死体が転がっている。天皇が住む御所の壁すら穴が開いたままだ。


「明智荘は恵まれているのかもしれぬ」

「それはそうでしょう。十兵衛様の徳のお陰です」

「ふっ、ここまで来て世辞を申すな。明智荘が良く収まっているのは叔父上のお力によるものだ」


 その後、光秀は見聞を広めるために京の街を歩き回ったが、民は粗末な布一枚を羽織っているだけで寒さに震え、幼い子供は泣き叫ぶ。そんな光景がいたるところで見られた。

 光秀の職務はとりあえず鉄砲を手に入れることだ。そのためには堺に行かなくてはならない。


「とりあえず堺へ行こう」


 そう考えた光秀らは、凄惨な京から逃げるようにしてさらに西に向かった。

 しかし、それほど遠くまで進む程の時間も無く、やがて日が傾いてきた。


(宿をとらねば)


 宇治にさしかかった頃、ちょうど良く客を泊めているという寺が見つかったので、そこに泊まることにした。しかし、相部屋になるという。

 光秀は構わなかったが、初めての旅であるということもあり、不安はあった。それに京者は礼儀に厳しいと聞いている。恥をかかないようにしなければならない。秀満にも良く申し付けてから、部屋に入る。

 戸を開けた。誰もいない。


(出かけているのか…)


 と思ったとき、突如隣のふすまが勢いよく開け放たれ、一人の武士が斬りかかってきた。


「曲者かっ!」


 と叫び、光秀もとっさに刀を抜いてすんでのところで刃を受けた。

 鍔迫り合いとなって互いの顔が見える。その直後、後ろにいた秀満も刀を抜き、その男の首筋に当てた。


「離れよ! さもなくば斬り捨てる!」

「……誰ぞ」


 だが、男は秀満の方を一瞥しただけで、すぐに光秀を睨み、低い声で言った。


「名乗られよ」

(京者のようだな…)


 光秀は相手の話し方を聞いてそう思った。


「私は美濃国斎藤家家人・明智十兵衛である」

「証は?」

「ここにござる。弥平次、わしの懐から証紙を出して、見せよ」


 秀満は男を警戒して刀を構えたまま、出発の前夜に利政から与えられた文書を出した。関所の通行手形にしているものだ。それを相手の武士に渡した。武士はじっくり目を通し、


「確かに、そのようですな」


 と、口調を改めて言った。


「某は幕府奉公衆・細川与一郎藤孝と申します。先程の無礼をお許しください」


 光秀は少し意外に感じた。幕臣とは畿内を荒らしているだけで自らの出世のことしか頭にない、と評判は悪く、光秀もそのように教えられて信じ込んでいたからだ。ところが、この細川という若者からは、幕府奉公衆と一介の国衆という立場の違いがあるのにも関わらず、誠意を感じられた。


(これほど誠実なお方もおられるのか)

「こちらこそ、とんだご無礼を致しました。まことに申し訳ござりませぬ」


 光秀も謝罪の言葉を発し、秀満にも促した。すると細川藤孝は


「どうです? 一杯飲みませんか」


 と、誘ってくる。しかし、すぐに訂正した。


「いや、本日は茶にいたしましょうか。そこにおられる弥平次殿も茶なら共に楽しめましょう」




「近頃は公方様をないがしろにし、好き放題に戦ばかり起こしております」


 二人の会話は、今の京の情勢の話になった。藤孝は悲痛な面持ちで語っている。


「公方様には戦をお鎮めになる力はございません。細川や六角などに縋っていくしかないのです」


 光秀は京が荒れている理由も納得でき、そのうえ藤孝の話が徐々に愚痴に近くなってきたので、


(そろそろ切り上げるか…)


 と思った。そこでふと、


「細川殿、この辺りで鉄砲は手に入りませぬか?」


 と訊いてみた。堺に行けばあるようだが、堺までは遠いため金がかかる。おまけにそこの商人たちに吹っ掛けられかねないとも案じていたからだ。

 藤孝は少し考えたようだったが、すぐに


「鉄砲なら某の兄が何丁か持っております。かけあってみましょうか」


 と言ってくれた。


「それは有り難い。お願い致します」

「では明日、兄の邸宅へ共に参りましょう」


 光秀は、良い武士と出会えた自分は運がいいと思った。

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